2012年7月16日の代々木公園の反原発集会で大江健三郎さんが、そう発言(井上重治の言葉の引用として 『晩年様式集』でも触れています。)し、また、白井聡氏という学者が『永続敗戦論』という本でさらに引用しています。
3.11で、あからさまになった政府による欺瞞というか、「原発絶対安全神話」や「自衛隊」「周辺事態」「安全保障」などというまやかしの言葉による軍備増強が、私たちを欺きながら、いや、舐めながら進められてきた状況は、まさに「侮辱のなかに」生きさせられてきたと言っていいと思います。
侮辱、つまり辱めを受けていることを認識した以上、私たちは怒るべきだし、怒りを辱めている相手にぶつけてしかるべきでしょう。
「平和と繁栄」で脚色された「戦後」は、「戦争と衰退」の時代に向かっている、侮辱されながら、ということです。
多くの民衆が反対を明確にしている秘密保護法案が、国会では成立されようとしています。つまり、国民の意思と政府及び国会の意向とは、完全に対立しているということです。議会制民主主義が民主主義として機能していない、限界が露呈しつつあるということだと思います。
おかしいよ。政府が私たちに隠し事をするなんて。「自分たちの」戦争のために、秘密を隠蔽し、都合のいい事実、歴史教科書にも都合のいい事実を載せるなんて。
白井聡氏は「支配体制の歴史と記憶に対する支配の実効性と現実的支配の実効性の度合いは、正比例の関係にある」、つまり、歴史を歪めることにより、現実の支配を確保するのが支配層の手口ということを指摘しています。
侮辱されたまま、何も真実を知らされぬまま、危険な放射能の中を生き、戦場に子どもたちが連れて行かれていいわけはないでしょう。
思っていることを言葉にし、伝えるときです。それが、出来るときにする必要があります。
今こそ、侮辱に対し、倍返しをするときです。
