アメリカの映画「スターウォーズ」シリーズに登場する敵役「銀河帝国軍」は多分にドイツ的でありナチス的である。銀河帝国軍の機動歩兵ストームト ルーパー(全身白いプロテクターで覆われた兵士群)はStorm trooperと表記される。Storm trooperはドイツ語のStosstruppの英語訳であり、ドイツの突撃歩兵を表す。

またStorm trooperはチャップリンの『独裁者』でそうであったように、ナチ突撃隊(SA)のSturmabteilungの訳語として使用されることもしばしばある。

いずれにせよ、Storm trooperはドイツ語から出てきた言葉であり、「スターウォーズ」の銀河帝国軍がドイツ的あるいはナチス的な存在であることは確かだ。

 

銀河帝国軍の将校はカーキ色の制服に身を包み、遠い未来の宇宙時代であるにも関わらず宇宙船の中も戦闘においても殆ど機能的ではない乗馬ブーツを着用している。

第 二次世界大戦、ドイツの将校は終戦まで乗馬ブーツを着用することを常とした。機械化された戦車を含む機動自動車部隊による電撃戦という新しい時代の戦術を 生み出したにも関わらず、ナチスドイツ軍の将校たちは騎兵の思想や実際に軍馬を運用する戦法が過去のものになったことを承知しながらも、意味もなく伝統と しての乗馬ブーツに固執していた。

第二次世界大戦中、このように近代戦において乗馬ブーツに拘ったのは枢軸側ではドイツ、イタリア、日本で あったが連合国側ではソビエト連邦を除いて殆ど見られない。「スターウォーズ」における時代錯誤的な将校の乗馬ブーツ使用はこうした第二次世界大戦におけ る枢軸軍のそれと符合している。

 

「スターウォーズ」シリーズが第二次世界大戦におけるファシズムとデモクラシーの戦い、とりわけファシスト対パルチザンという図式をもった寓話であるなら、銀河帝国軍はStorm trooperや乗馬ブーツが示す通りナチスドイツをモデルにしている。

 

「ス ターウォーズ」シリーズのエピソード4に当たる、実質の第一作目になる映画『スターウォーズ』では帝国軍のダース・ヴェイダーとデススターの司令官、グラ ンド・モフ・ターキンが登場する。この二人のキャラクターは延々と続いてゆくこのシリーズでは重要な存在である。第一作目の『スターウォーズ』ではダー ス・ヴェイダーをデビッド・プラウズ、グランド・モフ・ターキンをピーター・カッシングが演じた。

二人の間に共通するポイントは英国の映画俳優であるという点である。

 

デビッド・プラウズとピーター・カッシングは『スターウォーズ』以前にイギリス映画『フランケンシュタインと地獄の怪物』(テレンス・フィッシャー監督)で共演している。

この映画ではカッシングがフランケンシュタイン男爵、プラウズが怪物を演じた。

イギリスの映画製作会社ハマー・プロダクションの制作である。ハマー・プロは数多くのホラー映画を制作した会社として有名で、特に知られているのが怪優クリストファー・リーのドラキュラ・シリーズと、ピーター・カッシングのフランケンシュタイン・シリーズだ。

 

ハマー・プロは7本のフランケンシュタイン映画を制作し、そのうち6本でピーター・カッシングはフランケンシュタイン男爵を演じている。

また『スターウォーズ』でダース・ヴェイダーを演じたデビッド・プラウズは2本に出演しフランケンシュタインの怪物を演じている。

1950 年代から1970年代にかけてB級ホラー映画とSF映画を世界でリードし続けたハマー・プロの俳優2名を主要キャスティングに据えるあたりはジョージ・ ルーカスが巨額の制作費を投じた『スターウォーズ』にあくまでもB級映画としてのテイストを追求していたことが伺える。

 

興味深いのはルーカスがピーター・カッシングとデビッド・プラウズというこの2名の英国俳優を銀河帝国軍の幹部役に据えたことである。

 

銀河帝国軍がナチスドイツのメタファーであるならば、ストレートにドイツ人俳優を起用すれば良い。その方がわかりやすいし、『スターウォーズ』が制作された時点でドイツ系の国際俳優は幾人もいたし、彼らはハリウッドでも活躍していた。

ハリウッドでの知名度での一軍俳優ならクルト・ユルゲンス、マクシミリアン・シェル、ゲルト・フレーベ、ヴォルフガング・プライスなどなど、二軍俳優ならヨアヒム・ハンゼン、アントン・ディフリング、クラウス・キンスキー、ハンス・ホルストなどである。

しかし、ルーカスはドイツ人俳優を起用していない。ナチスドイツのメタファーとしての銀河帝国軍には英国の俳優を起用したのである。

もちろん、戦後のB級ホラー・SF映画の大御所としての英ハマー・プロという存在があるので、英国人俳優を起用したのはドイツ人俳優を起用するよりも意義深かったのかもしれない。

 

ただ、気になるのはナチスドイツのメタファーとしての銀河帝国軍の幹部役に英国人俳優が起用されたという事実である。

 

こ こにはハリウッド=アメリカのファシズムとナチズムに関する驚くべき勘違いが作用している。例えば1970年代に人気を博したテレビシリーズ『ホロコース ト』で、親衛隊のNo2のボスであったラインハルト・ハイドリヒ長官を演じたのはイギリス人俳優デビッド・ワーナーで、彼はその後『ヒトラーSS』という テレビ映画でも同じ役を演じた。

 

ジョン・フランケンハイマーの名作『大列車作戦』でバート・ランカスターの主人公の敵役となるドイツ軍将校を演じたのはポール・スコフィールドでイギリスの俳優である。

 

