まさに宇宙に近い場所で、何ヶ月も体を慣らしながら、アタックをかけ、さらには、自分の声に従って諦めるという経験もあり、との話。また、雪崩に飲み込まれ、人生がまさに走馬灯のように頭を駆け巡り、自分の遺影まで見えたとき、暴れて雪の上に顔を出して行きのびた経験などなど。
しかし、とても、穏やかな雰囲気の方でした。今は、人と一緒に、自然の中に身を置く、というスタイルの登山をやっているとのことでした。
自分の声、自分の中の違和感を大事にする、という話が印象的でした。世俗にまみれた日常では、そういう自分の声なんて聞こえもしません。そもそも、声を出せるのかも怪しくなる・・・。
じゃあ、山に入ればいいのか、という単純な話ではないのでしょう。しかし、時に耳を澄まして、意識して、自分の声に耳を傾け、選択することは必要なのでしょう。
何を信じるか、というのは、法律家は、時に迫られます。そのとき、論理的な直感力みたいなものは、やはり必要なのではないかと感じます。
