1️⃣推古天皇即位と 蘇我氏の暗殺 推古天皇即位までの空白と 記紀編纂時の謎
2️⃣江戸時代の歴史書→北朝の歴史は都合が悪い
歴代天皇に数えられない
北朝の初代天皇
《《《討幕に失敗して隠岐に流された後醍醐天皇に代わって鎌倉幕府に擁立された光厳天皇。》》》
【鎌倉幕府の滅亡後】は廃位されたが、
《《《建武新政が崩壊し後醍醐の求心力が弱まると、足利尊氏によって光厳の弟、光明天皇が即位。》》》
尊氏は、【後醍醐天皇からは賊軍扱い】とされていたが、光厳上皇を引き合いに出し、天皇よりも権威の高い上皇の命令があったと主張し、賊軍にならずに済んだという。
その後、光厳は治天の君として15年間院政を続けたが、南朝に連れ去られ幽閉された。
現在、幕府側が擁立した光厳はじめ光明、崇光、後光厳、後円融の5代の天皇は北朝天皇とされ、126代の天皇の代数には数えられていない。
【これは、南朝の天皇である後村上、後亀山などを正統な天皇と認める、江戸時代の歴史書『大日本史』に沿った考え】で、明治時代から続く意向である。
https://discoverjapan-web.com/article/50805
3️⃣ww2 戦争責任を 近衛文麿と陸軍に押し付け 岸信介を擁護する論壇に対する疑問
これらの謎を解く鍵が ww2 の悲劇 広島と長崎の原爆投下の理由………北朝が守り続けて来た【聖徳太子の精神】(足利氏ゆかりの地)にある
④国内で自発的に起こった現象と見せかけながら。
武家政権を倒し、武家社会を解体し、武士人口を消す。
そのために、中央集権を成した「大化の改新」という古代の前歴を「明治の維新」として再現させる。
それについて詳しくは、電子書籍『日本民族混交草』を読んでみて。
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⑤眺めてみると、見事すぎる手運びだ。
幕末動乱
=内部分裂と相克の扇動
大政奉還・新政府・戊辰戦争
=朝廷の復活・イギリスを代行した日本征服・中央集権体制の確立
版籍奉還・廃藩置県・廃刀令
佐賀の乱・神風連の乱・西南の役の鎮圧
=武士残余戦力の段階的かつ徹底的な撲滅
そして帝国化。
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⑥目当ては日本じゃない。
「世界」の征服・統一・支配だ。
極東日本が治に降れば、いよいよ地球を東西ぐるりと戦場にできる段階だ。
そのためにも表向き独立国家でいさせる。
多勢力が参加して世界が掻き回されるかたちを演出する。
かつ実際に掻き回してクラッシュ&ビルド(破壊と再構築)する。