からの続きです
来たる艱難期 第3部A パート20
艱難期の始まり (ヨハネの黙示録8章1節~11章14節 )
b.聖書の教えの欠乏:
大背教の第二の主な原因は、信者だけの問題です。
不法が解き放たれ、その結果、不信者の行動が堕落することは、
(信仰に対する外的圧力を強めることによって)間接的にしか信者に影響を与えませんが、
艱難期に予想される本物の聖書の教えの欠如は、
<信者の>背教の原因となる直接的な悪影響を及ぼします。
上記の前者の場合と同様に、この場合も、来たる霊的食糧の飢饉によって
悪影響を受けるのは、ほとんどキリストのからだのなまぬるいメンバーだけです。
しっかりした霊的栄養を順境の時に摂取することに無関心な彼らは、
苦難の時に真の聖書の教えに目を向けることは、
特にそれが非常に見つけにくいものであることを考えると、
困難な移行であることに気づくでしょう。
(第一サムエル3章1節,28章6節;箴言29章18節; ミカ3章4-7節参照)
主なる神は言われる、
「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、
それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、
主の言葉を聞くことのききんである。
彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、
しかしこれを得ないであろう。
(アモス8章11,12節)
あなたは昼つまずき、預言者[たち]もまたあなたと共に夜つまずく。
わたしはあなたの母を滅ぼす。
わたしの民は知識がないために滅ぼされる。
あなたは知識を捨てたゆえに、わたしもあなたを捨てて、
わたしの祭司としない。
あなたはあなたの神の律法を忘れたゆえに、
わたしもまたあなたの子らを忘れる。
(ホセア4章5-6節)
上に引用した箇所や列挙した箇所において、
神の言葉が欠乏していることに共通する要素は、
神の民であるはずの人々がその言葉を拒絶していることです。
(アモス書8章とホセア書4章の文脈から明らかです)
ですから、私たちの神が、神を愛する人々から真理を遠ざけているのではなく、
誤った教えを好み、あるいは全く教えられることを慢性的かつ故意に拒絶している人々には、
良い教えを与え続けようとはされないのです。
(イザヤ28章9-13節;エゼキエル20章3-4節, 20章30-31節;
マタイ13章11-17節;マルコ4章12節;ルカ8章10節 )。
…あなたがたが主と共におる間は、主もあなたがたと共におられます。
あなたがたが、もし彼を求めるならば、彼に会うでしょう。
しかし、彼を捨てるならば、彼もあなたがたを捨てられるでしょう。
そもそも、イスラエルには長い間、まことの神がなく、
教をなす祭司もなく、律法もなかった。
しかし、悩みの時、彼らがイスラエルの神、
主に立ち返り、彼を求めたので彼に会った。
(歴代誌下15章2節後半-4節)
主は言われた、
「あなたは行って、この民にこう言いなさい、
『あなたがたはくりかえし聞くがよい、しかし悟ってはならない。
あなたがたはくりかえし見るがよい、しかしわかってはならない』と。
あなたはこの民の心を鈍くし、その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。
これは彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、
悔い改めていやされることのないためである」。
(イザヤ6章9-10節)
このように神の言葉に対する需要がないことは、
確かに私たちの時代、ぬるま湯につかっているラオデキヤの(本シリーズ第2部A参照)
最後の教会時代の傾向と一致しています。
私たちの時代には、神のみことばの実質的な教えよりも
娯楽を求める需要主導型の消費者キリスト教が多く見られます。
人々が健全な教に耐えられなくなり、
耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、
自分勝手な好みにまかせて教師たちを[自分の都合のために]寄せ集め、
そして、真理からは耳をそむけて、
作り話の方にそれていく時が来るであろう。
(第二テモテ 4章3-4節)
最後に、艱難期に霊的な食物が不足する、無関心とは関係のない
もう一つの原因があります。
黙示録13章だけを見ても、反キリストの世界的な宗教によって、
真に神に従い、神を礼拝するクリスチャンが肉体的に生き残ることが
非常に困難になることが分かります。
ですから、獣とその偽預言者は、この物理的な迫害に加えて、霊的な迫害も行い、
信者が集まったり、霊的な賜物の実りを互いに分かち合ったりすることを
違法とし、不可能に近い状態にすると考えても間違いではありません。
もちろん、神にとって不可能なことは何一つありませんから、
私たちが霊的な幸福を得るために必要不可欠な霊的糧を欠くことはないと確信できます。
しかし、だからといって、
今と同じように霊的な糧を得ることができるというわけではありません。
ですから、艱難期に聖書の教えが不足するのは、
現在の教会全体の無関心の結果ではありませんが、
(飢饉が始まった時に、栄養失調の人は元気な人よりも苦しむのと同じように)
現在御言葉に無関心な個々の信者の場合、将来の教えの不足は、
より一層耐え難いものとなるでしょう。
神は私たちの必要をすべて満たしてくださいます。
しかし、この問題に対処する時間と機会がまだあるうちに、
神の備えの一部は、神の子らが前もって準備することを可能にする
事前の警告であると考えるのがよいでしょう。
神がヨセフのパロの夢の解釈を通して、7年間の飢饉が待ち受けているという言葉を
送られたように、(そして、これが艱難期の正確な期間であることは偶然ではありません)
私たちは、ヨセフがパロに忠告したように、
飢饉に先立つ繁栄の数年間を可能な限り活用し、
その先の暗い時を乗り切るための豊かな霊的資源、
すなわち、神の御言葉の教えを聞き、学び、信じ、
実践することに基づく霊的準備と霊的成熟を得るべきです。(創世記41章1-57節)
飢饉が始まってからでは、到底間に合いません。
そこでイエスは彼らに言われた、
「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。
光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。
やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。
(ヨハネ12章35節)
--パ-ト21に続く
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(詩篇119:105)
感謝します
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飽食の時代に飢えるものがないように
溢れる御言葉を拒絶して渇くことの無いように
お祈りします
今朝は雨
今日で五月も終わりますね
なんて月日の流れるのは早いのでしょう
今月もたくさんの花たちに癒されました
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ニゲラ
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ロジャー君
お昼寝してたのに、むくっと起きたのね
エ~、もう行っちゃうの~ さみしいわん
また来るね
今日もありがとう~