「からす算」あるいは「構造と素子」のこと | メタメタの日

(つづきです)


 からす算と同じような問題は、西洋にもあります。ピサのレオナルド(フィボナッチ数列で有名なフィボナッチです)が書いた『算板書』(1202年)に次のような問題があります。(カジョリ『初等数学史』小倉金之助補訳167頁)

「7人の老婦人がローマに旅した。婦人は各々7ひきのラバをもち、ラバはそれぞれ7個の袋を運ぶ。それぞれの袋には7個のパンがあり、そのパンには7挺のナイフがあり、それぞれのナイフには7個のさやがある。ここに名指されたすべてのものの和はいくらか? 答 137256

 この問題をヒントにすると、紀元前1650年頃の古代エジプトのアーメス・パピルスにあった問題は次のように解釈されるそうです。(前掲書34頁、一部補)

「7人のひとがそれぞれ家に7匹のネコをもっている。それぞれのネコは7匹のネズミを食った。それぞれのネズミは7本のオオムギの穂を食った。それぞれの穂からは7合のムギがとれる。これらの事実からおこる級数はなにか。またその項の総和はいくらか?」

 こう解釈されるというアーメス・パピルスの原文は、

 749343240116807

という連続するベキ数と、その項の和19607が書かれていて、またべき数には

 家、ネコ、ネズミ、オオムギ、枡

などの語が書かれていただけ、ということです。

 このように、古代エジプトにも古代中国にも中世ヨーロッパにも、近世日本の「からす算」と同じような問題があったわけですが、今から見れば、単なるかけ算の問題にしか見えません。しかし、時代と地域を越えてこの問題に興味が惹かれたというのは、何か理由があったはずです。

似た問題として、「倍々問題」というのもあります。将棋盤の最初の枡目に米1粒、次の枡目に2粒、次に4粒と、枡目ごとに倍々の米粒をもらいたい、という問題で、日本では、曽呂利新左衛門と太閤秀吉の話として知られていますが、インドのチャトランガという盤上ゲームの発明と結びついた話として、インドからイスラームに伝わっているということです。(林隆夫『インドの数学』中公新書、274頁))

 人類が、からす算や倍々問題に興味を惹かれた理由は、かけ算の不思議さだったのでしょう。倍々問題では、たし算と違って、かけ算の答が急速に大きくなることへの意外感だったのでしょう。等差数列と等比数列の対比は、マルサスによれば、食糧生産の算術級数的増加と人口の幾何級数的増加の対比となるわけです。

 からす算では、かけ算という演算の構造にも惹かれるものがあったのでしょう。

 かけ算の構造を、ピサのレオナルドの問題で考えてみましょう。

「7人の老婦人がローマに旅した。婦人は各々7ひきのラバをもち、ラバはそれぞれ7個の袋を運ぶ。それぞれの袋には7個のパンがあり、そのパンには7挺のナイフがあり、それぞれのナイフには7個のさやがある。」

 この問題で、さやの数を求める式を書いてみましょう。ただし、古代エジプトでも古代中国でも中世ヨーロッパでも近世日本でも、かけ算を式で表すことはありません。式ではなく、どういう数にどういう数をかけるかを文で書き記して、実際の計算は、筆算ではなく、九九(中国では九九の口訣、ヨーロッパでは九九の表)を利用しながら算木やチップなどを算板の上に並べて行なった。九九が存在していなかった古代エジプトでは、被乗数の2倍4倍8倍‥‥の数を書いて、2進法を利用して計算した。古代エジプトのかけ算のしかたを紹介している本は多くありますが、A.B.Chace『リンド数学パピルス』(1985年、朝蔵書店)が原本として信頼できるでしょう。また、×の乗法記号としての初出は、1631年のイギリスのオートレッドの本と、片野善一郎『数学用語と記号ものがたり』(2003年)にあります。

 ともあれ、上の問題において、さやの数を求める式を書けば、

 7×7×7×7×7×7

となるでしょう。

 問題は、それぞれの「7」が何を表わしているかです。

 現在、小学2年生にかけ算を初めて教えるときは、「1あたり量」×「いくつ分」の順序で式を書くように教えています。しかし、上の式はその順序ではなく、文章に出てきた順序で書かれているはずですし、それが「自然」でしょう。つまり、

