憲法議論の地平 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 改憲問題が浮上しているので、憲法議論がこれまでになく盛んです。それ自体は、いいことだと思います。自分たちの生活、未来の選択に繋がるからです。
 立憲主義を巡る議論も増えていると思います。立憲主義とは一言で言えば、国家権力は憲法に従わなければならない、という考え方です。私の国家観からもこの考え方が「妥当」と思っていますが、この議論だけで改憲問題を扱うのはどうかな、とも思います。
 私は、弁護士ですが、法解釈うんぬん的な議論ではなく、実際、改憲というのは何が目的なのかを率直に、ある意味、剥き出しにして語るべきだと思っています。

  改憲するのは、私たちをして戦争に巻き込みやすくするためですか?

というのが現実的な問いです。名称は、「安全保障」でも「国防」でも、「頑張れ日本♪」でも、何でもいいですけど、武器を使ったり使われたりして、痛い奴です、戦争というのは。殺したり、殺されたりする関係のことです。
 そこに連れていくつもりなの?ってことですね、究極的には。
 私は、「国民」主体から、「国家」主体の改憲案には、その危惧が大だと思っています。財政赤字1000兆円に象徴される恐慌情勢を突破する手段として、戦争ないし軍事的方法での「帝国主義」的手法が採られるのは歴史の教訓だからです。

 そもそも、「議会制民主主義」は民主主義として機能しているのか、という限界を認識しているか否かは重要でしょう。つまり、数年に一度の「投票」によって、私たち民衆の意思は実現できるのか、という根本的な問いです。もちろん、だから、選挙や国民投票なんてくだらない、とそっぽを向く訳ではなく、その限界を理解しつつ、どう選択するか、ということです。

 チェ・ゲバラも、『ゲリラ戦争』の中で「政府がなんらかの形の人民投票によって権力につき、-その投票が欺瞞的なものであろうとなかろうと-少なくとも表面上は、合憲性を保持している場合には、ゲリラ活動を開始することはできない。なぜなら平和的闘争の可能性がまだ完全にはなくなっていないからである。」と述べています。

 世界中で選挙によらない、民衆の直接行動=蜂起、革命が一挙に吹き出しています。必ずしもゲリラ戦である必要はないと思いますが、我慢の限界というか「平和的闘争」の限界がそろそろ見えてきているのは感じます。

 国家や資本側も限界を感じているが故の改憲情勢だと思います。

 ということで、まずは、言論による「平和的闘争」を。たかが改憲、されど改憲。しかし、私たちと子どもたちの人生を決める選択になるかもしれません。戦争反対=改憲阻止で行きたいと思います。
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