ガラパゴスの蛙たち | メタメタの日


 私自身「学校秀才」の成れの果てみたいなところがあるから,学校秀才の上がりの一つの形である学校の先生の批判はあまりしたくないのだが,かけ算の式の順序にこだわる学校の先生の主張を見ていると,「ばぁーーか」としか言えないときがある。なんというか,世間を知らな過ぎる。自分が世間を知らないということを知らな過ぎる。そのくせ生真面目で,何につけ順序を守り守らせることが大切だと思い,さらにその上,若い世代の先生はマニュアル好きになっている(のではないか)。そういう学校の先生の体質が(そうでない人もいるのは知っているが学校社会では例外扱いされているようだ),かけ算論議の向こうに透けて見えてくるときがある。


=========(引用始め)==================

Q3:「2×8ならタコ2本足」という教え方を肯定しますか.

回答:YES.

より具体的には「2×8だとタコ2本足と思われちゃうよ(君がそうじゃないという明確な意図をもって書いたとしても)」です.

書いた人がどう考えたかよりも,そう書いたらどう受け取られるかに注意します.

=========(引用終り)==================

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20120209


 教える先生の方がわかっていなくて,わかっている生徒をダメにする教え方ではないのか。いったい小学校以外のどこの世界で,2匹のタコの足の数を「2×8」とかくと,タコが2本足と受け取られるというのか。そう受け取る人がいたら,受け取る人が間違いで,かけ算の式は,「いくつ分×1つ分」で書くこともあるよと教えるのが社会で通用する常識を教える公教育の務めではないのか。

ガラパゴス的進化を遂げた算数教育ワールド以外には,2×8」をタコ2本足と受け取る世界はないということが,世間知らずのセンセイには分からなくなっているとしたら,日本の教育は相当重症だ。


 引用したブログの大学の先生は,いろいろ文献を紹介してくれるので有り難いが,算数教育ワールドの専門用語がガラパゴス的隠語にしかなっていないという反省はないのだろうか。


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マルクスは,G-W-G´という表式一つから資本主義社会の仕組みを解き明かしてみせた。

 2×3=6 という表式一つをめぐっても同じことが言える。かけ算をこの表式(インドアラビア数字,×,=という記号)で書くことは,ヨーロッパではここ400年,日本では百数十年のことでしかない。人類はそれ以前の何百年,何千年,もしかすると一万年以上前から,かけ算をしてきた。かけ算の意味や方法は,地域によって時代によって人によって異なっていた。グローバル化した近代になって,それらの違いを捨象して,2×3=6という式に表現が統一されただけだから,2×3=6の式の下には何千年分もの意味や解釈が埋まっている。式の解釈を1つに統一するのは無理な話だし,式の意味は文脈で判断するしかない。

 2×3=6という式の下の「地層」を発掘すること,それは歴史文献からであったり,かけ算を習い始めた子どもの発想からであったり,あるいは自然数を小数・分数・負数・複素数などに拡張することからであったりするが,知的に面白い。1つ分×いくつ分」の順序であれ,他の何であれ,かけ算の意味を1つにしか理解しないというのは,知的につまらない。