 7人×7匹×7袋×7パン×7挺×7

でしょう。単位については、計算の結果が莢数になるためには、次のように書けば正確でしょう。

 7人×7/人×7/匹×7パン/袋×7/パン×7/

初めの2項「7人×7/人」は、「いくつ分」×「1あたり量」の順です。その結果、49匹が答となり、次の計算は、「49匹×7/匹」となります。ここも、「いくつ分」×「1あたり量」の順になり、以下同じです。

つまり、樹形図のように、「いくつ分」のひとつひとつの元(素子)が内部構造(1あたり量)を持っているため、枝分かれしていくわけです。

かけ算を図でイメージする場合、丸いおはじき(あるいは、正方形のタイル)を縦横に四角く並べた図が描かれることがあります。この図は、かけ算では交換法則が成り立つことが一目で見て取れるというスグレモノです。しかし、被乗数がいくつか、乗数がいくつかと、その数を求めるときには、縦一列のおはじきの数を数え、横一行のおはじきの数を数えるということになり、被乗数と乗数の性質の違いがぼやけるという欠点があります。正しくは、縦一列の数が「1当り量」(被乗数)なら、「いくつ分」(乗数)は、列の数(横一行のおはじきの数ではなく)になるわけですが、そのようにきちんと意識することが難しいという傾向があります。

かけ算の図的イメージとしては、もう一つ、上記の樹形図があるでしょう。あるいは、樹形図で表わされるのと同じ意味を表わす別の図として、丸い袋の中に小さい丸い袋が複数あり、その小さい丸い袋の中にさらに小さい丸い袋が複数あり、以下続く、という図もあるでしょう。これは、小さい袋へと降下していってもいいし、複数の袋を入れる大きな袋へと、上昇していってもいい。

この図では、交換法則が成り立つことは、一目では分からないが、乗数と被乗数の性質の違いということは分かる。

降下の場合は、素子が構造を持ち、その構造の素子がまた構造を持ち、その構造の素子がまた構造を持ち、‥‥という最後の素子の全部の数を求める計算がかけ算だと分かる。この場合、立式は、「いくつ分」×「1あたり量」の順になる。

上昇の場合は、複数の素子の構造がまとめられて一つの素子となり、そのような複数の素子の構造がまとめられて一つの素子となり、そのような素子の構造がまとめられて一つの素子となり、‥‥という全体構造の中での最初の素子の数を求める計算がかけ算だと分かる。しかし、この上昇の場合、最初の素子の数を求める計算をするときは、上昇から転じて降下して考える方が「自然」のように感じられる。つまり、「いくつ分」×「1あたり量」の順で立式する方が「自然」のように感じられる。

思考の枠組みとして、素子-構造があることをフォン・ノイマンが述べていることを知ったのは、銀林浩・篠田幹男編著『算数の本質がわかる授業②』(2008年、日本標準)ででした。以前、「「式の順番」が違うとバツにする元凶は数教協か?」でも引用しましたが、再度引用します。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10215036675.html

「人間はいきなり現実をそっくりとらえることはできない。あるレヴェルの物をかっこでくくって素子と見なし,それが構成する集合の構造を分析研究する。そしてそれがわかったら,次はその素子をさらに解剖して,さらに小さい素子から成る構造として扱い,また一方で,さきの解明された構造をかっこにくるんで素子と見なして,より大きな構造にアタックする。以下同様にして,小から大へも伸びていくというわけである」

 『算数の本質がわかる授業②』では、フォン・ノイマンのこのことばを引用したあと、1箱に2個ずつキャラメルが入っているサイコロキャラメル3箱のキャラメルの数を求めるかけ算の式について、

サイコロキャラメルの場合は「下降型」ですから,認識の順序に式を書くことにすると, 

   3箱 × 2個/箱 = 6個

となるでしょうが,本書では「1あたり量×いくつ分」に統一しています。」

と書かれていて、これについては、上のアーティクルで書いたので省略。



 からす算を面白がった昔の人は、かけ算という演算にある「素子-構造」関係を無意識のうちに感じて面白がっていたのでしょう。それはたし算にはないものです。たし算では、素子の数に素子の数を加えた素子の数を求めているだけです。

 素子-構造」は、数学を貫く思考の枠組みでもあるでしょう。行列という構造をもったものを元(素子)として代数構造を考えたり、関数という構造をもったものを点(素子)として関数空間を考える。そして、素子-構造」の初歩的な表れがかけ算だったのですが、実は、かけ算の前に、数の表現方法(10進法)にすでに素子-構造」が見られます。これについては、すでにテトさんが、遠山啓を引用しつつ触れられています。

http://math.artet.net/?eid=1336728

http://math.artet.net/?eid=1337473#sequel