どうも、ななしです。
現在地を詳しく知りたい方は、「」←の中にあるワードをコピーしてGoogleマップで検索して見て下さい。
大分県4日目は、「下梶寄海水浴場」から「中越海水浴場」に向かって行きました。
テントを張った付近の場所から見た下梶寄海水浴場。




↑の真ん中あたりの建物の下にテントを張ってた。
でも、少し雨でテントが濡れた・・・

下梶寄の登り坂↑と坂の上から見た下梶寄の町↓

「鶴御崎」の先端に向かって登り坂を進んで行きました。

「鶴見大字梶寄浦」の道中。



登る途中で「鶴見大字大島」がよく見れた。

道なりに登ると、「鶴御崎自然公園」の入り口に来ました。

入り口にある建物で休んでいた時にいた小さな蟹。


少し進むと、「鶴御崎自然公園 展望ブリッジ」への登り坂にやって来ました。

木で出来た階段と落ち葉の坂道を500メートル程歩いて行った。



最後に石段を上がると、展望ブリッジがある場所にやって来ました。


防空ごうの高さは自分の伸長よりも少し高いぐらいでした。


水飲み場跡↑と兵舎跡↓



やって来た階段を下って行った。

その後、舗装された道から木の階段を下って行った。

下って行くと駐車場に出て休憩後、「鶴御崎灯台 」への道登って行きました。

急な坂を上がると、「鶴御崎灯台 (旧海軍望楼跡)」前に来ました。

灯台へ行く前に、灯台横の道を歩いて行きました。


石段を下る途中で見た眺め。

少し下って行くと、「鶴御崎」の先端にやって来ました!



黒いキャラは鶴見半島の形をモデルにしていると思った。

鶴御崎の先端の眺め。


九州の一番東なだけに険しい場所でした。

来た道を戻ってから東屋で少し休んでいた。


休憩後、「鶴御崎灯台 (旧海軍望楼跡)」の前に来ました。

自分が来る前に、夫婦と思われる二人が幸せの鐘を鳴らしていた。


幸せの鐘の場所から眺めた四国の山↑と東屋&展望ブリッジ↓


灯台を出た後、兵舎跡を見に行きました。


木の階段と落ち葉の下り坂を200メートル以上行くと、旧日本軍が建てた兵舎跡にやって来ました。

分かりにくいけど、↓の真ん中の柱みたいな所の左側にアナグマが住みかにしていた。

兵舎跡を少し歩き回った。


竈かもしれない部分。


所々に柱があったような感じするから、もしかしたらちゃんとした屋根があったのかもしれません。

帰り道。

兵舎跡を出た後、舗装された道を登って行きました。


鶴御崎自然公園の駐車場付近にある「鳥羽一郎「男の港」歌碑」。

帰りも来た道と同じ道を下って行きました。

ここからしばらく森林の中にある道になります。


この時、パラパラと雨が降ってきた。



真ん中に大きなソテツがあるだけの広いロータリーの左側の崖は崩れていた。

ここらへんで雨が止んだ。

梶寄の町へ下る前にある「元之間海峽段段展望所」。

ここからだと、大島がより近くで見れました。



↑のΩになっている部分からも眺めたけど、草木が邪魔で見えなかった↓




「梶寄漁港公園(梶寄公園)」の花↑と梶寄の町↓


梶寄からしばらく進んで行って「丹賀砲台園地」に来ました。

閉館15分前だったけど、門を訪ねたら門衛の方がパンフレットをくれたのと、少しだけなら覗いてもいいと言われて見てみた。




門衛の方の話によると、「丹賀砲台ドーム」の場所は旧日本軍が砲台を使った訓練をする為に作られたらしく、訓練中に玉詰まりを起こして爆発し、16名が亡くなったとのこと。
鶴御崎の兵舎跡も訓練場の一つだった模様。

道中から見えた丹賀砲台ドーム。


「丹賀路傍緑園地」付近から見た赤色の崖↑と丹賀路傍緑園地↓



丹賀浦の道中。



広浦トンネルを抜けて「鶴見大字中越浦」の道中を進んで行きました。


「猿戸港」がある集落。



県道604号の道中。




夕焼けで少し明るくなった。

「中越漁港」付近。

「中越海水浴場」を少し歩いた。


海岸に落ちてた鎌の形っぽい流木。

海岸を出た後、バイクで自撮りしていた男性の方に自撮りのお手伝いしようと思って声を掛けたらお願いしますと言われて写真を撮った。

その後、大分が地元のその方とお喋りしてから去った。
5/23日は、「中越海水浴場」付近の駐車場にテントを張って過ごしていました。
以上
-------------------------------------------------------------
↓を押すと他の旅行者のブログが見れます。
それと、私のブログの人気が少しずつ出るようになります。