先日このブログともうひとつ開設している時評編ブログでも紹介した自民党内有志の勉強会である経世済民政策研究会はさらなる金融緩和政策の強化と積極的財政政策案を盛り込んだ提言書を菅義偉総理大臣に提出しました。この提案書は予備費数兆円をつかった国民ひとりあたり5万円の定額給付金再支給と、第3次補正予算でのさらなる追加支給(金額と回数は今後の経済状況の不確実性が高いためにあえて決め打ちせず)も盛り込まれていたことで大きな反響を呼びました。

 

 

 

しかしながら定額給付金の再支給に麻生太郎財務大臣などが給付金は消費ではなく貯蓄に回っただけだという発言をしました。さらに「国民一律に10万円ではなく、収入が大幅に減った世帯に限定して30万円を給付するという当初の案の方が望ましかった」とか「間違いなく預金に回ったことは確かです。あんたも10万円もらったわけだろ、必要もないのに、別に食うに困ってるわけじゃないんだからさ。もっと貧しい人に10万円が行っておけば、もっと全体には良かったんじゃないか」とも言っていたようです。

 

 

麻生大臣が所管する財務省ですが、この役所は国民に現金を配ることが気に入らないみたいですね。定額給付金や給付付き税額控除、過去を遡りますと民主党政権がかつて目玉政策のひとつとして行っていた子ども手当のようにお金をバラ撒いても政治家や役人の利権や利得にまったくつながらない制度は彼らがいろいろ難癖をつけて潰そうとします。

 

 

かつて菅直人が財務大臣だったときに当時野党だった自民党の林芳正議員が財務官僚にそそのかされる格好で国会の場で菅に対し子ども手当の乗数効果について質問をしたところ菅は頓珍漢な回答しかできず大恥をかきました。子ども手当は東日本大震災後のドサクサに巻き込まれる格好で僅かな期間で潰されることになります。

 

 

定額給付金に話を戻しますが、麻生氏の発言のおかしさは今年3~6月までの間のことを振り返ってみただけで気がつくことです。まずこの全国民一律の定額給付金を安倍前総理が決断した理由は景気対策というよりも全国民に対する失われた所得の補填という意味合いで行われました。麻生氏や岸田文雄氏などは当時所得が急減した世帯だけに絞った30万円給付案に止めようとしたものの、受給資格の証明が非常に難しく給付金を貰える世帯がごく僅かでしかないことから多くの国民が反発し、公明党の進言や安倍総理の英断で全国民一律10万円給付に転じたという経緯があります。

 

もし仮に当初の所得制限付き30万円給付案であったならば、申請者とそれを受けて利用資格判断や給付金支給の事務手続きを行う地方自治体職員の負担はかなり重いものになっていたでしょうし、それが感染クラスタ発生につながっていた恐れもあります。とくに今回の場合は突然にして起きた経済活動マヒと失業や休業、倒産、廃業などのによる所得激減で所得補填の迅速性が求められていました。こうした現金給付について財務省をはじめとする役人たちは細々とした利用資格条件をつけたがりますが、これによって極めて深刻な経済的苦境に追い込まれているにも関わらず給付対象から漏れてしまうといった問題が発生します。一部で「定額給付金ではなく生活保護や雇用保険の改善で対応すればいいのに」などと間の抜けた発言をした人がいますが、生活保護の利用しづらさをまったく理解していない人です。

(こういう人こそ生活保護なんか簡単にもらえると高をくくってなめていると私は思う)

よく「もっと困っている人(だけ)にお金を配った方がいいのに」という人がいますが、こういう人は困っている人がどういう人なのかという定義づけができていないし、それを実行するための制度案も全然考えていません。私のように「低所得状態で困っている人の救済はマイナンバーを活用した給付付き税額控除を導入すればできる」という案を用意している人はいないのです。

 

何度かこのブログで言ってきたように歳入庁とマイナンバーによる国民の所得や資産状況の捕捉が正確にできており、さらに給付付き税額控除が日本でも導入されていれば「ほんとうに貧しい人に手厚く現金を給付する」ということができました。しかしこれまで財務省や徴税逃れをしたい人間、反社会勢力へのヤミ送金をしているような組織がこのシステムづくりを妨害してきたのです。結果として今回全国民に一律給付するという方法を採らざるえなくなったのはこれまでの財務省や一部政党・政治家の怠慢のツケです。

