(前回はこちら。→退職



加藤浩一(仮名)はその胸のうちを話してくれた。


「あの法人は大卒ばかり優遇するでしょ。あのまま、

あそこにいても先は知れてるし、退職決めちゃいました。

せいせいしてますわ。後輩の愚痴も聞くけど、

「なら、おまえらも転職したらええがな」って言ってますよ。」

と話した。


私があの法人を辞めた後、加藤の子分たちも別な仕事に就き、

残ったのは加藤だけだった。

そのことが加藤には引っかかっていたようだ。

自分だけが取り残されているような気持ちだったのだろうか。


その後も新しい子分たちが入ってきたが、

法人への不満と自分の行く末を考えると、

そして新しい職場への期待が重なって転職を決めたらしい。


ただ、私は心配した。

加藤は、“転職した者はしない者より優れている”

という勘違いをしていないだろうか、ということを。


法人や上司への不満があっても、残って続けていくことの大切さ、

大変さ、凄さというものをきちんと理解していなければならないと思った。



2回も転職した私が偉そうに言えることではないのだが…。

でも、そんな私だからこそ言えること、なのかもしれない。



また、その頃私は「上司が、トップが、法人が無能だからダメなんだ」

と思ったら、その人の成長はない、と思うようになっていた。




それは、私が転職した先で“自分の力のなさ”を強く感じたからだった。




高齢者のケアはチームで行うことが多いので、関わる人の多くが

同じ意識を共有していなければ良い結果は生まれにくい。

施設の方針や法人の体質がそれを阻害することも多く、

そのために不平不満が生まれやすい、と思う。


しかし、そのことばかりに目がいくと、

「では、自分はどうなんだ」と振り返ることができなくなってしまう。

相手のせいにする人間の多くは、自分の至らなさを振り返ることをしない。


成長するためには自分が努力することが必要なのだ。

そして、人に認められるには自分が成長しないと。

また、相手に認めてもらうためには、自分が相手を認めることが大切なんだ、と。



ただ…。

そんなこと、加藤は百も承知かもしれない。

人づきあいもうまく、リーダーになれる人間だと思っていたから、

きっとうまくまとめていくかもしれないと思った。




新しい船出の時に釘を刺すのは止めよう。
彼ならきっとうまくやるはず。

そう思って、老婆心をさらけ出すのを止めた。



それからまた数年が経った。




風の噂で、加藤はその診療所を辞めたことを聞いた。


そのことを加藤へメールしたら、

「辞めました。今は別のデイケアに勤めています。」とだけ、

返事が返ってきた。


直接言葉を交わすのも気が引けて、連絡はそれっきりになってしまった。



(つづく。)


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(前回はこちら。→施設長のひと言



加藤浩一(仮名)が退職した、と聞いたのは、

私が退職してから4年後のことである。

そのときには、私は2回めの転職をしていた。


ある日、銀行のATMで、一緒に勤めていた

栄養士の若槻さん(仮名)に出会って、そのことを聞いた。

あの頃と変わらず、若槻さんはおしゃべりだった。


「そうそう、加藤くんのこと、知っとる?

病院の先生に誘われて、10月から診療所の事務をしとるだよ。」


え~、現場主義だった加藤が、事務なんてできるの?



なにやら病院に知り合いがいて、そのつてでドクターと

仲良くなったらしい。そのドクターが病院を辞めて

診療所を立ち上げるとのことで、一緒に働こうよ、と誘われたそうだ。



私はビックリして、何年後かぶりに加藤に電話した。



「あ~、久しぶりっす、大造さん。」



昔と変わらない、明るい加藤の声だった。



「下川さんと一緒の施設、辞めたみたいですね^^



うっせ~よ。

なんで知ってんだよ。



「(栄養士の)若槻さんから聞きました^^



若槻さん、早っ…^^;





「診療所とデイケアが併設してるんですよ。今度、来てくださいよ、絶対^^



「へ~、行かしてもらうわ。でも、事務長かえ?出世したなあ。」



「事務長って言っても、現場にも出るんですよ、へへへへ」



何年も話をしてなかったが、生き生きしている様子はすぐに分かった。
やっぱり障害者よりも、高齢者に関わりたかったのかな。



それから1週間後、無性に加藤に会いたくなって、

私は加藤の勤めるデイケアへ向かった。



つづく 。)




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(前回はこちら。→手応え


回数を重ねた、ある日の勉強会のことだった。

自主的な活動をしている私たちの勉強会に興味を持って、

初めて施設長が参加してくれた。


そのときのテーマは「障害者の恋愛について」。

障害者の恋愛、さらには結婚、出産、子育てについて考える、

というものだった。


その施設長も、自分に嘘をつけない正直者だった。

「私は恋愛はいいと思うが、結婚、出産となると責任の問題が出てきて

大変だから、認められない。」と発言した。



施設長くらいの年齢の人間なら、

そう思うのが普通かもしれない。

今でいう人権教育のようなことを

全く受けていない年代なのだから…。

施設長らの年代の人間の多くにとってみれば、障害者とは

”保護されるべき者”という程度の認識なのかもしれない。


もちろん、加藤や加藤の子分らは「それは違う」と反論した。

障害があっても、それで差別してはいけない、と言った。

その場にいた施設長以外のほとんどの人間がそう思っていたため、

施設長だけが追い詰められた空気になってしまった。



重い空気の中、勉強会は終わった。

それからも勉強会の案内はしたものの、

施設長はそれっきり勉強会に顔を出さなくなった。


もちろん、勉強会も消滅してしまった。

そして4月になり、私はその施設を去らなければいけなくなった。
おそらく、私の扱いに困った施設長の判断だったのだろう。

それから数年後、私は退職を決意し、
下川さん(仮名)と一緒に県外の新しい法人に勤務することになる。


そして、加藤とも連絡を取らなくなった。

つづく 。)



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