ななしが行く!日本一周 -8ページ目

ななしが行く!日本一周

徒歩とご縁で移動する日本一周を達成した若者のブログです。(2024年12月18日に日本一周を達成しました!)
現在は、日々の日常生活の一部を載せています。

どうも、ななしです。


5月7日は仕事の関係で文教大前の“出津橋”を通っていました。


4月の時に橋から見た桜の花が素敵だったけれど、今はすっかり葉桜になったのを見て時の流れを感じます。


令和7年四月七日の時に出津橋から撮った↓


昨日仕事帰りに出津橋から撮った↓

出津橋から帰宅後はシャワー浴びた後、疲れて寝てしまった・・・


それで朝ブログ書いてたけど、夜食食わずに寝たから疲れが十分に取れてないかもガーン


以上


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どうも、ななしです。


祝日が休みの会社ならばGWなのですが、現在通勤している会社が祝日でもお仕事がある会社なので、5/6日から出社しました。
岩槻駅西口ロータリーからまっすぐ続く道には、ツツジが綺麗な花を咲かせている。

しかし、朝から雨で寒く、傘差しながら歩いて会社まで行くのは少し辛い・・・

5/7日の流れ

朝9時から午後17時50分まで仕事して退社。

因みに18時半ぐらいまで雨が降っていた。

19時頃帰宅。

殷周伝説読んでから20時50分頃からシャワー。

疲れが出て来たから22時半頃まで仮眠。

再び起きてからもやしカップ麺と、玄米に二種類の胡麻をかけた飯と、銚子で採れたイワシの缶詰を食べた。

YouTubeで進め!ルポライター國友公司等の動画を見る。

本を書いて売る事が投資である事を國友公司が話していた所で中断して、5/7日の仕事に必要な物を揃えてからブログを書きました。

明日は朝早く起きて出社する必要ある為、これ以上夜更かしせず寝ます。


ブログ見ている皆さんも、「雨ニモマケズ、夜更カシセズ」に日々元気良くお過ごし出来る事を願います。


以上


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どうも、ななしです。


令和七年五月五日は、“西宝珠町”にある“大凧あげ祭り会場”を見に行きました。


12時16分頃に大凧あげ祭り会場に来て、土手の道に自転車を停めてから屋台がある場所へ向かった。
お昼の間は午前中に上げていたと思われる、エイ?型の凧を上げてた方がいた。
因みに隣にはクジラ型の凧もあった。

土手には結構な人数の見物客が座りながら昼食を食べていた。

屋台が集まる場所に行くと、トルコ人らしき外国人がケバブを売っていたので、甘口のケバブサンド(800円)を買って食べた。
実はケバブを食べるのは初めてで、試しに食べてみたかったのが買った理由です。

ピタパンに挟まれたラム肉と、鶏肉が甘いソースとマッチして食べやすかった。

飲み物が欲しくなったから、近くの屋台で十六茶の缶(100円)を買って飲んだ。

13時になるまでの間、子供達が楽しそうに持参した小さい凧を揚げていたのを土手に座って眺めてた。


午後13時半頃になって漸く、小凧が揚げられた。
小凧と言っても重さは150キロもあり、10人以上の人が会場へ運んでから皆で走って揚げるのは、思っている以上に大変だと思います。

この日は風がそこそこ吹いていたので、小凧は5分以上安定して揚がっていた。
他の見物客達は、凧が落ちそうになる応援し、落ちると残念そうに声を上げていた。

小凧が降りてきて次の凧揚げが始まるまでの間、大凧を会場へ運ぶ様子が見られた。
むやみに人の顔が写っているのは良くないから大凧ごとボカシ入れたけど、畳100畳分の大きさで重さ800キロ程ある大凧を運ぶ所を見て、こんな物を揚げようとするの凄いなぁと感心した。

15時になって漸く、土手の頂上付近に置かれた大凧の頭を揚げ始めた。
風に乗って少しは揚がったけど、この時は風が弱くて2分ぐらいしか揚がらなかった。

大凧揚がった様子が見れたし自転車の所へ戻ろうと、土手近くを歩いてたら“希望”と書かれた小凧を揚げた様子が観れた。

その後、大凧あげ祭り20周年を記念した大凧が揚がった様子を観て、暫く眺めていました。
8分以上も揚がっていたので、凄えなぁと感心しました!

