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来たる艱難期 第3部A パート19
艱難期の始まり (ヨハネの黙示録8章1節~11章14節 )
聖霊の抑制の働きが停止し、それに伴って「惑わす力が送られる」ときから、
主が再臨されるまで、抑制がなくなるとそれに対応して邪悪さと不法が増大するという原則は、これらの結果とそれ以上のことをもたらします。
ここで特に注意しなければならないのは、
艱難の間に人類の大部分が罪深く無法な行動を取るようになることで、
義人の士気が下がり、主ご自身が語られたように、
大背教を加速させる大きな要因になるということです:
また[その時]不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
(マタイ24章12-13節)
この引用の最後の13節にある、解放のために必要な並外れた忍耐についての主の言葉は、
その前の12節の意味を正しく理解するために咀嚼(そしゃく)されなければなりません。
つまり、法的にも倫理的にも無秩序なこの環境を信仰をもって生き抜くためには、
並外れた忍耐が必要だということです。
なぜなら、このような無法状態の増大とそれに伴う生活の質の低下は、
未信者も信者も含め、ほとんどすべての人(この節では「多くの人」、
ギリシャ語では「ホイ・ポロイ」: οἱ πολοί)の態度を世界的に硬化させ、
不機嫌にさせるからです。
例えて言うなら、クリスチャンの愛と陽気さを反映させるのは、
病気の時よりも元気で健康な時の方がずっと簡単ですし、
同様に、何らかの困難なプレッシャーや試練にさらされている時よりも、
物事が順調に進んでいる時の方がずっと簡単です。
艱難期の比類なき不法状態は、反キリストの政治とその結果としての世界に対する
神の裁きを背景に繰り広げられ、人生を非常に苦しいものとし、
それはあたかも、各個人がすでに抱えている悩みに加えて、
世界の全人口(「多くの人々」)の肩に慢性的な病気と重圧という
大きな重荷がのしかかるようなものとなるでしょう。
(私たち信者は、私たちに敵対する人々に対する神の懲らしめを賛美すべきですが)
このような状況を考えると、人間の優しさ、礼節、寛容さは、
(マタイ24章12節にあるアガペーの意味、ギリシャ語ではἀγάπη)
有利な状況下では少なくともある程度は存在することが多いのですが、
地球上のほぼすべての人の慈善的な傾向が、艱難期の出来事、
特に無法の増加の圧力の下で「冷却」を体験するにつれて、
世界から事実上消えていくことは、何ら驚くべきことではありません。
イエスは13節で、この危険に対して警戒するようにと
私たち弟子たちに警告しておられますが、
この圧力は、多くの生ぬるい信仰者たちが遭遇することになるでしょう。
(残念ながら、このラオデキヤの最終教会時代の
大多数のクリスチャンにとっては普通の現状です)
もし愛がすでにぬるま湯のようなものであるなら、
愛が冷えたという状態はどんなものでしょう?
