アメリカの映画「スターウォーズ」シリーズに登場する敵役「銀河帝国軍」は多分にドイツ的でありナチス的である。銀河帝国軍の機動歩兵ストームト ルーパー(全身白いプロテクターで覆われた兵士群)はStorm trooperと表記される。Storm trooperはドイツ語のStosstruppの英語訳であり、ドイツの突撃歩兵を表す。

またStorm trooperはチャップリンの『独裁者』でそうであったように、ナチ突撃隊(SA)のSturmabteilungの訳語として使用されることもしばしばある。

いずれにせよ、Storm trooperはドイツ語から出てきた言葉であり、「スターウォーズ」の銀河帝国軍がドイツ的あるいはナチス的な存在であることは確かだ。

 

銀河帝国軍の将校はカーキ色の制服に身を包み、遠い未来の宇宙時代であるにも関わらず宇宙船の中も戦闘においても殆ど機能的ではない乗馬ブーツを着用している。

第 二次世界大戦、ドイツの将校は終戦まで乗馬ブーツを着用することを常とした。機械化された戦車を含む機動自動車部隊による電撃戦という新しい時代の戦術を 生み出したにも関わらず、ナチスドイツ軍の将校たちは騎兵の思想や実際に軍馬を運用する戦法が過去のものになったことを承知しながらも、意味もなく伝統と しての乗馬ブーツに固執していた。

第二次世界大戦中、このように近代戦において乗馬ブーツに拘ったのは枢軸側ではドイツ、イタリア、日本で あったが連合国側ではソビエト連邦を除いて殆ど見られない。「スターウォーズ」における時代錯誤的な将校の乗馬ブーツ使用はこうした第二次世界大戦におけ る枢軸軍のそれと符合している。

 

「スターウォーズ」シリーズが第二次世界大戦におけるファシズムとデモクラシーの戦い、とりわけファシスト対パルチザンという図式をもった寓話であるなら、銀河帝国軍はStorm trooperや乗馬ブーツが示す通りナチスドイツをモデルにしている。

 

「ス ターウォーズ」シリーズのエピソード4に当たる、実質の第一作目になる映画『スターウォーズ』では帝国軍のダース・ヴェイダーとデススターの司令官、グラ ンド・モフ・ターキンが登場する。この二人のキャラクターは延々と続いてゆくこのシリーズでは重要な存在である。第一作目の『スターウォーズ』ではダー ス・ヴェイダーをデビッド・プラウズ、グランド・モフ・ターキンをピーター・カッシングが演じた。

二人の間に共通するポイントは英国の映画俳優であるという点である。

 

デビッド・プラウズとピーター・カッシングは『スターウォーズ』以前にイギリス映画『フランケンシュタインと地獄の怪物』(テレンス・フィッシャー監督)で共演している。

この映画ではカッシングがフランケンシュタイン男爵、プラウズが怪物を演じた。

イギリスの映画製作会社ハマー・プロダクションの制作である。ハマー・プロは数多くのホラー映画を制作した会社として有名で、特に知られているのが怪優クリストファー・リーのドラキュラ・シリーズと、ピーター・カッシングのフランケンシュタイン・シリーズだ。

 

ハマー・プロは7本のフランケンシュタイン映画を制作し、そのうち6本でピーター・カッシングはフランケンシュタイン男爵を演じている。

また『スターウォーズ』でダース・ヴェイダーを演じたデビッド・プラウズは2本に出演しフランケンシュタインの怪物を演じている。

1950 年代から1970年代にかけてB級ホラー映画とSF映画を世界でリードし続けたハマー・プロの俳優2名を主要キャスティングに据えるあたりはジョージ・ ルーカスが巨額の制作費を投じた『スターウォーズ』にあくまでもB級映画としてのテイストを追求していたことが伺える。

 

興味深いのはルーカスがピーター・カッシングとデビッド・プラウズというこの2名の英国俳優を銀河帝国軍の幹部役に据えたことである。

 

銀河帝国軍がナチスドイツのメタファーであるならば、ストレートにドイツ人俳優を起用すれば良い。その方がわかりやすいし、『スターウォーズ』が制作された時点でドイツ系の国際俳優は幾人もいたし、彼らはハリウッドでも活躍していた。

ハリウッドでの知名度での一軍俳優ならクルト・ユルゲンス、マクシミリアン・シェル、ゲルト・フレーベ、ヴォルフガング・プライスなどなど、二軍俳優ならヨアヒム・ハンゼン、アントン・ディフリング、クラウス・キンスキー、ハンス・ホルストなどである。

しかし、ルーカスはドイツ人俳優を起用していない。ナチスドイツのメタファーとしての銀河帝国軍には英国の俳優を起用したのである。

もちろん、戦後のB級ホラー・SF映画の大御所としての英ハマー・プロという存在があるので、英国人俳優を起用したのはドイツ人俳優を起用するよりも意義深かったのかもしれない。

 

ただ、気になるのはナチスドイツのメタファーとしての銀河帝国軍の幹部役に英国人俳優が起用されたという事実である。

 

こ こにはハリウッド=アメリカのファシズムとナチズムに関する驚くべき勘違いが作用している。例えば1970年代に人気を博したテレビシリーズ『ホロコース ト』で、親衛隊のNo2のボスであったラインハルト・ハイドリヒ長官を演じたのはイギリス人俳優デビッド・ワーナーで、彼はその後『ヒトラーSS』という テレビ映画でも同じ役を演じた。

 

ジョン・フランケンハイマーの名作『大列車作戦』でバート・ランカスターの主人公の敵役となるドイツ軍将校を演じたのはポール・スコフィールドでイギリスの俳優である。

 

ナチの残党の暗躍を描いたフランクリン・J・シャフナー監督の『ブラジルから来た少年』でナチ残党幹部を演じたのはジェームズ・メイスンでイギリス人俳優だ。彼は『砂漠の鬼将軍』と『砂漠の鼠』でそれぞれロンメル元帥を演じている。

