かつて、80年代くらいまでは、個性的である、ということがクールでカッコいいことだとされていたと思います。時に、奇抜なくらい。まあ、見た目的なこと、ファッションみたいな面もありましたが、子どもの「個性を育む」みたいな概念ももてはやされていた気がします。
気がつくと、すっかり「横並び」みたいな時代になってしまいました。なるべく、突出しないように、目立たないように、無難に・・・。
私は、自分が関係があると思うことには、分け隔てなく身体を向ける、というか顔を出したり、手をだしたりしているつもりです。だから、40歳過ぎてから始めた事も多いです。思いついたら、デモにも行くし、料理もしよう、法律のセミナーもやろう、キャンプもいいな、とか、政治的な講演をする場合もあれば、マラソンにも出てみようとか、昔から演ってるバンドをまたやるかな、とか、そうだ、花も植え替えるか、とかやります。とりあえず、こういうことは自分苦手なので、とか、タイプじゃないので、とか決めつけないようにしてます。個性的であることを畏れずに・・・。
けど、案外、皆、そうでもないんだな、と思うことがあります。
去年、フルマラソン、翌日、改憲阻止・原発反対集会&デモみたいな日があって、マラソンは3万人くらい、デモは6000人くらいは集まったのに、両方参加している人は、自分だけという、当たり前のようで、でも、不思議な気がしました。だって、そんなに沢山の人が参加しているならもっと重なっててもいいんじゃないの?って・・・。
健康のためマラソンを熱心に遣る人も、原発には反対しないのか。改憲阻止をしっかり自分自身でやろうと思っている人が、普段は運動している、っていうのでもいいのではないか。
まあ、なんかありますけどね、自分でも。たとえば、私はゴルフはやりません。煙草も吸いません。トライアスロンはやってません。でも、煙草は吸ったことはありますし、他のも絶対遣らないとは決めていない。
そういう緩さで、いいんじゃない、と思ってます。それが「自由」への入り口ではないかと。案外、なんでもやるのが個性かな、と。
ということで皆さんも、ゆるゆるでデモとかキャンプとか♪
