マンション購入への路 episode vol.10
とはいえ、もう既にマンションは購入してしまったわけだから、「マンション購入への路」ではなく実質的には「マンション引越への路」あるいは「ローン完済への路」になるのだが、それはそれ。
さて、なんと一週間後に引越を控え、現在荷物のパッキングやら掃除やら不要品の処分やらで精神的に東奔西走である。とにかく荷物の多き我が家。特に書籍や書類が多く、これらは単体では軽量であったとしても、ひとたび段ボールに詰め込むと途端に総体として質量を増すようにできている。だから、持ち運びが容易となるように、また底が抜けたりしないように、ひとつの段ボール箱に目一杯書籍類を詰め込むわけにもいかない。
すると当初もらっていた段ボール70箱ではどうも不足する雰囲気が漂ってきた。したがって急きょ15箱ほどの追加発注をかけた。
昨今の省資源化などの影響を受けて、引越業者でも段ボールのリユースをおこなっているらしい。これについて極度の潔癖性患者などは難色を示すのだろうが、あいにく妻(O型)はまったくそれとは無縁、妻からは神経質だと揶揄される僕(AB型)も、さすがに箱などは一時利用の消耗品と捉え、リユース品でも何ら問題はない。
今回提供された段ボールはすべてリユース品となっていた(前回までの70箱分はすべて新品だった)。リユース品で興味深いのは、既に使用されたときに記載された、内容物の品目を表示する欄である。かつてこの段ボールに何が詰められたというのか、これらの経歴を探るのもまた一興である。
ちなみに僕は仕事柄や生来の特性として、筆跡からそれを書いたのがどんな人物かをおおまかに伺い知ることができるのだが、不思議なことに、ほとんどが女性のものとおぼしき文字であった。男性は引越の詰め込み作業をほとんどやらないことの現れであろうか。ひいては、男性は通常自宅に自分の持ち物が無い、すなわち自分の居場所が無いという哀しき現実を如実に表しているのかもしれない。由々しき事態と見受ける。
まずは下記写真のようなものが一般的であった。

ごく普通である。筆者は割と丁寧な性格だが、やや引き気味で、自分を犠牲にしてしまいがちな傾向のある人なのだろう。
続いてこちら。

幼き子供を有していることが判る。子供と一緒に遊ぶのが大好きで、子供のための衣類やグッズ、弁当などを難なく作ることのできる能力を持っていると思われる。
次はこちら。

字面を見ると、一見ずいぶんといい加減で適当な性格の持ち主に見えるが、実はそうではない。いい加減な人間は皿の前に「お」という接頭辞は付さないだろう。根はいい人だが不器用なだけである。
次はこちら。

「ビデオテープ」の文字が消され、「マンガ」となっている。とすると今回これは3回めの勤めとなる箱だろうか。頭の下がる思いだ。しかし筆跡の感じからすると、ひょっとしたら同一人物の手による訂正かもしれない。引越間際になっての逡巡があったということだろうか。いずれにしても筆者が所持・保有している「本」の類いはマンガしか無い、そんな生活スタイルがにじみ出ている。
そして今回の極めつけはこれだった。

