小森まなみさんのサインとメモリアルブック
声優・歌手・作家・ラジオパーソナリティ、小森まなみさんが、2024年3月末をめどに、第一線から身を引かれるという。
ご本人が決断されたことゆえ、ファンの身としては、しずかに受け止めた。
ファン歴の約20年をまとめるのは簡単なことではないが、今メウビッシュが思う小森まなみさんのすべてを、ここに総括したい。
リスナーの自死、小森まなみさんとの初めての会話、番組終了への抗議(小森まなみさんを泣かせてしまった話)など、じっくり語っていくつもりだ。
古参・新参リスナー問わず、小森まなみさんについて何か知っていただく機会となれば、幸甚(こうじん)である。
衝撃の出会いは、私が20歳のときにさかのぼる。
小森まなみのPop'n!パジャマEYE 衝撃の出会い
愛車のセドリック
当時私は、飲酒運転による追突ひき逃げ、車大破の人身事故に遭い、通院中の身であった。
被疑者は逮捕・起訴され、激怒した私は刑事裁判に出廷、法廷で意見陳述を行い、被告人は有罪判決を受けた。
通院の日々の深夜、何気なくつけたラジオから、やさしい声が流れた。
一度耳にしたら忘れられない、不思議な美声だった。
東北放送 1260khz 日 25:00~25:30
特徴のある声だったため、声関連の本業の方だと推察。
それが小森まなみさん、東北放送のラジオ「小森まなみのPop'n!パジャマEYE」だった。
番組に引き込まれていった私は、人生で初めて、手紙を書く。
そして衝撃を受ける。
小森まなみのPop'n!パジャマEYE ミッドナイトねすと
2000年12月31日 メウビッシュ
小森まなみさんが独自の視点でじっくりお便りを紹介してゆく、番組の人気コーナーが「ミッドナイトねすと」である。
人生の先達からつむぎだされる言葉は、教訓に満ちており、ねすとは心からたのしみだった。
20歳までの人生を手短にまとめた手紙を、つづってみた。
思春期の逡巡、中学や家庭内でのトラブル、10代の非行、恋愛やバイト、通院の身の近況など。
手紙はミッドナイトねすとで採り上げられた。
ラジオパーソナリティ・小森まなみさんから授かった言葉
人生で初めての手紙を番組の人気コーナーに採り上げていただいたことは驚きだったが、小森まなみさんには何度も驚かされることになる。
まなみさんは最後、こうおっしゃったのである。
影があるから光が光る 影が深いほど光が輝く
「そしてあの、先日ですね、あの日本を代表する、影絵作家の、藤城 清治さんというもう80歳の、おじいさまのね、私あの、講演会に行ってきたんですけど、そこで、藤城先生はですね、影があるから、光が光る、影が、深いほど、光が輝くと、言っていました。まさきくん、頑張ってくださいね」。
小森まなみのPop'n!パジャマEYE 小森まなみ
私は13歳で人生に絶望しており、暗い道を歩いてきた。
そんな自分にとって、小森まなみさんの存在、「影があるから光が光る 影が深いほど光が輝く」という言葉は、まさに光明であり、衝撃的な出来事であった。
2WAY コミュニケーション 心と心のキャッチボール
人生相談や身の回りの出来事など、小森まなみさんとの対話は、5年間、計5回に渡って、ミッドナイトねすとのコーナーで続くことになる。
時にはまなみさんがリスナーに私への激励(げきれい)を呼びかけ、反響のお便りが複数、番組へ寄せられたこともあった。
※宮城県遠田郡・ドリーミーまんまるカービィ氏 仙台市・まきんちゃんに、深謝します。
そのあたたかい放送は、忘れることができない。
強さと優しさは 涙から生まれるの
小森まなみ「夢のうぶ声」
ここからは、小森まなみさんの原点、ターニングポイントとなった、1986年の記憶に触れてみたい。
リスナーの自死 通称・O先輩事件
投稿者は、13~14歳の女子中学生のようにみえる。
彼女によると、同じ学校のO(オー)という15歳の先輩少年が自殺。
遺品のカセットテープに小森まなみさんのラジオ番組と曲が録音として残され、お昼の校内放送で葬送曲(そうそうきょく)として「FOR YOU -まみの子守唄-」が流れたのだという。
彼女にとってO先輩は見知らぬ他人であったが、訃報に接し、リスナー仲間だったことを知った、と。
