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来たる艱難期 第3部A パート17
艱難期の始まり (ヨハネの黙示録8章1節~11章14節 )
「不法の秘密」が解かれる: 続き
事実上すべての不信仰者を包含するほど例外的に
「惑わす力を送られる」のは、艱難期だけですが、
<新改訳第二テサロニケ2章11節;口語訳では「迷わす力」と訳されています>
神は、神を故意に拒み、神の真理を故意に拒否する人々が、
誤りと妄想にますます深く陥るのを許すという原則は、今日でさえも機能しています。
この原則は、使徒パウロがローマ書の第1章で、最も詳しく伝えています。
(エレミヤ2章も参照)
ここには、神と神の律法の真理を故意に拒否する者に降りかかる結果が示されています。
(すなわち、救いにつながる神の存在について神が提供する真理と、
不信仰者でも平和で良識ある生活を送るために必要な基本的な法律と道徳について
神が提供する真理の両方を拒否する者)
[信仰によって現わされる(すなわち、与えられる)神の義(16-17節)とは対照的に]
神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と
不義とに対して、天から啓示される。(すなわち、与えられる)
なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには[日常の経験から]明らかであり、
神がそれを彼らに明らかにされたのである。
神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは[真実であって]、
天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。
したがって、彼らには弁解の余地がない。
なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、
かえってその思いは[この世によって]むなしくなり、
その無知な心は暗くなったからである。
彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、 不朽の神の栄光を変えて、
朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。
[この]ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、
汚すままに任せられた。(すなわち、自分の欲情を満たした)
[そこで]彼らは神の真理を変えて[悪魔の]虚偽とし、
創造者の代りに被造物[サタン]を拝み、これに仕えたのである。
創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。
それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。
すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、
男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、
男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の<新共同訳:迷った行い- (pláne)>
当然の報いを、身に受けたのである。
そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、
神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。
すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、
ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、
そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、
親に逆らう者となり、 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。
彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、
自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。
(ローマ1章18-32節)
(マルコ7章20-23節参照)
第二テサロニケ2章にあるように、
人の意図的で意志的な過ちがこのようなプロセスを開始し、
神がそのような個人を自分の欲望と策略の中に「置き去り」にし、
さらに悪い状態に陥るようにされるのです。
私たち自身の経験から、また世の中の観察からして、職業犯罪者、テロリスト、
道徳的に堕落したタイプの人々の多くに、このパターンがはっきりと見て取れます。
しかし、幸いなことに、このような人々は、不信仰な世の人々の中ではまだ例外的です。
というのも、世界の人々の大多数は、悲しいことに、
(神の造られた世界を観察することから、神の存在と本質的な性質を認識し受け入れること)
を拒絶していますが、
その不信者の圧倒的多数が、法を守る市民です。
(すなわち、神と神の御子を信じる選択の自由が保持されるように、
ほとんどの時と場所で世界が比較的平和で平穏に機能し続けるための、
神によって設定された道徳、法律、ナショナリズムを拒否していない人たちです)。
しかし、神は、不信仰な人々の中の故意に不品行な人々だけを悪魔の影響の猛威に
「置き去りに」されるのではなく、艱難期の間、不信仰な人々全体が、
悪魔の具現である反キリストという人物による欺瞞を心から選ぶことができるようにし、
そうする力を与えられるのです。
艱難期の「不法の秘密」の解き放ちと、
その副次的な原理である「惑わす力」とが相まって、
現時点では神から離れて眠りながら人生を歩んでいるとはいえ、
大半の場合、それほど恐ろしく自発的に罪と悪に身を委ねているわけではなく、
公然と積極的に悪魔の事業に身を投じているわけでもない不信者の中間層が
ほとんどなくなるのです。
艱難期には、サタンの活動に対抗する手段としての法律とナショナリズムが事実上排除され、
聖霊の抑制の働きが取り除かれるため、中立の立場は完全に排除され、