 

ブルース・ウィルス主演のアクション映画『ダイ・ハード』でドイツ人テロリストのリーダーを演じたのはアラン・リックマンで、彼はイギリスの舞台俳優である。

 

スティーヴン・スピルバーグの名作『シンドラーのリスト』でナチ親衛隊の強制収容所長、アーモン・ゲートを演じたのはレイフ・ファインズである。彼もまたイギリスの舞台俳優である。

 

ジョン・スタージェス監督の『鷲は舞い降りた』でドイツ軍落下傘コマンド部隊の隊長シュタイナー少佐を演じたのはマイケル・ケインであり、彼もまたイギリスの俳優である。

 

近年ではトム・クルーズ主演の『ワルキューレ』で反ヒトラー派のトレスコウ将軍をケネス・ブラナーをが、同じくベック将軍をテレンス・スタンプが演じており、共にイギリスの舞台俳優である。

 

こうした例を挙げ続けると恐らくキリがない。

 

ヨーロッパの映画監督はこの様な感覚は持っていない。

例えばハリウッドとフランスの合作映画『パリは燃えているか』のフランス人監督、ルネ・クレマンはドイツ軍人役には全てドイツ人俳優のキャスティングを行った。

イギリス人がドイツ人を演じることはフランス人のクレマンにとっては「有り得ない」ことだったのであろう。

 

ハリウッドはナチ的、ドイツ的なものにイギリス人を当てはめようとする傾向がある。

ヨーロッパの感覚からすればドイツ=イギリスという様な感覚はやはり「有り得ない」。

 

な ぜ、アメリカのハリウッドがナチスやドイツを表彰するのにイギリス人俳優を多用するのだろうか。イギリス人がアメリカ人の公用語と同じく英語を母語にして いるから、よりヨーロッパ的な雰囲気を表現するためにドイツの借り物としてイギリスを応用していると考えるのが妥当だろう。しかし、どうしても気になるの がハリウッドのイギリス=ドイツの同一視という感覚である。

 

ハリウッドの異端児であるクエンティン・タランティーノはこう したハリウッドの思考に抗して『イングロリアス・バスターズ』ではドイツ人役に一切イギリス人俳優を起用せず、全てドイツ人俳優をキャスティングした。如 何にもタランティーノらしい反ハリウッド的スタンスである。

 

ハリウッドのナチスドイツを表象するためにイギリス人俳優を起用するという態度は実はハリウッドにとっての最大の敵であるナチスの思想を肯定してしまうものである。

 

アングロ・サクソンにドイツ的なものを誤解であってもハリウッドが嗅ぎ分けて求めるならば、それはヒトラーの人種主義的思想を支持してしまうことにもなる。

アングロ・サクソンという言葉はドイツ語でアンゲル・ザクセンである。

Angelとは釣りをするという意味である。

アンゲル・ザクセンとは「魚釣をするザクセン人」という意味で、ザクセンはドイツの一地方を指す。

イギリス人はゲルマン人であるザクセン人が民族大移動の時期にドーバー海峡を渡りブリテン等に達したものであり、その祖はゲルマン人にあるとされている。

もちろん、これは歴史的には正しいことだ。

英語はオランダ語、ドイツ語と共に西ゲルマン語族に属するものであり、イギリスは言語的にはゲルマン文化圏に属する。

しかし、それを持ってイギリス=ドイツと考えるのは余りにも乱暴である。

アングロ・サクソンはゲルマン人を祖としていても今やゲルマン人では有り得ずイギリス人なのであるから。

 

1930年代の西ヨーロッパのナチ化の中でもイギリスは早い時期からナチ化を頑強に拒んだ国である。

イ ギリスファシスト同盟のオズワルド・モーズリーの運動も早い時点でイギリス国民からは受け入れられず、ナチ運動は頓挫した。イギリスはゲルマン人を祖とし ながらもなナチ的ではない国家であり国民なのである。イギリス=ドイツを主張したのは誰であろうナチズムの創始者であるアドルフ・ヒトラーである。

イギリスのダンケルクの敗走後もヒトラーはイギリスにゲルマン性とアーリア人種性を認め「ドイツの本来の敵ではない」として全面衝突を避けようと外交工作を行っていたことはよく知られたことだ。

 

イギリスのなのかにドイツ性を嗅ぎ取ることはある意味でヒトラーのナチズムの一端を支持することになる。

 

ハリウッド映画がナチスドイツを表象するのにイギリス人を起用することはイギリス人=アーリア人というヒトラーの根拠のない言説を暗黙のうちに肯定していることになる。

 

ホロコーストの最大の被害者であるユダヤ人の力によって支えられ、21世紀の現在も反ナチという態度を崩さずに延々と反ナチ、反ホロコースト映画を制作し続けているハリウッドが無意識のうちにヒトラーの言説を支持してしまってるという矛盾と皮肉を感じずにはいられない。

 

おそらく、ハリウッドは今後もナチスドイツを表象するにあたってイギリス人俳優を起用し続けるだろう。

 

それが、何を意味しているかを深く考えることもなく。

 

タランティーノの様な映像作家は極めて稀で少数派であるから。

 

映画『スターウォーズ』の銀河帝国軍幹部のキャスティングにおけるピーター・カッシングとデビッド・プラウズという英国人俳優の存在は、このハリウッドの無意識の矛盾に関する一つの例であると私は感じている。




 

カメレオンマン。

周囲の環境に合わせてどんな人間にでも化けてしまうという病を持ったユダヤ人の男を描いた奇妙な映画。

それが『カメレオンマン』である。

1930年代、アメリカに住むユダヤ系小市民ゼリグ(ウッディ・アレン)は自分の身を守るために周囲に溶け込もうとするあまり自らの容貌や人格を変えてしまうという奇妙な病気を持った男である。

 

突然、精神科医になったり、また労働者になったり、小説家になったりする。

どんな職業でもカメレオンの様に模倣して成りきってしまう。

 

