どうも、ななしです。
令和七年五月三日は、北鎌倉の“建長寺”へ行って来ました。
行った理由は、学生時代にお授かりした紫色の御守りが日本一周終えるまでの間、引き出しに入ったままだったのに気が付いたので、それをお返ししてお焚き上げして貰う為です。
学生時代の時は、御守りを引き出しに仕舞いっぱなしにする事が良くない事を知りませんでした。
御守りと言うのは、お授かりした神社仏閣の神様仏様の分身の様な存在なので、引き出しや押入れには置かず、尻に敷いたり足で踏んだりするのは厳禁です。
そして、可能ならば身に付け、一年過ぎたらお授かりした所へお返ししてお焚き上げして貰うのが良いです。
但し、一年過ぎても必ずしもお返ししなければならない訳ではなく、お返ししなければならない場所がかなり遠い場合は、大事に扱って身に付けていれば良いとの事です。
春日部駅から午前11時18分発の大宮駅行に乗って行きました。
大宮駅から4番線の逗子行きに乗り換えて、13時25分頃に“北鎌倉駅”に到着した。

お腹減った状態で折角鎌倉に来たので、北鎌倉駅付近にある“香下庵 茶屋”で春色ばらちらし弁当(1500円)を頼んで食事しました。


こぢんまりとした庭園だけど窓からの眺めは良かった。

甘い味付けのちらし弁当は、甘党の自分の舌に合って良かった

その後、焼きたてのあんこ&みたらし串団子(700円)を頼んだ。

焼きたてでふっくらしてモチっとした団子が、みたらしやあんこと絡んで結構美味しかった。
14時15分頃茶屋を出て、線路沿いを道なりに歩いて行った。

途中で“憩いの広場”にある看板に、北鎌倉の由来が載っていた↓

茶屋から歩いて12分程で“建長寺”の“総門”に到着。

拝観料は500円でした。

国重要文化財に指定されている三門。


鎌倉五山の第一位である建長寺は、正式には巨福山(こふくさん)建長興国禅寺と言う号で、
禅宗の寺院で
臨済宗建長寺派の大本山です。
鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩です。
史料によると、鎌倉幕府五代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招いて開いたとする、日本で初めての禅専門道場だそうです。
建長寺は正応6年(1293年)4月12日に発生した鎌倉大地震により建造物の大半が倒壊し、炎上後、元から来日した一山一寧を第十世に任じて再建しましたが、火災や地震の影響で、建設当初の建物をたびたび失った歴史があります。
三門通った後、仏殿へ寄りたかったのですが、修繕が行われていて入れない為、“唐門”前から右通って“方丈(龍王殿)”へ行きました。


龍王殿入って右側の階段を登ると、毎年ゴールデンウィーク期間中開催されてると言う「金澤翔子展」を見てみたら、金澤さんが二十歳のときに書いたという「般若心経」が凄く達筆で見応えがありました。
金澤さんは、2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を揮毫した天才書家とのことです。
その後、方丈(龍王殿)内から見た唐門。

方丈(龍王殿)は本来、方丈は住職の居間ですが、現在では11月の宝物風入や各種儀式、コンサートなどの催しなどに使用されているそうです。
龍王殿の本尊は、宝冠釈迦如来です。
龍王殿の裏へ周ると、「池泉(ちせん)鑑賞式庭園」と言う、国の名勝に指定されている緑色の美しい碧池があります。


庭園を眺めた後、龍王殿を出て左側の参道を進んで“半僧坊”へ行きました。

↓

草刈りする音がするけど、観光客が少なくて落ち着ける所です。

↓

石段登って“半僧坊本殿”前にある“相模湾見晴台”に来て眺めた。

半僧坊建立の由来を調べてみましたら、明治23年(1890年)に建長寺の当時管主が、静岡県浜松市の方広寺(後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」(むもんげんせんぜんじ)が開いた寺)から勧請したそうで、半僧坊大権現(天狗)を建長寺の鎮守(地霊をしずめ、その地を守護する神)としたのが始まりです。

