たかがかけ算されどかけ算、または「からす算」そして「構造と素子」のこと | メタメタの日

 ふと気になって、Googleで、「かけ算 式の順序」で検索したら、トップ3に、テトさんのブログ、積分定数さんのブログ、そして私のブログが並んでいた。

 積分定数さんは、mixiの「算数「かけ算の順序」を考える」コミュの責任者でもあり、私もしばしば書きこんでいます。 http://mixi.jp/view_community.pl?id=4341118

 テトさんからは、たびたび私のブログにコメントをいただいていますし、私もテトさんのブログに啓発されることが多い。今回のこのアーティクルも、テトさんのブログで「構造と素子」についての論考が進んでいることに啓発されたものです。

http://math.artet.net/

 ともあれ、いま日本で、かけ算の順序を考えている奇特な人を先ず3人挙げるとすると、Googleではこの3人になるというのは、私的には慶事です。たかがかけ算されどかけ算です。

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 からす算は、『塵劫記』に「からすざんと云事」としてある、次のような問題です。

 999の浦に999羽ずつのカラスがいて、999声ずつ鳴くと、全部で何声鳴くことになるか。

 答えは、999×999×999997002999声。

どうってことのないかけ算の問題です。

 ただ、吉田光由の原文を見てみると、いろいろ気に掛かる点が目につきます。

「からす九百九十九わある時、九百九十九浦にて、一わのからす九百九十九こゑづゝなく時、此こゑ合何ほどぞと云。合九億九千七百令令二千九百九十九こゑ。

 法に、九百九十九に九百九十九をもって二度掛くれば高しれ申候也。」

 (大矢真一校注・岩波文庫版。底本は寛永二十年(1643)版)



 空位のゼロを「令」と表記していること、9993乗を「9999992度掛ける」と表現していることなどが、へぇーと思います。(江戸時代のゼロ概念については、ちくま新書『和算で数に強くなる!』を参照していただければ幸甚。)

しかし、今問題にしたいのは、次の点です。

この原文からは、999羽のからすが999の浦に一羽ずついるのか、999羽ずついるのかが、分かりにくいと思う。著者の吉田光由は、このように論理整合的・体系的な思考に欠けるところがあります。それは、同時代の今村知商と比べてみるとよくわかる。しかし、ここで吉田光由の非をあげつらって図に乗りたいというのではなく、和算の起源について推測するひとつの傍証、状況証拠になるのではないか、ということなのです。

平山諦は、『増補新版・東西数学物語』(1973)で、からす算のネタ元について、次のように記しています。

古代中国の『孫子算経』(兵法で有名な孫子とは別人の著です。為念)に次のような問題があります。

「いま、門を出ずるあれば、のぞみて9隄を見る、隄に9木あり、木に9枝あり、枝に9巣あり、巣に9禽あり、禽に9雛あり、雛に9毛あり、毛に9色あり、各いくばくなるかを問う。答えは、木81、枝729、(中略)、色43046721。」

そして、この問題が千年以上たって、『算法統宗』(1593)の次のような問題に形を変えたと言います。

「諸葛孔明には8人の将がいて、将ごとに8箇の営に分かれ、営ごとに8つの陣があり、陣ごとに8人の先鋒、先鋒ごとに8つの旗頭、旗頭ごとに8隊、隊ごとに8箇の甲、甲頭ごとに8箇の兵。答えは、19173385人。」(この現代語訳の文責は、私)数値は、「原文のまま」と平山さんも注記しているように、この計算がちょっと分からないが、こういうことでしょうか。将は8人、営は64、陣は512、先鋒は4086、旗頭は32768、隊は262144、甲は2097152、兵は16777216。このうち、営と陣が人ではなく、残りが人だとすると、合計が19173374人。これでは11人足りない。諸葛孔明を足しても10人足りない。よく分からない。

それはともかく、吉田光由は、『算法統宗』を参考にして『塵劫記』を書いたので、からす算は、この問題からヒントを得て考えたのだろうと、平山さんは書いています。その通りだと思います。

そして油分け算です。油分け算は『塵劫記』に出てきます。しかし、『算法統宗』にも中国の他の数学書にも、いわんや日本のそれまでの文献にも出てこない。しかし、西洋の数学書には載っています。平山さんは、『東西数学物語』で、油分け算は、「寛永の鎖国以前に西洋の宣教師によって伝えられたかも知れぬという疑いが生ずるのである」(32頁)と書いています。

吉田光由の出身が南蛮貿易の雄の角倉家であることなどを考えると、平山さんの説は納得できると思うのです。さらに、吉田光由の数学力の限界は、油分け算を独創できなかったということの傍証となると思うのです。ただし、平山さんは、「油分け算は、考えるに価値ある問題を作ることがむずかしいのである。この意味で塵劫記の油分け算は傑作である」と書いています。『塵劫記』の10升の油を7升と3升の枡で5升ずつに分けるという数値は、西洋の数学書にはないということです。(和算成立への西洋宣教師の影響は、平山『和算の誕生』1993年、鈴木武雄『和算の成立』2004年に詳しい。)


やや、横道にそれました。からす算のこと、そしてかけ算のことでした。

(つづく)