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ハローミャンマー

ミャンマーヤンゴン在住、正田信子がヤンゴンから発信します。

ミャンマーは外貨(USドル:ミャンマーチャット)の両替レイトが公共レイトと実勢レイトでは大きな開きがあります。

今まで、実勢レイトでの両替は銀行では行えないため、全て闇両替でした。

10月からヤンゴンに政府公認の両替所がオープンしました。
6銀行が窓口を設けていて、各銀行窓口で実勢レイトでの両替が可能になりました。

これはミャンマーでは画期的なことです。

昨日、はじめて公認両替所に行ってきました。

外国人はパスポートを提示して、1銀行からUS500ドルまでの両替が可能です。それ以上の両替が必要な場合は、6銀行をそれぞれ梯子すれば、US3,000ドルまで可能です。

10月のオープン当初は、1銀行から2,000ドルまでの両替が可能とのことで始まったのですが、既に500ドルまでに引き下げられてしまいました。

ただミャンマー人の場合は、色々な書類が必要で、昨日も何人もの人達が書類不備で、両替が出来ずに帰っていきました。

4月に新内閣が発足して約半年。色々な方面で動きが出てきているミャンマーの今日この頃。

ミャンマーの持つ本来の良さを失うことなく、良い方向に進んでくれればと願っています。

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MESO(ミャンマー教育支援機構)
MESO支援者の皆様へ

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こんにちは。
私はヤンゴンの南、チャウンタンのユワティジ村に住んでいる
Kyaw Min Htun(チョーミントゥン)です。

私の両親U Nyi Nyi Lwin と Daw Moe Moeは農民です。
母は既に亡くなっています。

私は現在、高校10年生に通っています。私達のために支援して下さる皆様のことを思ってこの手紙を書いています。

私の人生で大切なものを支援して下さる恩人のために、頑張って勉強しています。

MESOの皆様に機会があれば是非、私達の村に来て頂きたいです。私達の村はとてものんびりとした平和なところです。

国家試験まで後5ヶ月。時間を有効に使って準備をしています。

私達の村は米を作っています。米は国にとって大切な作物です。青々と広がる田んぼを見に来ていただきたいです。

私達の将来のために、支援をして下さるMESOの皆様がいつもお元気にと願っています。
私達に「教育という種」を蒔いて下さったMESOの皆様が、これからも引き続き私達をご支援下さることを期待しています。

いつでも私達の村にお越し下さい。

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Hello, 私はWin Shwe(ウィンシュエ)です。

現在、ヤンゴン、シュエピーターに住んでいます。 
ヤンゴンに住む以前は家族とチン州に住んでいました。
私は5人兄弟の私は4番目です。
0年生から6年生まではチン州の学校に通っていました。

私の親は農民です。
家族の生活は苦しく、学校を続けることが困難なため、勉強を続けるためにヤンゴンの施設に入りました。
ヤンゴンに来て4年になります。

7年生、8年生は支援金を貰うことはできませんでした。
でも9年生のときに幸運にもMESOから支援を頂けることになりました。続けて10年生まで続けて頂けるとのことです。

自分の将来に希望を持てるように、力を貸してくださったMESOの皆様に心から「ありがとう」と言いたいです。
私は将来、医者になりたいと思っています。
MESOの皆様にいつも感謝しています。

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私はYee Mon Oo(イーモンウー)です。

現在、タケタ高校のIクラスの10年生です。

私は国家試験に良い成績で合格出来るように、頑張って勉強しています。
MESOの皆様からの支援のお陰で学校に通うことが出来ることをとても嬉しく思っています。

MESOの皆様にとって支援する価値があるように、という気持ちで一生懸命勉強しています。

私達のように、貧しく学校に通うことが出来ない人達のために、これからも支援を続けて下さることを願っています。

いつもMESOの皆様がお元気にと感謝をこめてお祈りしています。

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私はAung Kyaw Kyaw(アウンチョーチョー)です。

家族は両親、兄弟と伯母の5人です。
父は農民で母は村の雑貨屋で働いています。
両親は子供達のために頑張って働いてくれています。

現在、私は10年生です。

私の村には8年生(中学校)までしかありません。私は村で8年生中学校を卒業しましたが9年生(高校)に進学することは難しい状態でした。

なぜなら進学するには街の高校に行かなければならず、学費も交通費もかかります。私と一緒に家族もとても悩みました。

そんな中、幸運にもMESOの支援を受けることが出来、今高校に通っています。
MESOからの毎月の支援金で必要な教材や文房具品を買うことが出来ます。

私はMESOの皆様に心より感謝しています。私の将来も夢にも近づくことができました。
私の将来の夢、パイロットになれるように頑張って勉強しています。

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ちょうど8年前のこの時期、ミャンマーの学校が休みの2週間、マンダレーに住む当時8~10歳の女の子5人がヤンゴンに来ることになり、我が家にホームステイ。