神は、ご自分とイエス・キリストに背く選択をする人々に、
すべての抑制を捨てて代わりに自発的にサタンにくみする力を与えることによって、
世界の選択のプロセスを早めるでしょう。
「わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。
火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。
しかし、わたしには受けねばならないバプテスマがある。
そして、それを受けてしまうまでは、
わたしはどんなにか苦しい思いをすることであろう。
あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。
あなたがたに言っておく。そうではない。
むしろ分裂である。
というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、
三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、 また父は子に、子は父に、
母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、
嫁はしゅうとめに、対立するであろう」。
(ルカ12章49-53節)
このため、艱難時代には中立的な立場の人がほとんどいなくなるので、
信者の負担は大きくなり、人生の苦しみをさらに助長し、
そのような圧力に耐えられないなまぬるい信者にとっての、
大背教のプロセスを加速させることになります。
しかし、このことは知っておかねばならない。
終りの時には、苦難の時代が来る。
その時、人々は自分を愛する者(すなわち、偽り教師たち; 2章参照)、
金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、
親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、 無情な者、
融和しない者、そしる者、無節制な者、
粗暴な者、善を好まない者、 裏切り者、乱暴者、
高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
[外見は]信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。
こうした人々を避けなさい。
彼らの中には、人の家にもぐり込み、そして、さまざまの欲に心を奪われて、
多くの罪を積み重ねている[霊的に弱い] 愚かな女ども[1]を、
とりこにしている者がある。
彼女たちは、常に学んではいるが、
いつになっても真理の知識に達することができない。
ちょうど、[パロの宮廷の魔術師である]ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、
こうした人々も真理に逆らうのである。
彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。
しかし、彼らはそのまま進んでいけるはずがない。
彼らの愚かさは、あのふたりの場合と同じように、多くの人に知れて来るであろう。
(第二テモテ 3章1-9節)
ここには、第二テサロニケ2章8-12節で述べられたような「迷わす力」の原則の結果、
艱難期に予想される行動パターンの恐ろしい光景が映し出されています。
これらの節を先に引用したローマ1章18-32節の節と比較すると、
特に罪の傾向や特徴のリストがどこまでも同じであることがよく分かります。
ローマ1章18-32節と先に引用した箇所との主な違いは、
ローマ人への手紙1章では、これらの行動の傾向は、
神が惑わされるのを許容されていることから生じています。
この原則は、現代において主に、真理のすべてのカテゴリーを故意に拒否する
少数の不信心者(基本的道徳、法律、良い市民権を含む)に作用しています。
しかし、上記の第二テモテの3章では、神が積極的に迷わす力を与えた結果、
ほとんどすべての不信者に影響を与え、かつて無かったほど、
名目上道徳的、法律を守る、愛国的な未信者という以前の大多数の中間層が
消滅していくのを見ることができます。
今日でも、すべての不信者は悪魔の支配下にありますが、
(エペソ2章1-5節; 第二テモテ2章25-26節; ヘブル2章14-15節 参照)
「迷わす力」が与えられる前は、(良心、道徳、法律によってそれが抑制されていたため)
ほとんどの人はサタンの計画を故意にかつ積極的には実行しませんでした。
このように、神が真理を拒否することによって生じる自己欺瞞を
「許し、置き去りにする」から「助長し、力を与える」ようになった結果、
艱難期は、一方では(世界の大部分の人たちである)悪魔を積極的かつ熱心に
信奉する者たちと、他方イエス・キリストを熱心に信奉する者たち
(苦難に満ちた、特に艱難期後半には迫害される少数派)によって占められ、
グレーゾーンのほとんどない時代となるのです。
[1] 文字どおり 「女性 」がここで特別視されているのは、
彼女たちが古代世界では伝統的な家庭の管理責任者であり、(箴言31章10-31節)
家庭は組織的に行動する傾向があったからです。
(テトス1章11節; 使徒行伝16章31節参照)
しかし、ここで引用されている内容は、男性にも当てはまるものとして
理解されることを意味しているのは確かです。
-パート18に続く
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今日は朝から雨降りです
庭の紫陽花も色づき始めて、雨の日も楽しませてくれています
晴れの日は、晴れの日で
雨の日は、雨の日で
楽しみを与えて下さることを
感謝します
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これは、晴れた日の写真です
まるでダンスしているみたいだね
夕べ、久しぶりにテレビを観て、ダンス大会をやっていて
凄く感動しました
音楽でも、ダンスでも、自分の世界観を表現するのって素晴らしいですね
下に見える貯水池には、カモさんが泳いでいるよ
オオキンケイギクが満開の丘
アストロメリアの黄色い花も綺麗だね
サボテンにこんな綺麗な黄色い花
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まろ君、いいお顔
また来るね
今日もありがとう~