20周年記念大凧が降りた後、女性達が揚げた小凧を最後に眺めました。
15時半頃から風が強く吹き始めめたので、かなりの高度で安定して揚がり続けていた模様。

また来年以降、行ける機会があれば、午前中に行って凧揚げを見たいと思いました。

この後の行動。
15時45分頃、来た道辿ってビバホームへ寄り、🦍ゴリラテープと防水アルミテープを購入してから帰宅。

帰宅後、春日部八幡神社へ行って参拝しました。


神社から帰宅後、カーポートの穴埋め作業を再開する。

ウエルシアに行って、会社の昼食に食べるパンを買い溜めする。


帰宅後、お風呂→夜食を食べる。

ウエルシアで買ったバリバリ食べる!おつまみキャベツで玄米が進む進む。

殷周伝説を読む。

ブログを書いてから就寝。


と言う訳でおやすみなさい(つ∀-)zzZ


以上


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今回は、今日の大まかな流れを載せます。


朝9時50分頃に起きる。

廃品回収の軽トラが自宅付近に来たので、手回し式の充電器等を回収して貰った。

自分の部屋と廊下、階段を掃除した。

12時半頃に春日部駅東口近くにある“日高屋”で、ネギタワータンメンと半ライス(1000円)を注文して食べた。

春日部の“島忠ホームセンター”でダクトテープ等を購入した。

帰宅後、数年前降ったに雹の影響で穴が空いた車庫の屋根(カーポート)を、ダクトテープ等使って塞ぎ直した。

16時頃か、ら雨が降っては止んでを繰り返す天気雨になってきた。

18時半頃、“ウエルシア春日部八丁目店”で主に食品を購入した。

帰宅後、シャワーを浴びる。

夜食は、ウエルシアで購入した薄皮ハンバーグ&ケチャップパンと、玄米と味噌汁食べた。
昔、親が買ってきた「殷周伝説」と言う、有名な中国史を題材にした漫画が部屋にあるけど邪魔になって来たから処分する前に読んでみたら、中々面白いので一通り読んでから捨てることにしました。
詳しくストーリーを知りたい方は、“殷周伝説 Wikipedia”で検索して下さい。

明日は天気が良ければ、埼玉県春日部市西宝珠花にある“大凧あげ祭り会場”に行く予定です。

以上


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令和七年五月三日は、北鎌倉の“建長寺”へ行って来ました。


行った理由は、学生時代にお授かりした紫色の御守りが日本一周終えるまでの間、引き出しに入ったままだったのに気が付いたので、それをお返ししてお焚き上げして貰う為です。


学生時代の時は、御守りを引き出しに仕舞いっぱなしにする事が良くない事を知りませんでした。


御守りと言うのは、お授かりした神社仏閣の神様仏様の分身の様な存在なので、引き出しや押入れには置かず、尻に敷いたり足で踏んだりするのは厳禁です。


そして、可能ならば身に付け、一年過ぎたらお授かりした所へお返ししてお焚き上げして貰うのが良いです。


但し、一年過ぎても必ずしもお返ししなければならない訳ではなく、お返ししなければならない場所がかなり遠い場合は、大事に扱って身に付けていれば良いとの事です。


春日部駅から午前11時18分発の大宮駅行に乗って行きました。

大宮駅から4番線の逗子行きに乗り換えて、13時25分頃に“北鎌倉駅”に到着した。
お腹減った状態で折角鎌倉に来たので、北鎌倉駅付近にある“香下庵 茶屋”で春色ばらちらし弁当(1500円)を頼んで食事しました。

こぢんまりとした庭園だけど窓からの眺めは良かった。
甘い味付けのちらし弁当は、甘党の自分の舌に合って良かったウインク

その後、焼きたてのあんこ&みたらし串団子(700円)を頼んだ。
焼きたてでふっくらしてモチっとした団子が、みたらしやあんこと絡んで結構美味しかった。

14時15分頃茶屋を出て、線路沿いを道なりに歩いて行った。
途中で“憩いの広場”にある看板に、北鎌倉の由来が載っていた↓

茶屋から歩いて12分程で“建長寺”の“総門”に到着。

拝観料は500円でした。
国重要文化財に指定されている三門。

鎌倉五山の第一位である建長寺は、正式には巨福山(こふくさん)建長興国禅寺と言う号で、禅宗の寺院で臨済宗建長寺派の大本山です。

鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩です。

史料によると、鎌倉幕府五代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招いて開いたとする、日本で初めての禅専門道場だそうです。

建長寺は正応6年(1293年)4月12日に発生した鎌倉大地震により建造物の大半が倒壊し、炎上後、元から来日した一山一寧を第十世に任じて再建しましたが、火災や地震の影響で、建設当初の建物をたびたび失った歴史があります。

三門通った後、仏殿へ寄りたかったのですが、修繕が行われていて入れない為、“唐門”前から右通って“方丈(龍王殿)”へ行きました。


龍王殿入って右側の階段を登ると、毎年ゴールデンウィーク期間中開催されてると言う「金澤翔子展」を見てみたら、金澤さんが二十歳のときに書いたという「般若心経」が凄く達筆で見応えがありました。


金澤さんは、2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を揮毫した天才書家とのことです。


その後、方丈(龍王殿)内から見た唐門。
方丈(龍王殿)は本来、方丈は住職の居間ですが、現在では11月の宝物風入や各種儀式、コンサートなどの催しなどに使用されているそうです。