クリスチャンの本質的な徳である愛は、信仰と切り離すことはできません。
(ガラテヤ5章6節;第一コリント13章13節;エペソ1章15節;
コロサイ1章4-5節; 第一テサロニケ1章3節;第二テサロニケ1章3節参照)
そして私たちは、信仰が本当に冷たいとき、それは実際には死んでいることを知っています。(その例えは、命が肉体を離れることです:
列王記下4章34節;ヤコブ2章17-26節; ローマ12章11節参照)
従って、冷たい愛は本質的に信仰がないことと同じです。
(第一コリント13章2節後半参照)
クリスチャンの「からだ」から温かさという徳が感じられないのは、
迫害の圧力の中で信仰、愛、希望を死なせてしまったしるしです。[1]
(すなわち、背教が始まった)
石地にまかれたものというのは、
御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
その[信仰の]中に根がないので、しばらく続くだけであって、
御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
(つまり,背教してしまうのです) (マタイ13章20-21節)
同じように、[第二のタイプである]石地にまかれたものとは、
こういう人たちのことである。
御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、
自分の中に[信仰の]根がないので、しばらく続くだけ[の信者]である。
そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、
すぐつまずいてしまう。 (マルコ4章16-17節)
(つまり、背教してしまいます)
岩の上に[信仰の種が]落ちたのは、
御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、[信仰に]根が無いので、
しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、
信仰を捨てる人たちのことである。
(ルカ8章13節)
不法状態によって、不信者が冷たく難しい態度になり、
なまぬるい信者が背教者になるという傾向に加えて、
マタイ24章12-13節の主の言葉は、
以前は主に熱心だった信者の間でも愛が冷めていくことを
意味していると受け止めなければなりません。
これは、イエス・キリストの熱心な弟子たちにとっては悲痛な思いであり、
これから起こる問題に備えて霊的に準備するために、
目の前にある時間を最大限に活用するようにという警告です。
いつものように、救いと霊性を確かなものにする唯一の方法は、
霊的成長のために前進し続けることだからです。
最後に、この箇所で私たちが見逃さないように気をつけなければならない
非常に肯定的な点は、イエスが<「多くの」という>言葉を付け加えていることです:
「多くの人の愛が冷える」
<「人の愛が冷える」でも「すべての人の愛が冷える」でもない>。
これは、一方では、イエス・キリストの熱心な弟子であるすべての信者が、
艱難期の圧力と、その恐ろしさにもかかわらず、
クリスチャンとしての歩みに悪影響に屈するわけではないということを意味しています。
(実際、艱難期に多数の殉教者が生まれることを考えると、
このような殉教者の数は、世界やクリスチャンの人口に占める割合が
大きなものではないにしても、かなりなものとなることでしょう:黙示録7章9-14節参照)
ですから、ラオデキヤのぬるま湯に浸かっている人々の少なくとも一部が、
このような圧力の下で、「熱心になって悔い改めなさい」(黙示録3章19節)という
主の命令に応えて、逆に積極的な方向に突き動かされることを期待する理由があります。
これは、温(あたた)かい人にとっても、生ぬるい人にとっても、実に心強い知らせです。
しかし、艱難期の「衝撃的な治療」を待つのではなく、
今ここでイエス・キリストのために熱心であることをすでに心に誓っている私たちが、
その試練の時を前にして、霊的な成長と準備をすることができることに
感謝する理由が大いにあるわけです。
というのも、この現世は霊的な観点から見ると、すでに非常に暗い場所であり、
(ヨハネ1章5節;第二ペテロ1章19節参照)
暗闇の力(エペソ6章12節)に支配された暗闇の王国(コロサイ1章13節)で、
私たちはその暗闇から神の光の中へと呼び出された者たちですが、
(第一ペテロ2章9節;エペソ5章8節; 第一ヨハネ2章8-9節参照)
艱難期の霊的な暗闇は、それに比べると、
今の時代が昼間のように思えるほど強烈なものとなるからです。
(イザヤ21章11-12節; 59章9-21節; 60章1-2節; ヨエル2章1-2節;
アモス5章18-20節;ゼパニヤ1章14-15節; ヨハネ9章4節;第一テサロニケ5章1-8節参照)
ですから、そのような暗黒の時が訪れたとしても、
私たちの主であり救い主であるイエス・キリスト、栄光の日の星がついに昇り、
その恐ろしい夜に終止符を打つまで、真理の光に忠実であり続けることを決意しましょう:
こうして、預言の言葉(=聖書)は、
(同章16-18節の変貌よりも)わたしたちにいっそう確実なものになった。
あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、
あなたがたの心の中を照す(再臨の時)まで、
この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、
それに目をとめているがよい。
(第二ペテロ 1章19節)
[1] これらのクリスチャンの基本的な徳については、
ペテロの手紙シリーズ#16と#17の「美徳思考」、#21の「信仰による忍耐」、
#24「信仰の力学」をご覧ください:
また「悪魔の反乱」 第4部「サタンの世界システム」、第4節「サタンの世界システム」:
サタンの嘘に対抗する信仰、希望、愛の3つの徳については、
「戦術的教理」も参照してください。
--パート20に続く
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