映画『カメレオンマン』は1930年代のニュース映像や記録フィルムを多用して、その中に合成でウッディ・アレンが演じるゼリグをはめ込むという特異で斬新な構成をとっている。

 

実在した著名人が何人も登場し、映画はゼリグを追ったドキュメンタリー映画として構成されている。

ベーブ・ルースやフィッツジェラルドなどなど、果てはローマ法王やヒトラーまで、ゼリグは肩を並べて画面に登場する。

回想シーンや証言シーンになると、アーヴィング・ハウなど実在の評論家や小説家が自身の役で登場し、ゼリグに関して解説するという凝り様だ。

 

この映画の言わんとするところは簡単に言えば「ユダヤ人」とはどういう人物かということである。

ア レンはそれを自身で自虐的に表現しているのだ。どんな国籍にでもどんな職業にでも順応し、変身することが出来るというカメレオンマンの特異体質はそのまま ユダヤ人の特徴としてオーヴァーラップしている訳である。ユダヤ人が各所で馴染んで同化しているのはゼリグと同じように「身を守るため」姿を変えている、 それが出来るのだと言っている訳だ。

このように解説してしまえば凡庸で何も面白くはない。

 

なるほど『カメレオンマン』とはそういった主題の映画ではある。

 

しかし、アレンの視線は主人公ゼリグよりもゼリグが溶け込んでゆく環境にいる人びとに注がれている様にも見える。

確かに特異体質のゼリグは超人的な力で成りきり変身を行う。

彼は世界でも珍しいカメレオンマンなのである。

だが、そのカメレオンマンを巡る周囲の人びと「大衆」を見れば彼らこそが更に巨大なカメレオンマンであるというのがこの映画の最も興味深いアイロニーなのだ。

 

ゼリグは大衆に応えて変身するが、大衆もまた大衆のままカメレオンマンに応えて無意識に変身してしまう。

実はゼリグが周辺環境に対して変身しているのではなく、大衆がゼリグに対して変身を繰り返しているのだという奇妙な視点が発見できる。

 

大衆の変身によりゼリグは運命に翻弄され苦悩することになる。

大衆はマスコミの影響を受けて、あるときはゼリグに関心を寄せ、賞賛し、同情する。しかし、ゼリグの行状によってあっという間に非難する側に周りゼリグを社会の寵児から転落させ、追い払い失踪へと追いやる。大衆はものの見事に一色化して変身を遂げる。

 

それはゼリグのカメレオンマンとしての一個人の変身能力よりも遥かに無数で大規模に変身を遂げるのだ。大衆に追われて失踪したゼリグはローマ法王庁に同化し、更に1933年のドイツに行きナチスに同化する。

ユダヤ人がローマカトリックやナチスに化けてしまうという辺りはアレンらしいアイロニーであり、ユダヤ人が常に置かれている立場をよく示しているものだ。

 

劇 中で、識者が登場し、ゼリグにとって画一化されたナチスは最も同化するのに適した環境だったと語られる。ナチスに同化したゼリグは主治医であり恋人でもあ る精神科医ユードラ・フレッチャー(ミア・ファロー)に発見され、ゼリグはユードラと共にナチスドイツから曲芸飛行さながらに奪った軍用機で脱出、アメリ カへ帰還する。

大衆は自分たちが追い払ったゼリグを再び時代の寵児、英雄として祭り上げる。

 

ニューヨーク市内を凱旋パレードを行うゼリグ。

 

このラストシーンからアレンの声が聞こえてくるかの様だ。

「カメレオンマンのゼリグなんて目じゃないよ。いちばん主体性がなく流動的なカメレオンマンは今、この映画を観ているあんたたち大衆そのものなんだ。」と。

 

『カメレオンマン』はユダヤ人とは何かという事をコメディという形で表した様に見せかけながら、実は痛烈な大衆批判を行う映画である。

 

その中心は資本主義社会のアメリカの大衆であり、マスコミであり、またはキリスト教中心主義のローマカトリックの大衆であり、または全体主義のナチズムの大衆である。

 

ゼリグの周辺には絶えず切れることなく大衆が存在し、それはゼリグ同様、見事に自らを守ろうとカメレオンとなって変身を繰り返す。画一化されながら。

 

カメレオンマンとしての大衆が与える社会的影響の大きさとその害毒をアレンは捉えて止まない。

 

なるほど、やはり、ウッディ・アレンとはまさに天才の器を持った社会派映画作家であることは間違いない。




拝啓

英霊と呼ばれる皆様へ

 

あの戦争が終わって果たして何年がたったのでしょうか。

 

数えてみれば69年間も経っています。

 

それは人が生まれて物分りのいい老人になるほどの時間の流れです。

 

そして、あなたたち英霊と呼ばれる人はその時の流れに何一つ語ることも許されないのです。

 

あなたたちが何も語れないというのは、私たちの幻惑でしょう。

 

あたたたちは既に語る口も、考える頭も、肉体すら64年前にどこかに置き去ってしまったのですから。

 

既に心という不可思議な存在すら、あなたたちは私たちの生きる世界には置いてもいないのですから。

 

あなたたちの心が生きているなどと考えるのは私たちの感傷にしか過ぎません。

 

死亡率100%という人間のたった一つの保証は、

 

その時が来るのを待つという当然の摂理の中で、

あなたたちはその時間を巻き取られるかのように縮めてしまったのですから。

 

誰かに縮められたのか。自ら縮めてしまったのか。

 

罪は誰にあるのか。自らの罪なのか。

 

恐らくはあなたたちがこの世から消えてしまった後年に生きた人々は

 

いろいろと想像を巡らしたことでしょう。

 

自ら国を守るために死んだのだと言えば、納得しない人がいて、

国によって死地へ追いやられたのだと言えば、納得しない人がいる。

 

尤もその事を本当に知っているのはあなたたちなのですが、

既にあなたたちは肉体はおろか心さえすっかり残さず、どこにもいないのです。

 

