金沢は梅雨明けしてすっかり夏真っ盛り。
1年に1度の七夕の夜は、雨で星も見せてくれなかったくせに。


ナチュールのオムライス
(彦星に逢えぬのでオムライス、、、)

先日のTVドラマ「仁」以来、時間や空間、
果ては宇宙の事まで考えを巡らすようになった。
もともと中学の頃はSFにハマっていたしね。

その中学時代、近所の小さな本屋のSF文庫の書棚、
右から左までこの棚ごとぜんぶ読んじゃう!という密かな約束を、
こっそり自分としていたくらいSFバカだったのだ。

いったい、何のためにそんなことになったのかはもう忘れてしまった。
勉強嫌い、という単細胞が陥り易い情熱のかけ方ではある。

ナチュール9周年記念プレート
(友人のラ・ナチュール9周年記念特別プレート、みんな食べに行きましょう!)


それでとにかくここんとこ、頭の中は科学の館なんですが。

そもそも、時間とは何なのか?
誰にも等しく時間は与えられているけれども、
それは考えてみると、漠然として不思議なものだ。

先日もランチで皆と話していたのだが、
「光の速さで動くものは、止まっているものより時間は遅く進む」
というのが科学の世界では通説になっている。

いわゆる、特殊相対性理論というやつだ。
これは実際に実験で実証されている。
東回りのジェット機に、超精密な時計を載せ飛んだ時、
地上に置いてあったものと比べて、1億分の6秒遅くなっていた、というもの。

1億分の6秒、、、まぁ、微妙ではあるけれども遅れたことには違いない。

こっそり激写(笑)
(写真撮影?している友人を、こっそり激写!笑)


宇宙というものも、壮大過ぎてなかなか実感しづらい。
水金地火木土天海冥、、、惑星の名前くらいが関の山なんであるが
(あ、「冥」は今仲間外れになったんだったね。)

これまた、そもそもどうして出来あがったのかさえ解らない。

天文学者の間では、宇宙の始まりは「ビックバン」である、
しかも膨張中、ということになっているらしいが、
それもシロウトには何が何やら解らない。

夏なので、プールバック!って出したらすぐこんな感じ
(夏バックを出してきて、ちょっと目を離すとこうなる)


ちょっと調べてみたら、、、要はこういうこと。

例えば、プールバックの中に猫がいる。
バックを揺らすと中の猫はフラフラ、もっと激しく揺らすとにゃぁーと飛び出てしまう。

このように、偶然飛び出るようなことが、ミクロの世界でも起こっている。
飛び出たものは抑えようがなくて、どんどん形を変えていって、
普通は縮むのに、宇宙の場合はエネルギーが強すぎて、
止まらずに膨張していった、のだそうだ。

膨張すると温度が下がり、エネルギーは形を変えて「水素」が出来る。
ヘリウムもできる。
そして様々な原子が出来ていって、宇宙が拡がっていき、
窒素や炭素やケイ素や、そして塵が固まっていつしか星が出来、、、。

そして人間もできた。
(ややハショリ過ぎ)


壮大すぎるけど、時間も宇宙と同じ頃に作られたと言われている。
たった1匹の猫が飛び出てしまったことがそんなことに!!
(いや、喩であって、そもそも猫じゃないけれど)

そんならボク出ない
(そんなことになるなら、ボク出ない)


だったらさ、時間というものも、なにやら物質的なものだ。


星が爆発して飛び出た欠片が、50億年あとに巡り巡って人間となる。
誕生したものがいつしか滅びる時、また宇宙に飛び出て、
いつかまた、どこかで姿を変えて何かになり、めぐり続ける。


そうなると、やはり「存在は無ではない」のかも知れないなぁ。



月曜の朝、金沢は嵐のように激しく降ったかと思うとカラッと雨が上がる、
そんな繰り返しの一日だった。
最近天気がおかしい、そう思うのは私だけではないのだろう。


そう感じる半面、2日連続で出勤時に道路を横断する鴨と遭遇した。
金沢にはまだ住宅地で鴨が歩いている、そう思うとホッとする。

これは月曜の朝の鴨、くちばしの先端が黄色いのでカルガモか。
鴨さん、優雅に横断中

今日道路を横断していたのはもう少し首の長い鴨だった。
(ガンかしら?)
後ろから車が来たので写真を取り損ねたのがすごく残念。

雨上がりの散歩
(雨上がりの散歩)


