走ると、その間は、自分だけの世界になります。だんだん、ノイズは消えていき、自分との対話、というか、勝手にいろんなことが思い浮かびます。
あるようでない一人になる時間。走りながら、「自分」が乗り物に乗って居るような感覚にもなります。実際、「自分」つまり「魂」が「身体」という乗り物に乗っているのが人生かもしれません。
「情報」もダイエットした方がいいのかもしれません。というか情報こそ。
情報も贅肉もしぼってこそ、魂と身体に「感覚」が訪れるのかなあと思います。
「空気(=情報)を読みながら批判を受けないように安全に無難に生きる」というのは何だかねえ・・・。もちろん、出る杭は叩かれます。何度も、何度も叩かれる・・・だけど、叩かれることのない杭は存在の意味はないでしょう。けど、叩かれているうちに仲間も出来ます。誰かが見ています。
信頼出来る仲間と向かい合って語り合うことが、最もよい情報の共有の仕方だと思います。