元気いっぱいの子供達。
家中も走り回り、喧嘩したて泣いたり、大笑いしたり、ドタバタの楽しい2週間でした。

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その後も時々会う機会がありましたが、ここ数年全く会うことがなく過ぎてしまいました。

ちょうど仕事でマンダレーに行く機会があったので、久しぶりに5人娘の内の3人と会うことができました。

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3人とも街ですれ違っても分からない位、すっかりレディーになっていてビックリ!!!
子供の成長って凄い、しみじみと感じてしまいました。

次回はまたいつ、どこで会えるか分からないけど、必ずまた再会することを約束!!!
そして彼女達から8年前にプレゼントされた仔犬、我が家の愛犬ダイちゃんは8歳になり元気にしています。

上の写真が8年前、下の写真が先週です

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マンダレーから車で約1時間半、サガイン郊外、ワッチェ村にあるジャパンハートの病院を訪問しました。

ジャパンハートは国際医療ボランティア組織として、代表の吉岡秀人先生を中心に精力的に活動をしています。
日本人とミャンマー人のドクター、看護師さんが僧院の中で共同生活をして病院で働いています。
吉岡先生はご不在でしたが、病院の中を見学。

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子供には無料で治療を行っているため、遠くはるばるやって来る患者さんも多いそうです。

ちょうど今は70名近い患者さんが入院していましたが、子供も大人も、安心して治療を受けられる場所に辿り着くことができて安心したのか、みんな明るい表情です。
エアコンもなく、決して整ったとは言えない病室ですが、患者さん、付き添いの家族の方とも和やかで心休まる病室でした。

みなさん、早く元気になって下さい。

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2004年3月、知り合いから突然「身寄りのない施設出身の男の子が高校に行きたがっているのだけど、お宅から学校に通わせてもらえないでしょうか?」との申し出がありました。

今まで子育ては全くしたことがないし、無責任に引き受けることは出来ないのでと辞退したのですが、私が断われば学校に行くことは出来ず、施設で生活するしかないとのこと。

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その男の子に会ってみると「どうしても学校に行きたい。施設には戻りたくない」と真剣なうったえるような眼差し。

決して余裕がある訳ではないけれど、私がイエスと言えば、この子が学校に行けるのかと思い、数日考えた末、私のところから高校に通わせることに決心しました。

これがチョートゥーとの出会いです。

国籍、言語、文化、宗教、生活様式と全てが異なるチョートゥーと既にメイドとして住み込みで働いていたカイカイ(現MESOap担当)と3人の共同生活が始まりました。

チョートゥーを通して、ミャンマーの学校のこと、学校に行かれない子供がたくさんいること、学校に行かれてもお昼のお弁当を持って来られない子供達のこと・・・・、いろいろなことが少しずつ分かって来ました。

私がチョートゥーを高校に通わせることが出来たのだから、日本の方々にお声をかければ、もっと多くの子供達が学校に行けるようになるのではないだろうか、そんな思いからMESOの活動は始まりました。

チョートゥーは2年間の高校生活を無事に終了し、国家試験を受けたものの、残念ながら不合格。
どうしても再挑戦したいというので、翌年再度受験しましたが不合格。
大学への進学はあきらめ、電気工の専門コースに通い、ヤンゴンで仕事をしていましたが、2年前に私の元を巣立ち、現在はマンダレーで厳しいながら自立して仕事をしています。

先日、仕事でマンダレーに行きました。チョートゥーも2日間、仕事を休んで私の視察に付き合ってくれました。チョートゥー21歳、まだまだ子供っぽいですが、頑張っています。マンダレーでの楽しいひと時でした。

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昨日はタディンジュの祝日。雨安居明けの満月。
仏様が戻っていらっしゃるのを、家々で灯りをともしてお迎えする日です。

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日が暮れると、豆電球やロウソクの灯りで、華やかになります。
通りはいたるところで、爆竹は花火をしていて夜遅くまで賑やかです。

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またこの時期はミャンマーの習慣で、両親やお世話になっている年上の人達にプレゼントをして拝んで、日ごろの過ちを許してもらいます。

ちょうど日本のお盆と、お中元とお歳暮が一緒になったような感じです。

四季のない所で生活をしていると、季節の移り変わりをあまり感じない代わりに、祝祭日で時の流れを感じます。

タディンジュが過ぎると、長かった雨期も明け、これからがミャンマーのベストシーズンに入ります。


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私はThone Wa Thon(トーンワトン)です。

父U Sein Myint と母Daw Nyut Nyunt の2番目の娘です。
私には姉1人、妹1人がいます。
ヤンゴン、タケタに住んでいます。

父はバスの運転手です。34番のバスを運転しています。
母は専業主婦です。
だから私の家族は父の日当で生活しています。私は父が元気にといつも祈っています。
もし父が亡くなったら・・・、想像するだけでも恐ろしくなってしまいます。

私は9年生です。姉は大学生で妹は8年生です。
私の家族のような貧しい家庭の子供達を支援して下さるMESOの皆様にとても感謝しています。

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