新井章弁護士と内田剛弘弁護士もずっと出席されています。素晴らしい先輩方で、このような先輩方と同席出来ることを心から光栄に思います。弁護団には環直也弁護士もいらっしゃいますが、最近はなかなか出席はされていません。環先生の行きつけの新橋のバーで、深夜まで飲んでいたのがついこの間のようなのですが。
先輩弁護士たちは、私が法律を勉強しているときに学んだ多くの「判例」に関わってきた方々です。結構、猥褻事件(!)も多いのですが、それは、ある時期、「表現の自由」の問題がそこに焦点化したからでしょう。「チャタレー夫人の恋人」「悪徳の栄え」「愛のコリーダ」(内田先生は大島渚さんと大学の同期)などの弁護人です。
新井章先生の関わった事件だけでも、
東京都公安条例事件(最大判昭和35年7月20日)
家永教科書裁判
(第一次訴訟・最判平成5年3月16日)
(第二次訴訟・最判昭和57年4月8日)
(第三次訴訟・最判平成8年8月29日)
朝日訴訟(最大判昭和42年5月24日)
牧野訴訟(東京地判昭和43年7月15日)
堀木訴訟(最大判昭和57年7月7日)
旭川学テ事件(最大判昭和51年5月21日)
全逓東京中郵事件(最大判昭和41年10月26日)
東京都教組事件(最大判昭和44年4月2日)
全農林警職法事件(最大判昭和48年4月25日)
砂川事件(最大判昭和34年12月16日)
恵庭事件(札幌地判昭和42年3月29日)
長沼ナイキ事件(最判昭和57年9月9日)
百里基地訴訟(最判平成元年6月20日)
学生無年金障害者裁判東京訴訟(最判平成19年9月28日)
というところで、まさに、戦後史そのものです。
先生方は、皆、穏やかで、いわゆる紳士であり、学者肌です。教養豊かであり、決して「法匪」ではありません。私の中の「古き良き弁護士、闘う弁護士そのもの」です。「司法改革」が狙ったのはある意味、こういう弁護士のあり方を潰し、ビジネスの世界に弁護士を叩き込むことにあったと思います。
この先輩たちの知恵、弁護士としてアティチュードみたいなものを引き継ぎ、若い弁護士にも継承したいものです。
