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来たる艱難期 第3部A パート24
艱難期の始まり (ヨハネの黙示録8章1節~11章14節 )
<「2)艱難期の偽宗教の説得力:」の続き>
b) 人を惹き付けるために、あらゆる手段を講じる:
この点はよく誤解されます。
艱難期の偽宗教に関する従来の常識では、その様相は恐ろしく、
その活動はゾッとするようなものです。
特に<艱難期の>最初の段階においては、これほど真実からかけ離れたことはありません。
それどころか、獣へのあからさまな崇拝に姿を変えるエキュメニカルな世界宗教は、
接触するすべての人を歓迎し、積極的に関与し、その人たちを安心させようとします。
親しみやすい顔をし、魅力的で、楽しく、健全な見栄えをするためには手段を選びません。
サタンがエバを欺くために友好的な代理人
(すなわち、彼女のペットの蛇)を利用したように、[1]
サタンは常に、自分の嘘と欺瞞を、できるだけ魅力的に見えるもので包装してきました。
艱難期の偽宗教の他のすべての側面と同様に、
見せかけの善意、誠実さ、親しみやすさの投影においても、
サタンは極限の努力をすることでしょう。
このような圧力を直接経験する私たちは、
友人や親戚が積極的に「伝道」してくることも予想されます。
そのような活動のために交わされた約束に関してだけでなく、
またそのような活動に対する確約だけでもなく、他の意欲づける要因はたくさんあるはずです。
「<キリストから獣崇拝への>改宗」を拒む真のクリスチャンと密接な関わりを持つことは、(たとえそれが過去における接触だけであったとしても)間違いなく罰則があり、
この傾向は、艱難期の後半の大迫害が始まると、
血なまぐさいものに本格的に変わっていきます。
現在考えられているよりもはるかに魅力的で、脅威を感じさせない見かけになることで、
今の予想を覆すことになるのは、
その教えや装束、装身具のすべてにおいての宗教そのものだけではありません。
この来たる宗教の聖職者は、同じようにカリスマ的で、
同じように(少なくとも目には)無害です。
ユダは、この新しい聖職者の役割をうまく例えることができます。
外見上、ユダは最高の人物でした。
彼は間違いなく、十二人の中で最も身なりが良く、責任感の強い人でした。
(彼は共通の財布を託され、そこから盗んだお金で十分な生活をしていました)
そのため、ユダが主を裏切るために最後の晩餐を離れたとき、
仲間の弟子たちはユダが裏切ったとは疑うこともなかったようです。
(ルカ22章24節とヨハネ13章21-30節を参照)
偽宗教の聖職者もそうでしょう。彼らは立派な話し手であり、
説得力のある言葉を巧みに使い、(第一コリント2章1-5節)
光の奉仕者を最も効果的に装っていると予想されます。
しかし、実際にはサタンの手先となり、神の言葉を偽って利用し、
(第一テモテ6章5節;テトス1章11節;第二ペテロ2章1-3節)
バラムのように売り渡し、(第二ペテロ2章14-15節)ユダのように主を裏切り、
カインのように、(ユダ1章11節)自分たちの目的を達成するためには
どんな手段も厭いません。(エペソ4章14節;第一テモテ4章1-3節)
彼らは、(不信仰な)すべての世に対して、
あたかも自分たちが真の神のしもべであるかのように見せ、
その多くは間違いなく自分たちを「クリスチャン」と呼ぶでしょう。
(ゼパニヤ1章4-5節;黙示録3章1節参照)
自分たちの神を本当に知っている人々は、
そのような羊の皮をかぶった狼にだまされることはありません。
(ダニエル11章32節参照; レビ記10章1-3節; 民数記16章1-50節;
エレミヤ23章9-40節; エゼキエル13章10-23節; ゼパニヤ3章4節参照)
にせ預言者を警戒せよ。
彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、
その内側は強欲なおおかみである。
(マタイ7章15節)(ヨハネ10章12節参照)
わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、
容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。
また、あなたがた(長老たち)自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、
弟子たち(信者たち)を自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。
だから、目をさましていなさい。
そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、
あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。
(使徒の働き20:29-31節)
あなたがたがこんなにも早く、
あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、
違った福音(それは別の[本当は福音ではまったくない])に落ちていくことが、
わたしには不思議でならない。
それは福音というべきものではなく、
ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、
キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。
しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、
わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、
その人はのろわるべきである。
わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。
もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、
その人はのろわるべきである。
(ガラテヤ書 1章6-9節)
c) 昔ながらの悪魔的手法を利用する:
説得力を最大限に高めるために、艱難期の偽宗教は、
悪魔が初めから利用してきたプロパガンダの手法をすべて用いるでしょう。
これらの昔ながらの勧誘戦術は、(常にそうであったように)聴衆を集め、
それから嘘で固めたものを承認させることに重点を置くでしょう。
艱難期の宗教の偽の福音を「売り込む」方法は、
人間を偽りに引き込むためにサタンとその配下が常に使ってきたおなじみの方法すべてを
利用することになるでしょう:
- <偽りの>「福音」のアピールは、真実の要素を含む:
- 中途半端な真実は、本当の真実を弱体化させる効果的な道具であることはよく知られており、獣の宗教では、このような欺瞞が大手を振って行われることが分かっています。
- 最も顕著な二つの例を挙げると、世界王国は神によって設立されますが、それはキリストの王国です。(偽宗教は、獣の王国に対する神の好意を主張しますが)反キリストの政権ではありません。神により立てられる世界の支配者は現れます。
- しかしそれは主、イエス・キリストが再臨する時に成就するのであって、<その前に現れる>アンチキリストによってではありません。
- どちらの例にも、これらの嘘を裏付ける表面的な類似点(それぞれ、統一された世界支配と、一見奇跡的な力を持つ世界支配者)があり、私たちは、反キリストの艱難期の宗教によって、真のキリスト教の事実上あらゆる側面が表面的に模倣される中で、この中途半端な真実のパターンが繰り返されることを覚悟しなければなりません。
- <偽りの>「福音」のアピールは、多くのものを融合させたものとなる:
- この点は、上記の逆、あるいは「裏返し」です。艱難期の偽宗教の制度、実践、教義は、大きな嘘を覆い隠すための真実の要素を含むだけでなく、可能な限り、ほとんどすべての組織の得意としている考えや習慣を含め、完全に異なるやり方や信条を受け入れることになります。
- 「神に誓って......マルコムにも誓って......」というのが、この融合的な信仰の特徴です。(ゼパニヤ1章5節)しかし、原理的に真理に妥協することは、真理のうわべで覆われた嘘を受け入れるのと同じように、信者にとって致命的です。
- <偽りの>「福音」のアピールは、友好的な代理人によって伝えられる:
- この新宗教の聖職者、伝道者、スポークスマンは、世界で最も権力があり、影響力があり、人気のある人々です。(イザヤ23章8節;黙示録18章3節参照)
- 有名人が、意志の弱い人、心の弱い人を、さまざまな奇妙な、カルト的な、反キリスト教的な活動に引きずり込む力を持つことは、新聞を読む人なら誰でも知っているはずです。現代の習慣と艱難期に起こることの違いは、質的にも量的にも異なります。というのも、獣の宗教の伝道に関わるのは、非主流派の有名人だけでなく、善良で確かな評判を持つ人々を含む、「名士録」にある人達ほぼ全員だからです。
- <偽りの>「福音 」アピールは、神への親近感を醸し出す:
- 「神」、そして「イエス」という言葉は、艱難期の宗教の両段階に関わるすべての人の会話に、たっぷりと盛り込まれるでしょう。
- 特にその正式な代表者である人々からは、神と神的なものすべてとの深い親密さと親しみを示唆する、非常に洗練された福音主義的なアピールが予想されます。