ミンキー・ヤスさんは凍りつき、小森まなみさんは慟哭(どうこく)「ラジオじゃ無理なのかなぁ、うぅ……」という金切り声が、空間を切り裂いた。
これほど耳に残る魂からの叫び声を、私は聞いたことがない。
取り乱しているというよりも、混じりけがない、澄明(ちょうめい)な水のような、心の透き通った真っすぐな方にみえる。
「私だったら、この悩み、ラジオで読まれなくても、まみちゃんが読んでくれて悩みを聞いてくれたらと思うけれど」
mamiのRADIかるコミュニケーション O先輩事件・投稿者
O先輩事件は、小森まなみさんのラジオ人生を大きく変えた。
痛恨として心を痛め、このようなことが二度と起こらぬよう、リスナーへ、より真摯(しんし)に向き合う。
「レコードを操るディスクジョッキーだと勘違いされたくない。トークに重点を置き、言葉に想いを込めて大切に伝えていく人でありたい」というような意で、「DJ」ではなく「TJ (トークジョッキー)」を標榜された。
O先輩事件は作り話か
O先輩事件は作り事などという、いじわるな批判をどこかで目にした記憶がある。
ありえないのではないか。
アーカイブを聴いていると、あまりに生々しくリアルで、真に迫っており、ウソのほころび、不自然さが感じられない。
これが創作だとしたら、作者はよほどのストーリーテラーだといえる。
まず、フェイクな投稿をして何をしたいのかが、よくわからない。
愉快犯にでもなったつもりか?
百歩ゆずって作り話だとして、それがなんだというのだ。
小森まなみさんがこのことに本気で向き合った、その誠実な姿には、嘘がない。
トークジョッキー・小森まなみさんの印象
代々医師の家系でおられるという。
人を救うお役目でこの世に生を享けた方なんだと思う。
私は部屋から飛び出して叫んだ。
「だからずっと言ってるでしょ。医学部には行かないって」
「じゃあ、どうしたいんだ。お前は将来、何になるつもりなんだ」
「わかんないよ……。でも、でも。親の言いなりみたいな人生は、もういやなんだよ!」
小森眞奈美『どんまい魂(スピリッツ)』65頁 主婦の友社
医学の道には進まれなかったけれど、「心のお医者様」として、ラジオでその使命を果たされた。
小森まなみさんとは二度、直接言葉を交わしたことがある。
受けた印象は、腰の低い、謙虚な方だということ。
「美人・美声・やさしい・ピュア・ちょっと天然」
天然とはよい意味でのことで、「小森まなみのPop'n!パジャマEYE 10周年記念 公開録音」で、群馬県高崎市・ホーリーロード氏の「今年も燃え尽きて、炭(すみ)になっちゃいます」という速達に対し「一緒に炭になっちゃおうね、ふふ」という返答がなされ、会場から困惑とどよめきのような笑い声が起こった。
ご本人は真剣におっしゃるので、こちらはボケなのかツッコミなのかわからないのだ。
私はおもしろくて、好きな発言である。
その後「炭っていいんだよ」と、炭のよさが語られた。
時たまみせる天然っぽいふしもまた、小森まなみさんのひとつの魅力だと思う。
小森まなみさんとの初めての会話
初めての会話は、2004年11月13日。
東北放送 TBC ホールにて行われた「小森まなみのPop’n!パジャマEYE 10周年記念 公開録音」後の、サイン会にて。
前述の「ミッドナイトねすと」手紙採用のお礼を伝えに、イベントへ参加。
ステージは長蛇の列で、緊張していた。
メウビッシュ「こんにちは。ミッドナイトねすとで手紙を紹介してくださり、ありがとうございました」
小森まなみ「どんなお手紙?」
メウビッシュ「藤城 清治さんの言葉を引用してくださいました」
小森まなみ「あなただったの~、光と影のお話ね。元気だった~?」
感無量の瞬間だった。
小森まなみさんとの二度目の会話
サイン会で配布された小森まなみさんの手書き文
二度目の会話は、2005年8月20日。
アニメイト仙台店にて行われた、アルバム『Ride on Wave』発売記念イベントにて。
アニメや声優に興味のない私は、小森まなみさん関連グッズをゲットするためだけに、アニメイトへ通っていた。
トゥパック・シャクールのTシャツを着て葉巻を吸うメウビッシュ