死後に精神は残るという幻想は人に新たな幻想を抱かせます。

 

しかし、あなたたちがいちばん知っているように、死んでしまえば全てが消えてフェイドアウトするだけなのです。

 

そこには何も残らないはずです。

 

あなたたちの魂が今も生きているのだというその幻想は、新たな幻想を生みながら

また新しいあなたがたを探し求めているのかもしれません。

 

こうした勝手な私たちの振る舞いに、あなたたちはきっと苦々しく思っているでしょう。

いや、そうではないですね。

あなたたちの心も思考も69年前に既に消えてなくなっているんですから、苦々しく思うはずもありません。

 

死がすべての解放であるならば、あなたたちは解放されたのでしょうか。

 

私の感傷からはとてもそのように考える事は出来ません。

 

しかし、それも幻想なのかもしれません。

 

あたたたちの魂を勝手に生きていると決め込んで神社に祀ってみたり

神社から解放して欲しいと願ったり

そのために、新たな憎悪を生んでみたりと

私たちはありもしないものを作り出しては愚かな行為を繰り返しています。

 

それは何も書かれていない無意味な白壁に叫んでいるかのような行為です。

 

英霊と呼ばれるあなたたちの本当の気持ちを知るには、私たちがあなたたちと同じ立場に陥るほかありません。

 

追体験でしか理解することは不可能でしょう。

 

こうして、世界は血を吐きながら無意味に走り続けています。

これからも走り続けます。

 

この手紙でさえ、神社にあなたたちの在りもしない魂を祀ると同じくらい無意味な行為であると私は承知しています。

 

英霊と呼ばれる皆さんへ

 

死後の世界がない限り、私とてあなたたちにお会いすることはありません。

 

だから、捧げる言葉など何一つありません。

 

とにかく、私たちは生きるほかないのです。

 

あなたたちが体験した永久の解放に向かって

 

 

敬具

冷凍食品に農薬を混入させたという事件の容疑者に関する報道で、
彼がコスプレ好きのコスプレイヤーだったことが殊更、ニュース報
道で取り上げられている。
そもそも、容疑者が薬物を冷凍食品に混入させたことと、彼がコス
プレイヤーであったことは何の関係もない。
しかし、こうした報道で人々は思うだろう。コスプレ何かする人は
やはりオカシイのだと。そして犯罪も犯すかもしれないと。

報道の在り方に私は大きな疑問を感じる。
容疑者がコスプレイヤーだと報道されて、その写真まで報道された

それを受けてネットでは容疑者のコスプレを以前からカメラに収め
ていた人々が肖像権もお構いなしにネット上にうじゃうじゃ流して
いる。
もし、容疑者が釣りが趣味の太公望だったら、こんな報道の仕方も
しなかっただろう。
「容疑者は釣りが趣味」だなんて報道してみて

も効果がないと彼らは考えるからだ。

今回は容疑者が少数の人が趣味にするコスプレだったからクローズアップされたのだ。
こんな報道の在り方では差別や偏見が助長されるばかりである。
犯人は「中国人留学生」「韓国籍の男」・・・・。
こうしたマイノリティを捉えてはその点を強調する報道の在り方は
公正とは言えない。
マイノリティは犯罪予備軍ではないのだ。

あの夜のことは今も忘れられません。小学三年生の頃でした。

 

三日目の夜でした。妹と犬のベスと母の帰りを待っていました。

 

一日目の夜、母が何の連絡もなく帰って来なかった事は何となく、不安でしたが仕事が忙しいのかもしれないと思っていました。そう思いたい気持ちでした。

いつもの様に幼稚園へ妹を迎えに行ってスーパーで買い物をし、帰って来て、ご飯を作り、ベスを連れて散歩をさせ、洗い物をすませて、妹を二段ベットの下に寝かせました。

 

「お兄ちゃん、お母さん、帰ってけえへんの?」

「仕事が忙しいんやろう。朝には帰ってくるわ。」

 

9時にはいつも帰って来る母でしたが、その日は時計の針は10時を廻っていました。

仕事で遅くなる日にはかならず電話があったのですが、電話のベルが鳴る事はありませんでした。

朝起きてみても母は帰って来ていませんでした。

妹を幼稚園へ連れて行き、僕は学校に一時間目を飛ばして大遅刻して辿り着きました。

先生から叱責を受けましたが事情は説明しませんでした。この担任の若い教師は何故か僕を激しく嫌っており、いつもビンタをする人で僕自身、この先生を信じてはいなかったのです。

 

二日目の夜もまた同じでした。僕と妹はさすがに心配で堪らず時計の針が12時を越えても僕は起きて待っていました。

「お母さん、どないしたんやろ。」

妹はえんえん泣き始めました。

僕は妹が泣いているのを見て、ひどく不安になりましたが、ただ待つしか無かったんです。

今から思えば警察に連絡するとか方法は色々考えられますが、当時、僕は4歳の時から「この家の大黒柱でお父さんの代わりはあんたやから、誰にも頼らずしっかり妹を守りなさい。」と言われ続けていたので、何とか妹を守るしか思いつかなかった様に思います。

妹はパンダのぬいぐるみを抱いたまま泣きつかれて、寝てしまいました。

 