- 真実は正反対ですが、「神に親しい」ように見せかけることは、悪魔の手先が意図した犠牲者の恐怖を和らげるための典型的な方法であり、自分たちを「義の奉仕者」(第二コリント11章14-15節)として描写します。
- <偽りの>「福音 」のアピールは、秘密の欲望を正当化することを含む:
- 「正直な人をだますことはできない」という諺に多くの利点があるように、悪魔の欺きの場合、人間が悪魔の嘘に陥りやすいのは、そもそも真理に対する愛の欠如なのです。そして必然的に、人が真理に対して無関心であり、神に熱心に従うことに怠惰であるとき(あるいは、どちらにもまったく関心がないとき)、一般的に、ある肉的な欲望か別の欲望が、その空白を埋めるために湧き上がってきます。
- さりげなくであれ、明らかにであれ、悪魔は餌なしで釣りをすることはありません。
- あらゆるカルト、あらゆる悪魔の嘘、そして間違いなく、これから起こる偽宗教の背後には、心に隠された罪深い欲望を満たし、正当化するための悪魔からの申し出があります。それが、奉仕や参加を通して、まだ手にしていないけれども欲しているものを提供するためであれ、あるいは、罪悪感を感じている現在の行動や過去の行いを正当化するためであれ、悪魔が承認するすべての組織、
- そして間違いなく最も直接的に悪魔の支配下に置かれることになるこの未来の組織は、潜在的な参加者に値打ちあるものを提供します。これはもちろん、悪魔が実際にこれらの約束を「果たす」ことを示唆しているわけではありません。
- なぜなら、悪魔とその仲間は、被害者の正義や福利に真の関心など持っていないからです。
- <偽りの>「福音」アピールは聖書外のもの:
- カルトや悪魔の影響を受けたグループを「煙に巻く」ための最も手っ取り早く最善の方法は、聖典に対する彼らの態度を調べることです。自分で聖書を読むことの重要性を軽視している「神のもの」と主張するグループは、少なくとも、必然的に、必ず間違った方向に向かっています。
- そして、単に個人的な議論を妨げるだけではなく、聖書の禁止や誹謗中傷にまで発展する場合、その集団に神は存在しないと断言することができます。
- 艱難期の偽りの宗教は、それがそうであるように、おそらく聖書を低く評価し、他の「偉大な書物 」に同等かそれ以上の重みを与え、自分たちの教義と新しい 「聖なる書物 」を重んじるでしょう。
[1] 『サタンの反乱』 第3部「人間の目的、創造、堕落」、第4節「人間の堕落」、
ペテロの手紙シリーズ#27「信仰を脅かす3つの偽教理」参照:
--パート25に続く
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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
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shizuku365@proton.me までご連絡ください。
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家の前にある屋外拡声装置から、5時のチャイムの他に
いろんなお知らせが聞こえるのですが
警察官を装った詐欺が訪ねて来たり、電話でのオレオレ詐欺等々
注意喚起する放送が頻繁に流れています
近年では詐欺メール等も、かなり狡猾な手口で被害が広がっていますね
私たちの身近な生活の中に、こんなにたくさんの詐欺があるのかと
驚かされます
たったひとつの選択が、命取りになることもあります
心を見張っていなといけないですね
だれでも誘惑に会う場合、
「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。
神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、
また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。
人が誘惑に陥るのは、それぞれ、
欲に引かれ、さそわれるからである。
欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。
(ヤコブ1:13-15)
お祈りします
今日も晴天 洗濯日和ですね
身も心も綺麗にせんたくしちゃうおう
ガウラの道 風に揺れて楽しそう
仔猫のしっぽも、すっかりもふもふ綿毛になったね
チガヤ
スモークツリーも、もふもふ
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この、もふもふは誰かなぁ
ロジャー君でした
今日も思いっきりお顔だしてくれてありがとう~
また来るね
今日もありがとう~