サイン会にはマキャヴェリブランド(MAKAVELI)のTシャツに、オーバーサイズのジーンズという出で立ちで参上。
頭にはバンダナを巻いていたか、帽子を後ろかぶりだったか。
アニメイトの客層で一人浮いており、青二才、空気の読めない青年であった。
当日は愛車のステップワゴンでアニメイト仙台店隣の有料駐車場へ
挨拶とともに持参の手紙をお渡しし、ペンネームをみてとった小森まなみさんは「 まさきくーん、いつも車の写真送ってくれるよね。いつもキマってるよね。かつらちゃん(番組スタッフ)とも話してて〜」とおっしゃり、ポスターにサイン後「まさきくん、車で来てくれたんだよね? 帰り気をつけて」と、額に手を当て、敬礼のポーズをとってくださった。
番組の潮目
潮目が変わったように感じたのは、メール投稿が始まったころ。
江の島でのはがき供養に象徴されるように、小森まなみさんのラジオは1980年代から、手紙やはがきのぬくもりを大事にしてきた番組である。
ネット社会の台頭。
手書き文化のよさが失われていくのではないか、台風の目にラジオが飲み込まれてしまうのではないかと、危惧の念をいだいた。
変わらないこと 変わること
どちらが大切なんだろうね
小森まなみ「My Dear…」
時代に適応したという意味で、メール受付を否定はしない。
手書きがメールに埋もれていけば、どれもが同じような文面にみえ、個の喪失(そうしつ)と味気のなさは、加速してゆくだろう。
mamiのRADIかるコミュニケーション 番組終了への抗議
小森まなみさんの本・CD・ポスター
仙台は「mamiのRADIかるコミュニケーション」のネットワーク圏外であった。
雑音に苦しみながらも、番組の電波をキャッチし、雑音リスナーとして「ラディコミ」を聴取。
熱狂していた私は、小森まなみさん関連の本・CD・DVD は、ほぼすべて入手しており、コレクションのなかに『花伝社 ハートパニック』という番組本がある。
出版年の古さ(昭和61年・1986年)や発行部数の少なさから、幻の稀覯本(きこうぼん)として、マニアの間で知られている。
番組終了の報(2009年10月4日)に落胆した私は、この書籍の「ハートパニック リスナー証明書」を切り抜いて、抗議文とともに送付したのである。
一見さんではないことを、わかってもらいたかった。
ラディコミ初投稿の抗議文は、番組のハイライト「マミのきゅんきゅん」で採り上げられた。
小森まなみさんを泣かせてしまった話
エターナルカレンダー
ペンネーム・ゲンガー大王
ヤスさん、まみさん、初めまして。
最初で最後のお便りをさせていただきます。
僕は『ハートパニック』をもっているほどの昔からの大ファンなんです。
ヤスさん、まなみさん、なぜ、おやめになる?
みんなヤスさん、まなみさんが、大好きなんだよ。
ラジオに対する気持ちが揺らいでしまったの?
それとも、番組的なご事情なんですか?
もうこんなにステキなラジオ、トークジョッキー、TJ は、でてこないよ。
僕はここに抗議する。
僕はもうラジオ、聴かないよ。
10月4日の朝は近くまできた。
ラディコミの無期限リスナーであるために、そのあとは、ラジオをとめます。
小森まなみ「という、ゲンガー大王くん。ほんとに、熱烈なお便りありがとう。
えぇ、ちゃんとここにほらヤスさんリスナー証明書のね、あのう、ハートパニックの」
ミンキー・ヤス「あぁほんとだ」
小森まなみ「うん切り抜きを貼ってくれてありがとう。
あたしやね、ヤスさんがあの、やめたくて、やめると思う? ラジオに対する気持ちが揺らいだと思う?
そんなわけないよね。
今でも、みんなやラジオが大好きだから、終了までに、最高の時間をつくろうって、頑張ってるじゃない!
なぜ、終わるのかね、あたしにもよくわからない。だから、うまく説明できなくてごめんなさい。
でもね、言えるのは、あたしは、ラジオで生まれて育った、トークジョッキー、TJ だから、今でも、これからも、ラジオ全体の活性化を願ってるんだ。
だから、君にも、ずっとずっとずっとずっとずーっと、おじいちゃんになるまでラジオは聴き続けててほしいのよ。
あたしだってそうだもん。ずっとずっとずっとずっと好きでいるもん。
ねぇ、こんなに、ステキなメディアを、みんなが、広めなくて、誰が広めるの?
