「暴力」と「秘密」の独占がもたらすもの | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 本日は、日曜日でしたが、突然、警察に接見でした。
 警察が、令状逮捕であれ、現行犯逮捕であれ、誰かを「逮捕」し、さらに、裁判所が「勾留」を認めて、警察署の代用監獄や拘置所に「監禁」する・・・。
 このことが、一応の「合法性」をまとってなされるわけですが、物理的・社会的実態として、「暴力」であるということは否定出来ません。同じことを、民間で為された場合には、原則、逮捕・監禁という犯罪になることは明らかです。

 つまりは、「暴力」というのは、私たちから取り上げられた上、権力機関に独占されている、ということです。
 法律の建前としては、勾留が認められる為には、証拠の隠滅がなされる畏れや逃亡の虞がある、住所不定の者ということでなければならないはずですが、実際は、そんな「建前」が無視されていることは、実務家なら誰でも知っています。
 結局は、逮捕・勾留という暴力は権力により「拷問」するために使われることが多い訳です。「拷問」?それは大げさでしょ、と思われるでしょうか。しかし、監禁という暴力状態におかれ取り調べを受けるということが、ただ、「任意に事情を訊かれる」ということと雲泥の差があります。繰り返しますが勾留されての取り調べは暴力下での取り調べです。いわゆる「吐かせる」為に逮捕し、勾留するのです。

 特定秘密保護法では、権力は「情報・秘密」の独占を目指しています。
 「暴力」を独占した上、それを濫用する権力が、「情報」を一元的に握り、それを好きなように濫用することは目に見えています。

 「暴力」も「情報」もそれを使うことが可能であるのに「使わないという選択」をするのと、最初から、取り上げられ「使えない」のでは、全く異なります。
     その事は、肝に銘じておかなければならないと思います。
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