1970年。まだ小学校の低学年だった僕は大阪に住んでいたということもあって何度も万博に行った。
この思い出は今でも強烈に胸に刻み込まれている。
万博はどのパビリオンも未来を意識したものだった。
国別のパビリオンは自国の紹介などが多く、あまり印象に残っていない。
むしろ企業別のパビリオンには目を見張ったものだ。
そこには自分がまだ見ることがない未来があった。
未来を予想して、その時点での技術で見せるものだったから今見れば恐らく大したものではないだろう。
しかし、当時としては全てが驚異だった。
三井グループや三菱など企業部門でのパビリオンでは映像で見せるものが多かった。子供の頃の記憶なのでちょっとあやふやなのだが、とにかく画面が大きく音響も大きかった。
その内容は現代と未来を描くものだった。三井グループのパビリオンはやはり大画面の映像で見せるものだったが、社会的なテーマが含まれていてサリドマイドによる障害を負った子供たちの映像が挿入されていたり、決して科学を無批判に礼賛するようなものではなかった。
僕 は何度も万博へ行ったが、印象は「楽しかった」というよりも「怖かった」のだ。自分を取り巻く世界で何が起こっているのかそれが万博では情け容赦なく見せ られた。ある意味、万博は小学生である僕が体験できる範囲、それは家庭や学校、登下校の道並み、という日常から外れて全く知らなかった現実とそれに繋がる 未来を見せられた訳だ。その未知に対して僕は恐れを感じた。明るく楽しい未来像を大人たちは楽しんだかもしれないが、僕には現実の世界も未来の世界も恐ろ しく感じたのだ。巨大な各パビリオンの斬新なデザイン、未知の展示品。
まだ見ぬ保証のない未来。
それを見るとき僕は何故か恐怖を感じた。ちょうど、お化け屋敷に入ってゆく時のように。そこに見る未来は確かに便利そうで楽しそうなのだが、妙に人間の生活を感じさせないものだった。
次々と描き出される未来像は何となく人間の生身を感じさせない。
何故だったのだろうか。その回答は未だに得ることはできない。
手元に残された万博のガイドブックを読み返しても、当時の「恐れ」の気持ちがトラウマのように戻ってくる。いずれにしても、万博は僕に何かを残して消えていった。
万博ほどの技術力で何かを見せるものを現代に見つけ様にも思い当たらない。
先日、妹や甥とともにユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ったとき、僕は万博をふと思い出した。
しかし、USJには未知への恐怖はない。何も考えることなく楽しめてしまう場所だ。
楽しませてしまう大掛かりな見世物は幾らでもある。
でも、万博のように何かを感じさせる大掛かりな見世物は今ではそうはないだろう。
小さかったとはいえ、万博を体験できたことは私にとっては良かったことだと今では思っている。
そして、あの時観た虚ろで無味乾燥かつ不気味で怖く感じた未来に僕自身は今、生きているのである。
あの時感じた以上に今という未来は恐怖に満ちている。
万博で感じた恐怖は今への恐れとは違うのは確かだ。
1970年の万博の未来像は現代という恐怖する世界の雛形だったのかもしれないなどとぼんやりと考えていた。
執筆:永田喜嗣