このインパクトには戦慄を憶えざるを得なかった。何故ここまでの荒々しさや激情を持って「炊飯ジャー」と記さねばならなかったのか。何が筆者の精神にそこまでの影響を与えたのか。
他の写真の例からはそこはかとなく、引越というものに対する期待や喜び、あるいは面倒さ、倦怠感などが伺い知れたが、今回のこれは、それらとは全く異なる感情があるように思える。
文字は所定の記載欄からはみ出している。いつ何時も我を貫き通す強靭な意志を持った人格と言えよう。逆に言うと、我を貫き通すあまり、規範を遵守することのできない、社会的には問題のある人格であるとも言える。
単に文字だけの問題ではない。「炊飯ジャー ほか」や「炊飯ジャー・台所用品」など、「炊飯ジャー」以外の内容物があることは全く示唆されていない。一体どんな炊飯ジャーなのか。この段ボール(みかん箱程度)にそれ以外を入れることのできないほどの炊飯ジャーなのか。炊飯ジャーが、他の物品を同梱することを拒絶したとでもいうのか。
いずれにしても、この筆者と炊飯ジャーの周辺で何が起こったのか、興味が尽きることは無い。
さて、なんと一週間後に引越を控え、現在荷物のパッキングやら掃除やら不要品の処分やらで精神的に東奔西走である。とにかく荷物の多き我が家。特に書籍や書類が多く、これらは単体では軽量であったとしても、ひとたび段ボールに詰め込むと途端に総体として質量を増すようにできている。だから、持ち運びが容易となるように、また底が抜けたりしないように、ひとつの段ボール箱に目一杯書籍類を詰め込むわけにもいかない。
すると当初もらっていた段ボール70箱ではどうも不足する雰囲気が漂ってきた。したがって急きょ15箱ほどの追加発注をかけた。
昨今の省資源化などの影響を受けて、引越業者でも段ボールのリユースをおこなっているらしい。これについて極度の潔癖性患者などは難色を示すのだろうが、あいにく妻(O型)はまったくそれとは無縁、妻からは神経質だと揶揄される僕(AB型)も、さすがに箱などは一時利用の消耗品と捉え、リユース品でも何ら問題はない。
今回提供された段ボールはすべてリユース品となっていた(前回までの70箱分はすべて新品だった)。リユース品で興味深いのは、既に使用されたときに記載された、内容物の品目を表示する欄である。かつてこの段ボールに何が詰められたというのか、これらの経歴を探るのもまた一興である。
ちなみに僕は仕事柄や生来の特性として、筆跡からそれを書いたのがどんな人物かをおおまかに伺い知ることができるのだが、不思議なことに、ほとんどが女性のものとおぼしき文字であった。男性は引越の詰め込み作業をほとんどやらないことの現れであろうか。ひいては、男性は通常自宅に自分の持ち物が無い、すなわち自分の居場所が無いという哀しき現実を如実に表しているのかもしれない。由々しき事態と見受ける。
まずは下記写真のようなものが一般的であった。

ごく普通である。筆者は割と丁寧な性格だが、やや引き気味で、自分を犠牲にしてしまいがちな傾向のある人なのだろう。
続いてこちら。

幼き子供を有していることが判る。子供と一緒に遊ぶのが大好きで、子供のための衣類やグッズ、弁当などを難なく作ることのできる能力を持っていると思われる。
次はこちら。

字面を見ると、一見ずいぶんといい加減で適当な性格の持ち主に見えるが、実はそうではない。いい加減な人間は皿の前に「お」という接頭辞は付さないだろう。根はいい人だが不器用なだけである。
次はこちら。

「ビデオテープ」の文字が消され、「マンガ」となっている。とすると今回これは3回めの勤めとなる箱だろうか。頭の下がる思いだ。しかし筆跡の感じからすると、ひょっとしたら同一人物の手による訂正かもしれない。引越間際になっての逡巡があったということだろうか。いずれにしても筆者が所持・保有している「本」の類いはマンガしか無い、そんな生活スタイルがにじみ出ている。
そして今回の極めつけはこれだった。

このインパクトには戦慄を憶えざるを得なかった。何故ここまでの荒々しさや激情を持って「炊飯ジャー」と記さねばならなかったのか。何が筆者の精神にそこまでの影響を与えたのか。
他の写真の例からはそこはかとなく、引越というものに対する期待や喜び、あるいは面倒さ、倦怠感などが伺い知れたが、今回のこれは、それらとは全く異なる感情があるように思える。
文字は所定の記載欄からはみ出している。いつ何時も我を貫き通す強靭な意志を持った人格と言えよう。逆に言うと、我を貫き通すあまり、規範を遵守することのできない、社会的には問題のある人格であるとも言える。
単に文字だけの問題ではない。「炊飯ジャー ほか」や「炊飯ジャー・台所用品」など、「炊飯ジャー」以外の内容物があることは全く示唆されていない。一体どんな炊飯ジャーなのか。この段ボール(みかん箱程度)にそれ以外を入れることのできないほどの炊飯ジャーなのか。炊飯ジャーが、他の物品を同梱することを拒絶したとでもいうのか。
いずれにしても、この筆者と炊飯ジャーの周辺で何が起こったのか、興味が尽きることは無い。