ラディコミリスナーで、ね、私の言葉の遺伝子を受け継いでくださるみんなだったら、ラジオの活性化、ね、一緒に力を、貸してくださいね。好きでいてね」。
mamiのRADIかるコミュニケーション 小森まなみ ミンキー・ヤス
この抗議で小森まなみさんは少し、泣き出してしまう。
マミのきゅんきゅん以降、番組終了までの約2分半、時たま嗚咽(おえつ)を漏らしながら、エンディングまで話し続けた。
尊敬する小森まなみさんを泣かせてしまったことで、ショックに見舞われた。
熱烈さゆえということで、勘弁いただきたい。
14年間の空白
ラジオへ手紙を書いたのは、2009年が最後だったような気がする。
ようやく落ち着いて聴いてみるつもりになったところで、番組が終了していた。
2019年9月22日「東海ラジオ開局60周年記念・mamiのRADIかるコミュニケーションスペシャル」にてカムバックされたものの、2023年10月15日、自身のご活動を
マイクオフされることを発表。
小森まなみ ジュエルプロジェクト 思い出の一曲
みんなのリクエストで構成されるという、小森まなみファイナルベストアルバム『JEWEL』。
14年ぶりの手紙で、3曲応募。
JEWEL は小森まなみさんの軌跡を改めて知る、よい機会だと思う。
新曲「JEWEL~君と歩いた青春〜」以外の楽曲はすべて手元にコレクションしているので、楽曲セレクトの構成に異論はないけど、どんな想いを込めて小森まなみさんがリクエスト曲をチョイスされたのか、興味は尽きない。
まみバディ 18年ぶりの再会
ジュエルプロジェクトは、マミ姉とリスナー、ファンのみなさんとの笑顔があふれる同窓会になればいいなと思います。
筆者のこのブログ記事に目を通したという方(
サボテンレッドさん)から、メッセージをいただいた。
驚いたことに、私が参加した2004年11月13日の公録、2005年8月20日のサイン会に、同席していたという。
面識はなかったけど、イベントのどこかですれ違った可能性がある。
小森まなみ女史 不在の未来
封書やハガキのぬくもりを知っているラジオパーソナリティは、今後でてこないのではないか、という不安はあるけど、明るい話題もみえる。
その後継を、「声優になる前からずっと小森まなみさんに励まされてきた」という、
松嵜 麗さんが引き継いだことは、知られている。
番組のイベントで「ハロウィンくん」として戦隊もののコスプレなどで話題になったリスナー、
小松 利昌さんは、俳優としてご活躍中。
小森まなみジュエルプロジェクトにおいては、まみリスナーでありキングレコード社員の方が企画・立案を担当されたとのこと。
ラジオ石巻「〜Buddy's Radio〜」
あおきえみさんがパーソナリティを務める小森まなみ特番「〜Buddy's Radio〜(2024年1月1日放送)」を聴いてみた。
あおきさんは凜(りん)とした落ち着いた方で、声のトーンやテンポが心地よく、話が聞き取りやすい。
リスナーの秘話にあいづちを打ち、深くうなずく姿は、「小森まなみ愛」にあふれている。
サボテンレッドさんのリクエストが読み上げられた。
「この場を借りて、小森まなみさんにお礼を伝えたい」というメッセージ。
リクエスト曲は「Fight! ~最後の天使~」。
番組をアセンブルリゾリューション(AsR 高橋直純 小森まなみ)の曲「じゃあ またね」で締めくくった、あおきさんの粋な選曲。
ラジオのよさを思い出させてくれる、あたたかい放送であった。
小森まなみスピリットは受け継がれている。
まとめ
今日、あなたがあの人のことを想っているのと同じに、あなたのことを想ってる人も、必ずいるのです。
それから長い歳月の経過があったが、「令和」の現在も、小森まなみさんへ思いを馳せている。
人生の旅路、山の頂上へいたるには、滑落の危険や、予期せぬアクシデントもある。
1年前、打ちのめされた私は、男性と女性の目の前で、ヒザからその場にくずおれた。
ベッドに入り、目をつむると、自然と涙がこぼれた。
「俺の人生はもうおしまいだ……」
そんなとき、いつも支えとなった、小森まなみさんの言葉がある。
最後にその言葉を今一度、みなと分かち合いたい。
「影があるから光が光る 影が深いほど光が輝く」
一通の手紙で、人生が変わった。
ラジオスター・小森まなみさんは、本当にすべてのお便りに目を通していることがわかる、唯一無二のラジオパーソナリティであった。
2023年12月20日 宮城県仙台市・メウビッシュ
公開日:2023年12月20日
更新日:2024年7月10日