嵐のあとの、荒れた木々や草花を見るのが好きだ。
明け方、窓を開けて風がサッと冷たく顔にしみるたりするのは
たいそう気持ちがいい。

嵐の日も、わざと外出したりする。
あ、それは私が「あまのじゃく」だからかな。


嵐のあと、倒れた草木もまたいつの間にか知らぬうちに元に還っている。
いや、すべてが元に戻っているわけではないのだろうが、
いつの間にか別のものに覆い隠されて、いつもの場所になる。
それが自然というものなんだろう。

歩道を臆せず歩く
(ピースは歩道も臆せず歩く)


なんというのか、完璧でなく、少しほころびのある美、
人も自然も、完璧さより少し欠けたところが美しい気がする。
満開の桜より散り際の桜、満月より雲のかかった月、だ。

畑のくぼみがたいそう気に入ったらしい
(畑のくぼみが気に入ったのダ)


以前、尊敬する建築家が言っていた。
芸術とは「告白」であり「問い」である、と。
デザインや芸術の創作活動は「表現」でなく、
表現である前の「美を探す行為」だともいっていた。

美の定義は難しい。そもそも「美」とはなんであるのか?
自然の一部として生きてきた日本人の美意識は、一神教の国々とは全く違う。
整然とした、完璧な秩序ある美しさよりも
時に憐れで不完全な、辿りつかないものにも美しさを感じてきた。

散っていく桜もしかり、廃墟でさえも、あるいは人の死でさえも。

くぼみからあれこれチェックする
(窪みからあちこちを観察してチェックする)

ここでいう「告白」や「問い」はむしろ、表現と言う明確な内容でなく、
苦渋に満ちた、吐き出されるような告白であり、
祈るような問いのことであろう。

美を探すことは、だからなにもいわゆる綺麗なものばかりではないのだ。
何の変哲もないモノにも、壊れたものにも美は見いだせる。

チェック完了?
(チェック完了?)

それが日本人の特性なのかもしれない。

キリスト教などの一神教が、太い幹を持つ大樹のような存在であるなら
多神教である日本は、小さな樹、さまざまな樹が集まる森かもしれぬ。
豊かな森、あやういものを覆い隠す森、荒れ狂う森、祈りの森。

そこに西洋のような哲学は生まれないかもしれないが、美意識はある。

自然を愛し、その一部となって、壊されても、流されても、
また元に還ってきた歴史が日本人にはある。

嵐のあと、またいつの間にか静かな森になるように。


金沢は雨のち曇り。
2011年も後半戦に入りましたね、1年なんてあっという間です。
6月後半は毎日なにかしらあり、飛ぶように過ぎて行きましたもの。
(たくさん写真があるのですがそれは追々UPしますね)


今朝の金澤神社。
金澤神社

水無月の大越の祓いの茅(ち)の輪が参道にありました。
今日から文月。


朝から左、右、真ん中と仕来たり通りに3回くぐって参拝してきました。
このくぐり方は無限大記号∞、神主さんの祓い串と同じだそうです。

茅の輪


先日、ある方々とランチの折、TVドラマの「仁」、
その最終話がなかなかの出来だったよね、と話が弾みました。
全ての謎が上手に着地していたと。

寺岡風舎にて

今ここにいる私は、さっきの私とは違うかもしれない。
存在はパラレルワールドなんである。



哲学的な話になるけども、
同一律A=A、これが「現実」が「現実」であることの根拠である。
なぜA=Aなのか。
或るものがそのものであるとはどういうことなのか。

或るものがそのものであるのは、そのものでないものが、そこにあるからである。
A=A’
そのものでないものによってこそ、そのものはそのものである。
再び A=A

これが悪名高き、今じゃ壮大な妄想とまでいわれる(笑)
弁証法的論理学(ヘーゲル)なんであるが。

むっつぼしにて

存在は無によって生成する。
(なんじゃらほい?笑)
存在を認識する理性が、認識することによって自身を現実化していく。

要は現実そのものが神秘そのものであるとヘーゲルは言っておるらしいのです。

神秘と言うなら全部神秘だし、
神秘など無い、と言うなら、何一つ神秘ではない。
「認識」する、ってそれ自体が経験ではないのか?