そして三日目の夜、とうとう、母から預かっていた財布の中身が殆ど無くなってしまいました。

忘れもしません。夜、9時30分。僕は心を決めて受話器を取り上げ奈良の祖父母の家のダイヤルを回しました。最初に出たのは祖母でした。

事情を話すと、母の弟である叔父が受話器の向こうから声をかけて来ました。

「今からすぐ行くから家で待ってろ。兄ちゃん(叔父の愛称)が迎えに行くからな。」

そう言われて、僕はなぜか反射的に叔父に言いました。

「かまへん、僕らでそっちへ行くから。待ってて。」

叔父はびっくりして「あかん、そこにおれ。」と言いました。

でも僕は何故か叔父がここへ来るよりも自分たちが祖父の家に行くのが良いと思いました。

電話を切って時計を見ると10時近い。

早く行かなければ電車がなくなるかもしれません。

財布をぶっちゃけると電車賃はありそうだったので、すぐに鞄に入れられるだけの妹の衣類を詰め込み、ベスに首輪と紐を付けて出発の準備を整えました。

妹はずっと泣いていました。僕まで泣きそうだったけど、絶対に泣いてはいけないと思いました。

外に出ると雨が降っていました。

二人で傘をさしながらトボトボと駅へ向かう長い坂道を登り始めました。

ベスがびしょ濡れになるのがかわいそうでしたが、どうしようもなかった。

駅に付くと切符を買って、駅員さんに犬も乗せて欲しいと頼みました。ベスに荷札を付けてもらいました。その値段は70円だった。

電車の中でクンクンいってるベスの体をタオルで拭きながら、奈良まで辿り着けるのか不安な気持ちで一杯でした。妹は寝ていました。

電車を乗り継いで祖父母の家に辿り着いたのは何時だったのか分かりませんでした。

祖父母や叔父たちがあれやこれやと聞きましたが僕はすっかり疲れて、答えることも出来ませんでした。

ただ、安心しきって祖母の布団で寝ました。何かが終わったような気分でした。

 

次の日、家に行って見ましたが、やはり母は帰ってきた様子がありません。

僕は学校の道具を持ってまた祖父母の家へ戻りました。

次の日、叔父とまた家に行きましたが母はいませんでした。

叔父は「子供は預かっているから帰ったらすぐに電話をしてください」と書いたメモを玄関先に画鋲で止めました。

僕は学校の帰りに家によっては母が帰っていないか確かめに行きました。

新 聞受けの新聞を取り出した一面記事の写真は、中国の古墳から発見された、生きたままの様に保存されていた貴婦人の柩の遺体。その写真を見た瞬間、僕は言い 知れぬ恐怖感に襲われました。その恐怖が何故だか今でもわからない。その記憶を辿れば、1972年の4月20日か21日の事です。

その新聞を家のテーブルに置き、鍵を閉めてまた祖父母の家に戻りました。

 

問 題はベスでした。動物嫌いの祖父母や叔父はお座敷犬のベスを部屋にいれることを許してくれませんでした。一度も外で繋がれて一人で寝たことのないベスでし た。頼んで、頼んで、何とか靴脱ぎ場ならいいだろうということになり、靴脱ぎ場に段ボール箱をおいて毛布をしき、ベスを入れました。

しか し、人間から離れた事がなかったベスは夜になると鳴くのです。祖父母や叔父が寝られないと言うので、僕は玄関で寝ることにしました。ベスは時々、靴脱ぎ場 でそそうをしました。一週間も経つと祖父母一家もベスにイライラしはじめて、僕はベスのために毎日、毎日、靴脱ぎ場を水洗いしました。

訳の わからないベスは僕の顔を見上げてワン、ワンと尻尾を振る。叔父に「犬の匂いが堪らない」と嫌味を言われながら僕はベスの顔を見ていると一気に涙がポロポ ロ零れてとまらなくなった。声をあげて泣きたいけど嗚咽するだけで、ベスは何も悪いことをしていないし、ベスに当たることも出来ない。無邪気なベスを見て いると僕はなぜかベスも僕も棄てられたような気がして、雑巾をかけながら、ただただ泣きました。

 

家に様子を見に行っても張り紙がそのまま。

部屋に入ると例の怖い新聞の写真があって稲光でそれが浮かんで、僕は思わず怖くてうずくまってしまったのを憶えています。

 

14日目、突然、母は祖父母の家にやって来ました。

僕と妹は応接間に入れられ、母たちは座敷の部屋に通されました。

「自分の子供を置き去りにして何を考えてんねん!」

叔父の大声が聞こえてきました。暫くして祖母が僕たちを座敷に連れて行きました。

母は正座したまま、何も答えていない様子でした。

母と僕は顔を見合わせました。

母は憔悴しきった無表情で、じっと僕を見つめていました。

まるで感情のないその表情は今でも忘れられません。

その表情を見た時、僕の心は何も動かなかった。

安心とか、悲しいとか、嬉しい、怒りとかそんな感情は一切湧かなかったんです。

母は終始無言のまま祖父母の家を僕たちを連れて出ました。

家に帰るまで、全くの無言。

僕は何を聞いたらいいのか話したらいいのか分からず、ただ、ベスの紐と妹の手を握っていました。

家についても暗い表情のまま母は必要なことしか何も言わなかった。

 

次の日から元の生活が始まった。

母があの14日間、誰とどこにいたのか。それは未だに分かりません。

 

僕も母に僕にとっての14日間は何も話していません。

 

ただ、僕はあの14日間が忘れられない。今も鮮明に思い出せるのです。

 

あの僕を見つめる無表情な母の顔を。

 

今でも、街で手を繋がれた親子を見るとふと涙がこぼれることがあります。

 

今では家庭を持った妹は、当時、小さかったしあまり覚えていないようです。

 

その話をしても「もう、お兄ちゃん、ええかげんに忘れたら?昔のことやん」と一言で終わります。

 

終わったこと?