↑半僧坊 縁起の由来に出てくる白髪の老人が天狗に見えた模様。
本殿前から右へ進んで山道を5分程登って行くと、“勝上巚展望台”に来た。

鎌倉の町並みが良く見える素敵な場所でした。

更に奥へ天園ハイキングコースを進むと、“十王岩”と呼ばれる岩がある場所に来ました。

“十王岩”は、右から「閻魔大王」「血盆菩薩」「如意輪観音」が彫られている岩です。
「喚き十王やぐら」とも呼ばれているそうです。
因みに、「血盆菩薩」は月経の血で地を穢したという罪による血の池(血盆)地獄から救済することを説いた菩薩様です。
如意輪観音は6本の手を持ち、如意宝珠と法輪で、迷いを打ち砕き、あらゆる願いを叶えてくれる菩薩様です。
“十王岩”付近の眺め。

ここは強風が吹いて少し寒いけど、眺めはそれなりに良い場所でした。
“十王岩”から引き返した後、半僧坊本殿の授与所で御朱印帳を購入してから、季節限定の御朱印を戴きました。

その後、建長寺の御守りをこの授与所でお返しして、感謝の気持ちを込めてお焚き上げをお願いしました。
授与所から17分程で仏殿前に戻り、樹齢760年もある“建長寺のビャクシン”を近くで見に行った。



伊豆半島にある“大瀬神社 御神木”ほどではないけれど、立派な巨木のビャクシンです。
ビャクシン付近にある国宝の“梵鐘”。


かの有名な夏目漱石が建長寺で作った俳句を、正岡子規が参考にした事を初めて知りました。

最後に総門前にある“朱印所”でツアーでやって来た外国人達に混じって、とある会社の知り合いへあげるお土産として、500円のうちわを買いました。

外国人参拝客が大勢来る観光地のお寺ですが、歴史があって見所が多いので、一度はしっかり観に行く事をお勧め出来ると思います。

総門から左へ進んで“巨福呂坂切通”↑を通って道なりに歩いて行くと、鎌倉名物鳩サブレーを売っている“御谷休憩所”で4個で615円する鳩サブレーを会社へのお土産用に購入した。
休憩の少し先にある左側の鳥居をくぐって登ると、“鶴岡八幡宮”にやって来ました。

鶴岡八幡宮は11世紀後半に、源氏の守り神として創建されて以後、鎌倉武士の守護神となっております。
主祭神は、応神天皇・神功皇后(第14代仲哀天皇の妃、応神天皇の母)・比売神(ヒメガミ)です。
参拝後、大石段を下って左側にある御朱印授与所で御朱印を戴いた後、若宮の隣にある“源実朝のビャクシン”を見ていきました。

鎌倉市指定天然記念物であり、少なくとも樹齢800年あるそうです。
この「ビャクシン」は、三代将軍源実朝が宋から苗を取り寄せて植えたものと伝えられています。
その後、初穂料100円の“自祓い所”で紙の人形(ひとがた)を取り、茅の輪を正面よりくぐり、左回り右回りもう一度左回りとくぐり、最後に赤い箱の前で人形を自身お祓いしたい箇所に宛てて清めました。
次に大きな“源氏池にある”旗上弁財天社で参拝後、旗上弁財天社の後ろ側にある“政子石”を見物してから“三の鳥居”前へ出て、鎌倉駅へ向かいました。

三の鳥居前に続く参道は“段葛”と呼ばれ、養和二年三月の時、源頼朝公は妻政子の安産を祈り、この参道を整備したそうです。

↑の説明文は、“鶴岡八幡宮 二の鳥居”の大きな狛犬前にあります。

二の鳥居から右へ横断歩道渡って行くと、“天婦羅”という店付近で200円の焼きたてたい焼き売ってたのを見て買い、鎌倉駅まで食べ歩きした。

アツアツで尻尾部分がカリッとしてて旨かった。
17時半頃に鎌倉駅から大宮駅経由で19時半頃、春日部駅から無事に帰宅。
帰りは疲れて電車の中では殆ど寝てた。
北鎌倉駅から近くには、“円覚寺”と言う有名な禅宗の大きなお寺があるので、また行く機会があれば寄ってみたいと思います。
以上
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