ヘーゲルは「理解できない」として評判なんであるが、
「仁」の終わり方を見たら、なぜかヘーゲルを思い浮かべてしまったのでした。
そのものでないものがそこにいるから、そのものなのである。
存在とは、あながちそんなものなのかも。


とにかく、今ここにいる私は、私であって私ではないかもしれません。
人との出会いはまさに「一期一会」、ということだけは本当ですね。

一瞬の出会いで何もかも変わることがあるものなのです。
だから人生は素晴らしいともいえるのでしょう。

ドーナツに出会うことも素晴らしいノダー!
(キキちゃんのおみやげ、サマンサタバサのドーナツ)
金沢は蒸し暑い一日でした。


9月から始める、新しい講座のためにずっと準備しています。
今日も一日中お喋りしていた感じ。

お散歩中の夕日


いろんな医療関係の先生方と話す機会が多くなりました。
大先生ばかりで緊張はしますが、話の内容は深いことばかり、
良いご縁を頂いています。

散歩にゃ~

新しいことを始めるのは苦労もあるし疲れはしますが、
お役にたつ講座が出来ることを一番に願うなら、
ますます頑張らなくちゃ!


真ん中をずんずん歩くのだー!ほれ、いくぞー

疲れた時は、、、ピースと散歩が最高の癒しニコニコ

なんか呼ばれた気がするー!気のせいかにゃ?


楽しい、大事な時間です。

夕日をバックに記念撮影するにゃ
「記念撮影しとらんと、早よ先に行くにゃよ~!」ネコ
父の日の金沢は、朝から良い天気。



庭の紫陽花を、仕事に行く前に摘んで出勤しました。
庭の紫陽花

何の変哲もないガクアジサイ、母の大好きだった花のひとつです。



さて、土曜の午後、グループホームあさひの事例発表会が
金沢西病院となりの研修センターで行われました。
事例発表会

グループホームあさひ(認知症対応型共同生活介護)は、
弊社の講座受講生が実習でたいへんお世話になっている施設です。

「心に寄り添うケア」というテーマのもと、
9人の職員がそれぞれに身を持って体験したことを発表されました。


ホーム長

九州、静岡、三重など、県外からも含めて100名以上の方が集まり、
事例報告がされ、私もメモを取りながら聞き入りました。
(受講卒業生も4名ほど参加して下さいました)

チームケアを普段の業務の中でさりげなく実践している姿やその姿勢が
発表の中にもたくさん現れておりました。

報告は決して上手くはないのですが、体験を職員達が共有する、
という点では非常になされているな、と感じました。
また他の方や施設にも参考になる貴重な、心に残る事例も多くありました。

すべて、人間尊重が基本です。
「尊厳を守る」「あるがままの姿を守る」という、姿勢を貫き
成果を上げておられる姿に感銘しました。

質問者

最後の質問タイムでは、大勢の方の意見、感想をうかがいました。
家族の方も他の事業所の方もいましたし、
わが講座の卒業生も、なんとも感動的なスピーチをしてくれました。

まぁ、ちょっと長かったけどにひひ心はこもっておりましたよ。


成果を上げる、情報を共有する、簡単なようで出来ません。
ヘルパー講座のカリキュラムの中にも、講師同士の間ででも、
それをどうやって今後落し込めるかしら、
自分に置き換えて考えさせられました。






さて、せっかく講座卒業生も集まったので、夜は同窓会でしたニコニコ

お刺身と日本酒と

こちらは本当に楽しい会でした。
幹事さん、皆さん、遅くまで本当にありがとうね。
それぞれの道でみんな今後も頑張りましょうね!
仲間ですからね。