 

まだ、僕に中では終わっていないのです。

 

 

捨て子の記憶は今もトラウマとなってあの暗い子供時代の空を漂ったままなのです。




以前、大阪の古書店で研究のための書籍を漁っているとき、ある南京事件の本を見つけてパラパラめくっていると裏表紙にこの本の元の持ち主がマジックでコメントを記していた。

「こいつ左翼の顔をした右翼やないか?」

 

1月16日、映画監督の井筒和幸氏は映画『永遠の0』を「観たことを記憶ゼロにしたい」と述べて特攻美談への危険性を訴え批判した。

これに対して原作者の百田尚樹氏は自身のTwitterで「なら、そのまま記憶をゼロにして、何も喋るなよ(^ー^)」と反論したと伝えられている。

 

またアニメ映画『風立ちぬ』でかなり好戦的と批判にさらされた宮崎駿監督も『永遠の0』を遠まわしに批判している。

 

「今、 零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記を基にして、零戦の物語をつくろうとしてるんです。神話の捏造をまだ続けようとしてい る。『零戦で誇りを持とう』とかね。それが僕は頭にきてたんです。子供の頃からずーっと!」 「相変わらずバカがいっぱい出てきて、零戦がどうのこうのって幻影を撒き散らしたりね。戦艦大和もそうです。負けた戦争なのに」

 

宮崎駿は『風立ちぬ』で零戦を殆ど登場させなかった。また、戦闘機の戦闘シーンも一切描かなかった。

彼はそういうシーンを挿入することで「兵器」「兵士」「戦争」という三つのポイントをヒロイズムとして観客に与えてしまうという危惧を最初から持っていたからである。

 

映画『永遠の0』はすでに46億円の興行収入を上げるなど大ヒットを続けている。

ミニブログなどでも多くの人が「感動した」と一様に書き込んでいる。

安倍首相もこの映画を観て感動したと語っている。

そうした声をつぶさに見ていっても「戦争はいけないと思った」といった声は今まで見たことがない。

どうやら鑑賞者はこの映画に感動したのであって反戦について考えた訳ではなさそうだ。

その感動とは如何なる感動であろうか。

 

私自身はこの映画『永遠の0』を語る資格はない。

この映画を観ていないからである。

戦争映画の一つであるし観るべきであるとは思っているがなかなか気が進まない。

それは東条英機と東京裁判を描いた『プライド・運命の瞬間』やそれに続いた『ムルデカ 17805』を観る前に持った予感と同じものをこの映画に感じるからだ。

既に一般大衆の間で戦争映画を持って「感動した」が連発されている事自体、私にとってその予感を持たせるのには十分なのである。

戦争映画で『タイタニック』的な映画的「感動」などするはずはないというのが私の考えであるからだ。

もしも戦争映画に感動するならば、それは感動の要因がヒロイズムに集約されていて、その感動はその映画が好戦映画であることの一つの証となる。

 

観ていない映画について批評は何もできないが、この映画を観てきた人の感想やネット上の書き込みなどを読むにつけて私は『永遠の0』に対して「こいつ左翼の顔をした右翼やないか?」という先に書いた古書の書き込みを思い出すのである。

 

特 攻を描いてきた映画やテレビドラマは我が国には数え切れないほどある。中でも私が高く評価している作品は降旗康男監督、高倉健主演の『ホタル』、山下耕作 監督、鶴田浩二主演の『あゝ決戦航空隊』、松林宗恵監督、岡田英次主演の『人間魚雷回天』、岡本喜八監督、永島敏行主演の『英霊たちの応援歌』などであ る。

特に『ホタル』は知覧を舞台に特攻隊の生き残り夫婦の情愛を柱に特攻を巡る日韓の問題を描き込み、また『あゝ決戦航空隊』に至っては特 攻を柱に任侠映画風の演出で天皇とその周辺を鉄砲玉を無駄に死なせてなお落とし前が付けられなかった暴力団組長と幹部になぞらえて描くなど、極めて政治的 メッセージの強い作品だった。

『人間魚雷回天』や『英霊たちの応援歌』は前者では学問、後者では大学野球で、特攻という死との狭間に苦悶する青春を描き、政治的ではなかったにしても特攻隊に翻弄される人々がくっきりと描き出されていた。

これらの映画に共通している点は「格好良さ」が皆無なことである。かと言って戦争というものが悲惨で過酷であるというだけの紋切り型の押し付けがましいメッセージでもない。

 

一 方で石原慎太郎が総指揮・脚本を手がけた『俺は、君のためにこそ死ににいく』は反戦映画を体裁をとっていたが特攻隊員や兵器群が常に全編にわたって「格好 よく」描かれていたことが気になる作品だった。その軍隊を折り目正しく格好よく描くという姿勢は実は戦時中の戦意高揚映画『雷撃隊出動』などのそれとほぼ 変わらない。

 

『俺は、君のためにこそ死ににいく』を観た私の感想はそうであった。特攻隊映画は取り扱いが難しい。

下手に兵士や兵器にヒロイズムを持ち込ませると反戦映画の顔をした好戦映画となってしまう。

つまり、「こいつ左翼の顔をした右翼やないか?」という映画になってしまう。

もちろん、それは作家が意図したことであることは間違いないのだが。

 

『俺は、君のためにこそ死ににいく』の公開当時、井筒和幸が批判していたことを考え合わせれば『永遠の0』を仮に私が観に行ったとしても『俺は、君のためにこそ死ににいく』と同じ感想を持つのではないかと思う。

そんな感想のために1800円を支払うのは何とも厳しい。DVDレンタルで300円支払ってみるくらいがせいぜいである。

 

人 が特攻隊映画に感動するという現象は戦時下の『ハワイ・マレー沖海戦』、『加藤隼戦闘隊』、『雷撃隊出動』などの航空兵器を扱った戦意高揚映画に当時の 人々が感動したのと同じものである可能性が高い。この三作を監督した山本嘉次郎は後年、戦争を描けばどんな作品も反戦になると語っている。

もちろん、戦争というものが究極の暴力であり殺人であり人災であるからだ。ところが、そこにヒロイズムを持ち込めば途端に逆のベクトルへと大衆を導くことになる。

確かに戦争は悲惨で否定しなければならない事実だが、その主人公が英雄的行動を取れば、その格好良さは戦争自体をも同時に引っ張って全体を美化してしまう。井筒和幸や宮崎駿が『永遠の0』を批判したのはこの辺の問題だと私は考えている。

 

