先日、台湾映画『セデック・バレ』を巡る台湾学会の学術シンポジウムに参加して気がついたことがあった。ここにそれを記しておきたいと思う。
1930年に台湾山岳地帯で起こった台湾の先住民族セデックによる日本への武装蜂起事件「霧社事件」を壮大なスケールで描いたウェイ・ダーション監督の台湾映画『セデック・バレ』を史実に基づく歴史映画として真面に扱うことを私は如何なものかと考えている。
もちろん、それは史実を描いていないとか、細かい描写の部分で実際の歴史と違っているかとかそういった瑣末な部分での考察のことを言っているのではない。
『セデック・バレ』は「霧社事件」を描いた映画であると誰もが信じているために我々はこの映画の存在に翻弄されているのではないかという疑問である。
この映画を詳しく観てゆけばウェイ・ダーション監督が「霧社事件」を撮りたかったわけではないのではないかという思いに駆られる。
私自身はこの映画を初めて鑑賞した時に黒澤明の映画を連想した。
それは単にその時受けた印象にしか過ぎず、何ら根拠があった訳ではない。
ただ単に黒澤っぽい映画だなと感じただけである。
実はこの感覚は間違ってはいなかった。
ウェイ監督は黒澤明をしっかり意識していたのだ。
台
湾映画『セデック・バレ』の監督、ウェイ・ダーションの処女作『海角七号』が「7」という数字に拘っていることは映画評論家によって指摘されていることで
ある。『海角七号』ではタイトルが示す、日本植民地時代の住所の番地が「7」。主人公たちのポンコツバンドのメンバーの数が「7」。劇中象徴的に現れる虹
の色が「7」。こうした「7」の拘りは、やはり評論家たちから『海角七号』が制作される以前に既に脚本が完成していた『セデック・バレ』で劇中語られる
「虹の橋」と関連付けれている。両作に虹が登場することを含めて「7」へのウェイ・ダーションのこだわりが指摘されているのである。
『海角
七号』の「7」へのこだわりが『セデック・バレ』の虹から来ていると考える事は可能でも、少々説得力にかける。ウェイ監督はキネマ旬報でのインタビューで
この関連を認めてはいるが、私はこの「7」がどこから来たのかについて考えていた。その答えは映画『セデック・バレ』の中にあった。映画『セデック・バ
レ』の中には実のところ黒澤明監督の1954年の映画、日本映画史上不朽の名作とされる『七人の侍』のオマージュや影響が随所に見られる。
マ
ヘボ社(主人公モーナ・ルダオらの集落)のセットを組んだ美術監督の種田陽平は雑誌でのインタビューに次の様に語っている。
「マヘボ社の村は『七人の侍』の村を、霧社街は『用心棒』に出てくる宿場町のメインストリートをイメージして作りました。黒澤(明)組に参加する
チャンスはなかったけれど、『用心棒』と『七人の侍』の二本を撮るような意気込みでやってみようと。美術部も、『用心棒班』と『七人の侍班』に分けまし
た。」
(『台湾映画『セデック・バレ』種田陽平美術監督インタビュー』, 東京人june2013, 都市出版 2013,
p102)
このインタビューからも分かる様にセット自体も黒澤明監督の映画『七人の侍』と『用心棒』を意識していたことが分かる。しかし、これは単に美術
監督だった種田陽平の設計思想だけであって、ウェイ・ダーションが黒澤明の映画セットのイメージを欲したのかどうかかは判断がつかない。ところが、ウェ
イ・ダーション監督がはっきりと『七人の侍』を意識したことが分かるオマージュが幾つか本編の中に見つけることができる。
以下、『七人の侍』のシーンを挙げて、『セデック・バレ』での酷似したシーンを箇条書きにしてみよう。
1.菊千代(三船敏郎)が暗闇の中へ薪の木を放り投げてその光で潜伏する野武士を発見し百姓と共に撃退する。
(蜂起したセデック人に対して警戒し野営する軍警察部隊。その中の後藤警部が焚き火の火を闇に投じて、で夜に隠れたセデック人を発見し一斉射撃する。)
2.侍の最年少者岡本勝四郎(木村功)が伝令として各陣地から陣地へ駆け回る。
(霧社蜂起軍の少年、パワン・ナウイが各蜂起部隊の陣地の伝令となって駆け回る。)
3.島田勘兵衛が分裂しそうな百姓の戦闘部隊へ戒めの力強い演説を行う。
(蜂
起軍が制圧した霧社の街で、日本の飛行機の飛来に驚いて各々、空に向かって射撃を始める戦士たちに、モーナ・ルダオが戒めのための演説を行う。)
4.村の裏山の原生林でのゲリラ戦
。野武士から火縄銃を奪う侍たち。(山岳ゲリラ戦に加えて日本軍の重機関銃を奪うセデック人たち。その重機関銃をパワン少年が陣地から陣地へと運ぶ)
5.
