”(ひとしずく・①全き人となるために)癒しについて” | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

 

(抜粋)

~友人からのメール~

 

「全き人となるために」パート1

                 

 

私たちはよく癒しのために祈ります。

しかし、祈っても即座に癒されないこともあります。

このことについては色々な意見も見解もあると思いますが、

私の考えを分け合いたいと思います。

「癒し」という場合、肉体の癒しと心の癒しがあると思います。

 

しかし、私たちが第一に求めるのは、心の癒しよりも肉体の癒しではないかと思います。

なぜなら、それは実際に痛みやだるさ、そして日常生活に不便さを来たすからです。

しかし、神が癒されたいのが本当は心である場合、

私たちが単に肉体の癒しだけを熱心に祈り求めるのは

正しいことなのかと考えさせられます。

 

神はもしかしたら、その人の心の癒し、

あるいは心を改める必要があることに気づかせるために、

肉体が病むのを許されるのではないかと思うのです。

肉体が癒されても心が癒されない、心が変わっていない。

健康のありがたさはわかったけれど他には何も学んでおらず、

ただ肉体が元通りになり、元通りの生活に戻っただけ。

そのようであるのなら、また私たちは同じような状態を

通過しなければならないのではないかと思います。

なぜ神さまは、私たちを肉体的な癒しを必要とする状態に持っていかれるのでしょうか?

それは、究極的に心の癒しを与えるためなのではないかと思うのです。

 

心の癒しそれは神様との和解であると思います。

罪によって隔てられていた神様と私たちの関係を回復するために、

イエス様は十字架でその代価を支払ってくださいました。

私たちはその主が受けてくださった傷をもって癒されたわけですが、

それは、肉体だけではなくて、神様と和解することによって心や魂も癒されたということです。

 

その和解というのは、自分の人生において起きた思わしくないこと、

また今の思わしくない状況に対して、神様に対して恨みを抱かないということであり、

さらにはそれを神の善い意図から来たものであることを認めて、

感謝をもって受け入れること、それが完全な神との和解ではないかと思います。

 

 早くこの病気を癒して欲しい、

 なぜ私がこんなに苦しんでいるのに神様は癒さないのですか?

 あなたの御言葉で約束されているのに・・・。

 

皆さん、イエス様はどんな病気でも瞬時に癒すことができるのです。

実際、そういう証もたくさんあります。

神には何でもできないことはありません。

 

 でも、どうして私は、また、この人やあの人は癒されないのか・・・。

 信仰が足りないからか、神様に喜ばれる生き方をしていないからなのか、

 私は神様の癒しに値しないのか・・・。

 

しかし神様は肉体の癒し以上に大切なことを、

私たちに伝えたいと思っておられるかもしれないのです。

私たちの間違った思い、誰かを許せなかったり、批判的な思いを抱いていたり、

高慢になっていたり、あるいは私たちが主に対して譲渡していないこと、

頑なになっていることがあるのかもしれません。

それに気づいていない。

そういうことを言ってくれる人がいなかったり、

いたとしてもそれに対して耳をふさいでいる、

 

自分の心の深い部分に対して蓋をしておきたいところもあると思います。

それをないことにして無視しようとしている。

しかし、主はそうした心の深い部分を全て御存知です。

 

自分でも触れたくない、思い出したくもないそういう思いの闇に対して、

主は病を通して、優しくゆっくりと時間をかけて気づかせてくださり、

癒そうとしてくださいます。

その心の癒しこそが、その人の人生にとって

どうしても必要不可欠なものであることを御存知であるからです。

その時に、私たちのフォーカスがただ、肉体の癒しだけであるなら、

主が与えてくださろうとしている祝福を得ることもできないし、

祈りの的を外していることになると思います。

 

私たちは自分の計画や思い通りに行動してばかりいて、

十分静まって神様に機会を与えていないのかもしれません。

神様はそんな私たちのために、肉体にストップをかけられるのかもしれません。

肉体のストップがかかって、仕事ができない、

日常生活が普段通りに送れない、

そういう状況にならなければ私たちが主の御許に行き、

静まることをしないからです。

 

そういう状況になって初めて、主は私たちに語りかけることができる。

否、本当は語りかけているのですが、私たちが主に目を向け、

主の声に耳を傾けようとしないのです。

病に伏した時、あー自分は静まって主の声を聞いていなかったなー

と気づくことがあると思います。

 

 ところで、第一ヨハネ5章14、15節にはこうあります。

 

 「私たちが神に対して抱いている確信はこうである。

 すなわち、私たちが何事でも神のみ旨に従って 願い求めるなら、

 神はそれを聞き入れてくださると言う事である。

 そして私たちが願いもとめることは、なんでも聞き入れてくださるとわかれば、

 神に願い求めたことはすでに叶えられたことを知るのである。」

 

 

「神に願い求めたことはすでに叶えられた」とあります。

これを信じることが、信仰です。

神さまはそれをもう聞いてくださっているのです。

私たちの嘆願はわかっています。

神様は私たちに苦しんでいてほしくない、すぐにでも癒したい、

でも神様は、それを一旦棚にあげてまで、

私たちに気づかせたいこと、与えたいものがあるのです。

 

神様は、私たちが十分満たされた状態で生活して、

霊的に心も豊かな状態で、いてほしいと願っておられます。

それは神様御自身のためではなく、私たちのためです。

 

パート2に続く下差し

 

 

 

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癒しについて・・・いろんな状況がありますよね

病の原因も人それぞれ、軽いものから重いものまで違います

病気に限らず、人生に起こる数々の問題もそうですね

肉体的な癒しと心の癒し・・

瞬時に癒されることもあれば、生涯向き合っていかなければならないこともある

 

パウロも肉体のとげを取り去ってもらえるように神さまに3度祈ってみたものの

生涯取り去られることがなかったように

神さまの深い御心がそこに働いているのだと思います

それは私たちの為なのですね

 

聖書の中で「全き者となりなさい」「完全な者となりなさい」というのは、

能力や知識、行いが完璧であるという意味ではなく

世間の常識や価値観で考えたり、

また子供のような自分中心的な思いを捨てて

「心を新たにすることによって、造りかえられ」ないといけないという事ですね

 

そうするなら試練の受け止め方も学び方も大きく変わってくるのかぁ・・・

はい、求めます!

(抜粋おわり)

*:..。o○☆*:..。o○☆゚

 

 

 

     

 

 

桜吹雪の舞い落ちる下で、車椅子から下りて一生懸命歩いていた

あのおじいちゃんだ

後ろから近づいて行き、挨拶しようと思ったら、おじいちゃんの方から

「こんにちは~!」と元気に声をかけて下さった

「暖かくなってきて気持ち良いですね」と返事すると

「そうだねぇ~、でも蚊も多くなってきたんだよ~!」

「腰に蚊取り線香下げないといけないですね」と言うと

「ほんと、ほんと、ワッハッハー!」と、またゆっくり車椅子から立ち上がり

杖をついて歩き始めました

 

     

      おじいちゃん、また会いましょうねお願い

 

 

     

 

 

 

     

 

     

           クローバー *:..。o○☆゚・:,。*クローバー

 

 

 

お、茶とらちゃんハート

 

     蚊に刺されないように気を付けてね足あと

     また来るねバイバイ

     

      今日もありがとう~ラブラブ