映画というものは誠に危険な存在である。

感動する前に、あるいはその後でそれが何であったかを自身で点検することが無意識のプロパガンダから逃れる唯一の方法ではないか。



執筆:永田喜嗣


1960年に公開された松林宗恵監督の映画『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』の脚本には当初、撃沈された空母飛龍の乗員たちが海を漂い、救命ボートに乗り込もうとすると将校が怒り軍刀を抜刀して水兵の手を斬るという場 面があった。脚本を担当していたのは橋本忍である。

 

この場面を読んだ松林宗恵は海軍に在籍した経験上、見たことも聞いたこともない情景で現実性がないと判断し、橋本忍を説得して件のシーンをカットした。

映画公開後、新聞が『太平洋の嵐』が反戦としての主張が弱いと批評したことから橋本忍は脚本を書き換えさせられたと発表した。

後年、松林宗恵はこの件を映画専門誌のインタヴューで、脚本家の書くものは尊い一方で、誰が何をどうしたということよりも戦争というものは時代が積み重ねたコブが血を吐いて破裂するようなもので大所高所から見る必要があると答えている。私は松林宗恵監督の意見を支持する。

 

もしも、橋本脚本の原型のまま映画化され件のシーンが挿入されていたなら戦争の悲惨さはある程度、観客には伝わったかもしれないし、主人公たちの過酷な状況も描写できたのかもしれない。

だが、完成した作品を観る限り件のシーンが挿入されていれば反戦映画として緻密に計算されていた『太平洋の嵐』のバランスを挫き、そのシーンは唐突でリアリティがないものとなっただろう。

 

特 攻隊の青年たちを描いた名作『雲ながるる果て』においても最後のシーンで特攻隊の戦果確認を基地の通信器の前で行う将校たちが「思ったほど当たらんなあ」 「いや、特攻隊はまだまだある」と会話するシーンがあった。この特攻隊の虚しさを描き尽くした映画の中で私が唯一、違和感を覚えたシーンだ。

 

実際にこんな会話が司令部で行われたのかどうか私は知ることはできない。

実際、特攻隊員の中には突入直前に「帝国海軍バカヤロウ」と無電を送って抵抗した者がいたから、兵士たちにとって将校をはじめとする帝国海軍という組織を呪っていた者が多数いたのも事実だろう。

その悲惨さを強調するために将校の言動を非道なセリフとして再現することは果たして可とすべきことなのだろうか。

 

ま た、小林多喜二のプロレタリア小説を映画化した山村聡監督の『蟹工船』では最後に蟹工船に乗り込んできた海軍兵士たちが労働者を鎮圧するために小銃で次々 に射殺するという描写が登場する。原作では水兵によって労働者たちが逮捕拘束されるだけだったのだが、映画では銃で殺してしまうのである。

現実的に考えればこの様な描写は現実的だとは言えない。

 

『雲ながるる果て』の将校が交わす会話は先の『太平洋の嵐』の将校抜刀シーンと同じことなのである。

 

ここには作劇における一定の法則が働いている。

それは主人公を是とする場合、その主人公の悲惨な状況を更に悲惨に演出するためには周囲の環境や人間をより過酷なものとしないといけないということだ。

主人公を正義とするなら反正義をより悪として極端に描くことがこの目的を達成しやすい。

ところが、鑑賞者は意外にもこの映画作家の意図を簡単に見抜いてしまう。

それは「有り得ないだろう」という違和感がそれである。

それはリアリティを巡る問題とも少し違っている。

 

かつての中国や台湾における抗日映画も日本人をとにかく極悪非道で非人間的に描くことで主人公たち抗日者の正義を補強するという手法を繰り返し使ってきた。

しかし、そのような方法をもって映画を作れば作る程に観客は呆れてしまうのである。その証として、こうした手法を用いた抗日映画で「名作」として名を留めて評価されているものは全くと言っていいいほど存在しない。

近年ではこのようなことが明らかになったためか、中国や台湾の抗日映画ではこうした手法を殆ど使わなくなっている。

 

戦争映画に例を取るなら、主人公に対する悪の存在を配置させた作品は幾らでも存在する。

岡 本喜八監督の『独立愚連隊』、増村保造監督の『兵隊やくざ』、山本薩夫監督の『真空地帯』、海外に目を向ければサム・ペキンパー監督の『戦争のはらわた』 などには極悪な将校が登場する。しかし、彼らには人間としての弱さが垣間見られ、人間としての行動に現実との乖離は殆ど見られない。

行う悪行も非道であっても人間として有り得る範疇のものだからだ。

 

フィクションを作る際にこのポイントを踏み外し、主人公を是とするために周辺の悪意を強調すればドラマは途端に崩壊する。主人公へのより深い感情移入や憑依は逆に周辺の登場人物を完全に破壊してしまうのだ。

 

ナチ政権下に作られた多くの反共映画に登場する共産党員像にしてもやはり同様である。

フィクションとして作られた彼らは人間の思考と行為の範疇を逸脱した「悪魔」の様に機能する。

こうした主人公を是とするために環境や周辺人物をより非道にする作劇は一言で言ってしまえば稚拙なのであって、現実世界から、いや、フィクションからさえも乖離してしまうことになりかねない。

 

ここ数週間、大きな問題となっている日本テレビのドラマ『明日、ママがいない』の児童保護施設の描写をめぐる問題の根本はここにあると私は考えている。

 

問題は調査不足、現状認識以前に映像作家たちが述べたような稚拙な作劇方法に安易に頼ってしまったからなのである。

 

20 世紀ならいざ知らず、今世紀における情報の伝達量や、その流布の程度を考えればこの様な稚拙な作劇の発想によるフィクションを超えるフィクションが観る側 に受け止められるなどという考えは前時代的なのだ。野嶋ドラマ『家なき子』がヒットした時代は当の昔に終わっていることを作り手は全く理解していなかった のだ。

 

『明日、ママがいない』の第二話の視聴率がこれほど話題になったにもかかわらず、第一話よりもダウンしたことは不思議に考えるには当たらない。

騒動が視聴率を上げることがあっても下げることは誰の予想にも反したことである。

 