最終決戦は百姓の村へ野武士を騎馬を全て引き入れての入れての白兵戦と殲滅戦。(モーナたちの蜂起軍が最終決戦で日本軍に占領されたマヘボ社に一斉に突撃
し白兵戦で日本軍を殲滅撃退する。ここでは『七人の侍』の野武士と侍のの立場は逆転している。)
6. 映画最後の島田勘兵衛(志村喬)の「勝ったのはあの百姓たちだ。我々ではない。」という台詞。
(映画最後の鎌田弥彦少将の最後の台
詞、「三百人の戦士が数千人
の大軍に抵抗して戦死しない者は自決したとは。私は100年前に失った、日本から遥かに遠いこの台湾の山岳で我々大和民族が100年前に失った武士道の精
神を見たのだろうか。」:映画以前に出版されていた『セデック・バレ』の小説版では「我々はこの戦争に敗北したのだ。」と言っている。)
ざっと挙げてみてたがウェイ・ダーション監督が黒澤明の『七人の侍』を意識していたことは明白だ。特に5は重要なポイントで、実際には山岳部の山深く潜伏
してゲリラ戦を展開したセデック人なのだが、映画のようにマヘボ社で派手な白兵戦の大決戦を描き出さねばならなかったのは、単に『七人の侍』の野武士対侍
の決戦を描きたかったのに違いない。
『七人の侍』のクライマックスを『セデック・バレ』のそれに取り入れんがためであったと考えられるのである。
『セデック・バレ』における日本軍兵士や警官たちは『七人の侍』における侍たちに次々と倒されていく野武士以外の何ものでもない。
ウェイ・ダーション監督は相当に『七人の侍』をリスペクトしていたに違いない。
そのこだわりが『海角七号』の「7」へのこだわりヘまで発展したのではないだろうか。七人の侍が結集する、強者の集まりは『海角七号』のポンコツバンドの七人のメンバーの集結と呼応している。
ウェイ監督は『七人の侍』を撮りたかったのである。『セデック・バレ』の虹の七色と『海角七号』の虹が対応しているのは確かである。
しかし、それ以前に基底にあったのは『七人の侍』なのだ。
ウェイ監督が『セデック・バレ』で『七人の侍』を意識していたのだとすれば、人間ドラマを重厚に描きつつも過剰なアクションと暴力描写をダイナミックに取り入れた事は至極当然であったと考えられのである。
また、指摘を受けている『セデック・バレ』で女性に関する描写が少ないといったジェンダー的な問題も『七人の侍』があくまでも典型的な男性映画であったことを考え合わせれば容易に理解される点である。
前半が重厚な人間ドラマ、後半がアクションドラマとなる構成もやはり『七人の侍』の構成と酷似している。
来
日の折にも各映画雑誌のインタビューでもウェイ監督は『七人の侍』や黒澤明の映画については一切語っていない。これほどまでにも黒澤作品に対してリスペク
トしているウェイ監督が日本に来て、黒澤映画について語っていないのが不思議であるが、これは黒澤作品のオマージュに過剰に反応する黒澤プロダクションの
存在が影響しているのではないかと思う。
HNK大河ドラマ『宮本武蔵』で『七人の侍』に酷似した描写が出てきた件で黒澤プロダクションが
HNKに対して盗作問題として抗議したことは我々の記憶にも新しい。それにディープな映画ファンなら気がつくであろう、こうした『七人の侍』への過剰なオ
マージュを気がつかない一般観衆に対してわざわざ手の内を見せるはずもないではないか。
私が考えるには、『セデック・バレ』に対する『七人の侍』の影響は
「オマージュ」の域を超えていると考えずにいられない。極端に言えばウェイ監督は自分の『七人の侍』を撮りたかったのである。
歴
史家がこの映画に対して違和感や齟齬を感ずるとすれば、それはウェイ監督が単純に「霧社事件」をアクション映画化したために起こったものではなく、『七人
の侍』を作ろうとしたことによる齟齬なのである。我々は歴史映画として『セデック・バレ』を取り扱おうとすればするほど、戸惑いを感じるだろう。それは実
のところはウェイ監督が「霧社事件」を映画化したかったのと同時に、何よりも『七人の侍』を撮りたかったという単純な事情が存在していると思えたならな
い。
映画『セデック・バレ』を解き明かすための最初の鍵は『七人の侍』であり、まずは『七人の侍』の作品世界を観察しなけ
ればならない。それによって、『セデック・バレ』が何であるかが明白になり、「霧社事件」との関係との違和感を生んでいる原因を特定できるのではないだろ
うか。
執筆:永田喜嗣