ナチの残党の暗躍を描いたフランクリン・J・シャフナー監督の『ブラジルから来た少年』でナチ残党幹部を演じたのはジェームズ・メイスンでイギリス人俳優だ。彼は『砂漠の鬼将軍』と『砂漠の鼠』でそれぞれロンメル元帥を演じている。

 

ブルース・ウィルス主演のアクション映画『ダイ・ハード』でドイツ人テロリストのリーダーを演じたのはアラン・リックマンで、彼はイギリスの舞台俳優である。

 

スティーヴン・スピルバーグの名作『シンドラーのリスト』でナチ親衛隊の強制収容所長、アーモン・ゲートを演じたのはレイフ・ファインズである。彼もまたイギリスの舞台俳優である。

 

ジョン・スタージェス監督の『鷲は舞い降りた』でドイツ軍落下傘コマンド部隊の隊長シュタイナー少佐を演じたのはマイケル・ケインであり、彼もまたイギリスの俳優である。

 

近年ではトム・クルーズ主演の『ワルキューレ』で反ヒトラー派のトレスコウ将軍をケネス・ブラナーをが、同じくベック将軍をテレンス・スタンプが演じており、共にイギリスの舞台俳優である。

 

こうした例を挙げ続けると恐らくキリがない。

 

ヨーロッパの映画監督はこの様な感覚は持っていない。

例えばハリウッドとフランスの合作映画『パリは燃えているか』のフランス人監督、ルネ・クレマンはドイツ軍人役には全てドイツ人俳優のキャスティングを行った。

イギリス人がドイツ人を演じることはフランス人のクレマンにとっては「有り得ない」ことだったのであろう。

 

ハリウッドはナチ的、ドイツ的なものにイギリス人を当てはめようとする傾向がある。

ヨーロッパの感覚からすればドイツ=イギリスという様な感覚はやはり「有り得ない」。

 

な ぜ、アメリカのハリウッドがナチスやドイツを表彰するのにイギリス人俳優を多用するのだろうか。イギリス人がアメリカ人の公用語と同じく英語を母語にして いるから、よりヨーロッパ的な雰囲気を表現するためにドイツの借り物としてイギリスを応用していると考えるのが妥当だろう。しかし、どうしても気になるの がハリウッドのイギリス=ドイツの同一視という感覚である。

 

ハリウッドの異端児であるクエンティン・タランティーノはこう したハリウッドの思考に抗して『イングロリアス・バスターズ』ではドイツ人役に一切イギリス人俳優を起用せず、全てドイツ人俳優をキャスティングした。如 何にもタランティーノらしい反ハリウッド的スタンスである。

 

ハリウッドのナチスドイツを表象するためにイギリス人俳優を起用するという態度は実はハリウッドにとっての最大の敵であるナチスの思想を肯定してしまうものである。

 

アングロ・サクソンにドイツ的なものを誤解であってもハリウッドが嗅ぎ分けて求めるならば、それはヒトラーの人種主義的思想を支持してしまうことにもなる。

アングロ・サクソンという言葉はドイツ語でアンゲル・ザクセンである。

Angelとは釣りをするという意味である。

アンゲル・ザクセンとは「魚釣をするザクセン人」という意味で、ザクセンはドイツの一地方を指す。

イギリス人はゲルマン人であるザクセン人が民族大移動の時期にドーバー海峡を渡りブリテン等に達したものであり、その祖はゲルマン人にあるとされている。

もちろん、これは歴史的には正しいことだ。

英語はオランダ語、ドイツ語と共に西ゲルマン語族に属するものであり、イギリスは言語的にはゲルマン文化圏に属する。

しかし、それを持ってイギリス=ドイツと考えるのは余りにも乱暴である。

アングロ・サクソンはゲルマン人を祖としていても今やゲルマン人では有り得ずイギリス人なのであるから。

 

1930年代の西ヨーロッパのナチ化の中でもイギリスは早い時期からナチ化を頑強に拒んだ国である。

イ ギリスファシスト同盟のオズワルド・モーズリーの運動も早い時点でイギリス国民からは受け入れられず、ナチ運動は頓挫した。イギリスはゲルマン人を祖とし ながらもなナチ的ではない国家であり国民なのである。イギリス=ドイツを主張したのは誰であろうナチズムの創始者であるアドルフ・ヒトラーである。

イギリスのダンケルクの敗走後もヒトラーはイギリスにゲルマン性とアーリア人種性を認め「ドイツの本来の敵ではない」として全面衝突を避けようと外交工作を行っていたことはよく知られたことだ。

 

イギリスのなのかにドイツ性を嗅ぎ取ることはある意味でヒトラーのナチズムの一端を支持することになる。

 

ハリウッド映画がナチスドイツを表象するのにイギリス人を起用することはイギリス人=アーリア人というヒトラーの根拠のない言説を暗黙のうちに肯定していることになる。

 

ホロコーストの最大の被害者であるユダヤ人の力によって支えられ、21世紀の現在も反ナチという態度を崩さずに延々と反ナチ、反ホロコースト映画を制作し続けているハリウッドが無意識のうちにヒトラーの言説を支持してしまってるという矛盾と皮肉を感じずにはいられない。

 

おそらく、ハリウッドは今後もナチスドイツを表象するにあたってイギリス人俳優を起用し続けるだろう。

 

それが、何を意味しているかを深く考えることもなく。

 

タランティーノの様な映像作家は極めて稀で少数派であるから。

 

映画『スターウォーズ』の銀河帝国軍幹部のキャスティングにおけるピーター・カッシングとデビッド・プラウズという英国人俳優の存在は、このハリウッドの無意識の矛盾に関する一つの例であると私は感じている。