 
給付金の財源については1~3回程度の単発的なものならば国債と通貨発行益で調達することに問題はなく、後の増税や歳出削減をする必要もないという説明はすでにここのブログで行っています。

 

 

財務省などが国民への現金直接給付を渋る難癖は財源だけではなく、政策効果がないという論法を用いてきます。菅直人が林芳正氏に詰められて答えられなかった乗数効果とその低さとか恒常所得仮説を持ち出してくる例が多いです。

念のために乗数効果と恒常所得仮説について触れた自分の記事を紹介しておきましょう。(皮肉にも麻生氏が総理大臣だった時代に行った定額(低額)給付金のことについても触れている)

 

 

 

今回は乗数理論とか恒常所得仮説という言葉は麻生氏の口から出てきませんでしたが、政治家や役人たちはこの二つを「やっても政策波及効果がない」とか「一時的にお金をばら撒いても消費ではなく貯蓄に回されるだけ」だと言いたいときに引き合いに出します。

 

しかしながら私はこうした彼らの解釈については異議があります。彼らは「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」とばかりにもらった瞬間に全部遣わなければ政策効果がなかったと考えているのでしょうか?実際に定額給付金を受け取った人の4割近くが貯蓄に回ったとされていますが、そのお金がいつまでも消費として使われず死蔵され続けるわけではありません。ある一定以上の期間に渡って分散して消費に使われることでしょう。本来の恒常所得仮説(ライフサイクル理論)の意味は得た所得が生涯に渡って平準化するかたちで消費に回されるということです。

 

今回受け取った定額給付金を使わず貯蓄に回したという人は麻生氏がいうようにお金に困っていないから使わなかったというより、将来所得が減ったり大きな支出をしないといけないような事態に備えたといった方がいいのではないでしょうか。いまのコロナ危機も不確実性が高く、いつまで続くのか予想ができません。となると一気にもらった給付金を使いきるのではなく、少しづつ小出しにして使っていくつもりなのかも知れません。

 

もっといえば1回か2回だけの定額給付金だからこそ皆すぐに消費に回さないのです。一定期間以上の給付を続けると政府がコミットするならばもらった給付金を使いきってくれる可能性があるのではないでしょうか。大阪大の安田洋祐大准教授がコロナ危機が収束するまでの間全国民に毎週1万円の給付金を出すという期間限定の小型ベーシックインカムというべき案を提案されました。これなら人々は「しばらく給付が続くならばお金を使っていこうか」と思うようになるかも知れません。

 

 

自分が過去に書いた恒常所得仮説について触れたブログ記事は、自分たちが将来得られる所得が増えるという予想ができないと人々はお金を使わなくなるという意味で書きました。優れた金融政策によって就労者が雇用が安定的であり続けるという予想や期待を抱き続けるようにすること、万が一深刻な不況や災害が起きた時は政府が財政政策で人々の所得の保障をすること、もっと究極的にいえばベーシックインカムのような制度をつくって誰もが最低限の所得を保障される状態にすることなどで人々は安心して消費生活ができるようになります。

 

ついでに言いますと先の「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」というのも、当時江戸の長屋に住む人たちは何か生活に困ったときは大家や同じ長屋に住む人が助けてくれたり、人糞が農作の肥料として高く買い取られたために、それがいい固定所得となっていたという背景もあります。(肥溜めベーシックインカム?) 時代小説家だった池波正太郎さんのエッセイを読むと当時の江戸庶民はそこそこ真面目に働いてさえいれば苦なく生活できてしまうから「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」でお金を貯めこもうとしなかったという書述が見受けられます。

 

話が脱線しましたが、「定額給付金なんかばら撒いてもみな消費に回さないから意味がない」というのは大きな勘違いです。「自分たちの所得が安定的に増え続ける」という将来の予想や期待ができていないからお金を貯めこもうとするのです。今回のコロナ危機は政府が国民の生活危機に対してしっかりとした支援や対応をするという行動を示すことで、国民からの政府に対する信頼感や安心感を築き上げることができます。金融緩和政策や積極的財政政策によって国民の所得や資産の損失を最低限に抑え込むことで、人々が積極的にお金を使える状況をつくっていくべきです。

 

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