その答えは第一話があまりにも稚拙な作劇法を用いいていたために観た者たちが第二話から観る意欲を失ったということである。極端な抗日映画に観客が嫌悪感を感じるのとほぼ同義なのだ。

 

観客や視聴者という大衆は賢明である。

良いものは良いと受け止める力を確かに持っている。

問題になっているドラマは社会認識を誤っただけでなく、作品としても最初から失敗していたと考えるべきであろうと私は考えている。


執筆 永田喜嗣





 

1970年。まだ小学校の低学年だった僕は大阪に住んでいたということもあって何度も万博に行った。

 

この思い出は今でも強烈に胸に刻み込まれている。

万博はどのパビリオンも未来を意識したものだった。

国別のパビリオンは自国の紹介などが多く、あまり印象に残っていない。

むしろ企業別のパビリオンには目を見張ったものだ。

そこには自分がまだ見ることがない未来があった。

未来を予想して、その時点での技術で見せるものだったから今見れば恐らく大したものではないだろう。

しかし、当時としては全てが驚異だった。

 

三井グループや三菱など企業部門でのパビリオンでは映像で見せるものが多かった。子供の頃の記憶なのでちょっとあやふやなのだが、とにかく画面が大きく音響も大きかった。

その内容は現代と未来を描くものだった。三井グループのパビリオンはやはり大画面の映像で見せるものだったが、社会的なテーマが含まれていてサリドマイドによる障害を負った子供たちの映像が挿入されていたり、決して科学を無批判に礼賛するようなものではなかった。

 

僕 は何度も万博へ行ったが、印象は「楽しかった」というよりも「怖かった」のだ。自分を取り巻く世界で何が起こっているのかそれが万博では情け容赦なく見せ られた。ある意味、万博は小学生である僕が体験できる範囲、それは家庭や学校、登下校の道並み、という日常から外れて全く知らなかった現実とそれに繋がる 未来を見せられた訳だ。その未知に対して僕は恐れを感じた。明るく楽しい未来像を大人たちは楽しんだかもしれないが、僕には現実の世界も未来の世界も恐ろ しく感じたのだ。巨大な各パビリオンの斬新なデザイン、未知の展示品。

 

まだ見ぬ保証のない未来。

それを見るとき僕は何故か恐怖を感じた。ちょうど、お化け屋敷に入ってゆく時のように。そこに見る未来は確かに便利そうで楽しそうなのだが、妙に人間の生活を感じさせないものだった。

次々と描き出される未来像は何となく人間の生身を感じさせない。

 

何故だったのだろうか。その回答は未だに得ることはできない。

 

手元に残された万博のガイドブックを読み返しても、当時の「恐れ」の気持ちがトラウマのように戻ってくる。いずれにしても、万博は僕に何かを残して消えていった。

 

万博ほどの技術力で何かを見せるものを現代に見つけ様にも思い当たらない。

先日、妹や甥とともにユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ったとき、僕は万博をふと思い出した。

 

しかし、USJには未知への恐怖はない。何も考えることなく楽しめてしまう場所だ。

楽しませてしまう大掛かりな見世物は幾らでもある。

でも、万博のように何かを感じさせる大掛かりな見世物は今ではそうはないだろう。

 

小さかったとはいえ、万博を体験できたことは私にとっては良かったことだと今では思っている。

 

そして、あの時観た虚ろで無味乾燥かつ不気味で怖く感じた未来に僕自身は今、生きているのである。

 

あの時感じた以上に今という未来は恐怖に満ちている。

 

万博で感じた恐怖は今への恐れとは違うのは確かだ。

 

1970年の万博の未来像は現代という恐怖する世界の雛形だったのかもしれないなどとぼんやりと考えていた。


執筆:永田喜嗣


菅官房長官が伊藤博史を暗殺した安重根をテロリストと呼んだことから問題が起こっている。
安重根をテロリストと呼んだことはやはり軽率であったと言わなければいけないだろう。

菅官房長官はテロリストという言葉を明らかに誤用している。

ちょっと視点をそらしてみよう。
ヒトラーを爆殺しようとしたドイツの軍人、フォン・シュタウヘンベルク大佐はテロリストだろうか。
サラエボでオーストリア皇太子夫妻を殺害したプリンプツはテロリストだろうか。
ケネディーを暗殺したオズワルドはテロリストだろうか。
否、彼らは「暗殺者」である。

例えばフォン・シュタウヘンベルク大佐はドイツではAttentaeterと呼ばれている。

Attentaeterとは「暗殺者」を意味するドイツ語である。

そもそもテロリストという言葉の定義が何であるのかが問題だ。

テロとは「暴力行為による恐怖」を示す。
テロリズムとは「テロによる行動様式または思想的見解」である。それを担うのがテロリストだから、テロリストとは「暴力行為による恐怖を与える行動を是とする」人々のことである。

このテロリストの定義からすると安重根が暴力行為による恐怖を流布しようすることを目的としていたとは考えられない。それは伊藤博史の暗殺なのであって、暴力行為による恐怖の流布ではない。
安重根はウサーマ・ビン・ラディンの様なテロリストではないのだ。

菅官房長官がテロリストという言葉を用いたことはテロリズムとテロリストという語を全く理解していなかった事を単に露呈させてしまったということだ。

国際政治を担うスポークスマンとして、一国の政治家として繁盛に使われるこの様な用語の定義くらいはきちんと把握しておいてもらいたいものである。

この場では「暗殺者」という語が適当ではなかったのか。

筆者:永田喜嗣

ゴジラは怒ったぞ!
日本テレビの『明日、ママがいない』の放送継続は許し難い!
既に子供たちの間で精神的被害者が出ているではないか!
みんなでスポンサー製品の不買運動をしよう。
それしか、僕らがマイノリティである父母のいない子供たちを守る方法はない!
photo:01