龍王殿の本尊は、宝冠釈迦如来です。

龍王殿の裏へ周ると、「池泉(ちせん)鑑賞式庭園」と言う、国の名勝に指定されている緑色の美しい碧池があります。


庭園を眺めた後、龍王殿を出て左側の参道を進んで“半僧坊”へ行きました。

草刈りする音がするけど、観光客が少なくて落ち着ける所です。
石段登って“半僧坊本殿”前にある“相模湾見晴台”に来て眺めた。
半僧坊建立の由来を調べてみましたら、明治23年(1890年)に建長寺の当時管主が、静岡県浜松市の方広寺(後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」(むもんげんせんぜんじ)が開いた寺)から勧請したそうで、半僧坊大権現(天狗)を建長寺の鎮守(地霊をしずめ、その地を守護する神)としたのが始まりです。
↑半僧坊 縁起の由来に出てくる白髪の老人が天狗に見えた模様。

本殿前から右へ進んで山道を5分程登って行くと、“勝上巚展望台”に来た。
鎌倉の町並みが良く見える素敵な場所でした。

更に奥へ天園ハイキングコースを進むと、“十王岩”と呼ばれる岩がある場所に来ました。

“十王岩”は、右から「閻魔大王」「血盆菩薩」「如意輪観音」が彫られている岩です。

「喚き十王やぐら」とも呼ばれているそうです。


因みに、「血盆菩薩」は月経の血で地を穢したという罪による血の池(血盆)地獄から救済することを説いた菩薩様です。


如意輪観音は6本の手を持ち、如意宝珠と法輪で、迷いを打ち砕き、あらゆる願いを叶えてくれる菩薩様です。



“十王岩”付近の眺め。
ここは強風が吹いて少し寒いけど、眺めはそれなりに良い場所でした。

“十王岩”から引き返した後、半僧坊本殿の授与所で御朱印帳を購入してから、季節限定の御朱印を戴きました。

その後、建長寺の御守りをこの授与所でお返しして、感謝の気持ちを込めてお焚き上げをお願いしました。

授与所から17分程で仏殿前に戻り、樹齢760年もある“建長寺のビャクシン”を近くで見に行った。



伊豆半島にある“大瀬神社 御神木”ほどではないけれど、立派な巨木のビャクシンです。

ビャクシン付近にある国宝の“梵鐘”。

かの有名な夏目漱石が建長寺で作った俳句を、正岡子規が参考にした事を初めて知りました。

最後に総門前にある“朱印所”でツアーでやって来た外国人達に混じって、とある会社の知り合いへあげるお土産として、500円のうちわを買いました。
外国人参拝客が大勢来る観光地のお寺ですが、歴史があって見所が多いので、一度はしっかり観に行く事をお勧め出来ると思います。

総門から左へ進んで“巨福呂坂切通”↑を通って道なりに歩いて行くと、鎌倉名物鳩サブレーを売っている“御谷休憩所”で4個で615円する鳩サブレーを会社へのお土産用に購入した。

休憩の少し先にある左側の鳥居をくぐって登ると、“鶴岡八幡宮”にやって来ました。
鶴岡八幡宮は11世紀後半に、源氏の守り神として創建されて以後、鎌倉武士の守護神となっております。

主祭神は、応神天皇・神功皇后(第14代仲哀天皇の妃、応神天皇の母)・比売神(ヒメガミ)です。

参拝後、大石段を下って左側にある御朱印授与所で御朱印を戴いた後、若宮の隣にある“源実朝のビャクシン”を見ていきました。
鎌倉市指定天然記念物であり、少なくとも樹齢800年あるそうです。

この「ビャクシン」は、三代将軍源実朝が宋から苗を取り寄せて植えたものと伝えられています。

その後、初穂料100円の“自祓い所”で紙の人形(ひとがた)を取り、茅の輪を正面よりくぐり、左回り右回りもう一度左回りとくぐり、最後に赤い箱の前で人形を自身お祓いしたい箇所に宛てて清めました。

次に大きな“源氏池にある”旗上弁財天社で参拝後、旗上弁財天社の後ろ側にある“政子石”を見物してから“三の鳥居”前へ出て、鎌倉駅へ向かいました。
三の鳥居前に続く参道は“段葛”と呼ばれ、養和二年三月の時、源頼朝公は妻政子の安産を祈り、この参道を整備したそうです。
↑の説明文は、“鶴岡八幡宮 二の鳥居”の大きな狛犬前にあります。

二の鳥居から右へ横断歩道渡って行くと、“天婦羅”という店付近で200円の焼きたてたい焼き売ってたのを見て買い、鎌倉駅まで食べ歩きした。
アツアツで尻尾部分がカリッとしてて旨かった。

17時半頃に鎌倉駅から大宮駅経由で19時半頃、春日部駅から無事に帰宅。


帰りは疲れて電車の中では殆ど寝てた。


北鎌倉駅から近くには、“円覚寺”と言う有名な禅宗の大きなお寺があるので、また行く機会があれば寄ってみたいと思います。


以上


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