(ひとしずく・⑤II.艱難期の始まり 第3部A)‐大背教 ‐ (母の日に) | sarah‐mercy

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 来たる艱難期 第3部A パート5 

 

艱難期の始まり  (ヨハネの黙示録8章1節~11章14節 )

                    

                       ロバート・D・ルギンビル博士著より

 

II.大背教 

 

1.大背教の定義、語源、過程、預言 

a.定義

 大背教とは、艱難期の前半に始まり、

艱難期の後半の大迫害の間に頂点に達すると預言されている、

クリスチャンの三分の一が信仰から離れる大規模な背教のことです。

黙示録12章4節;また、マタイ25章1-13節では、

 油が足りなくなった五人のおとめが、背教する三分の一を表し、

 油を備えていたおとめは主の再臨まで生きて忠実である信者を表しています:

 他のもう三分の一は殉教者であり、そのたとえの中では省略されています)

 

大背教は、主によっても使徒たちによっても預言されており、

旧約聖書のある箇所にも見られます(下記参照)

大背教は(その集中的な最終段階を生み出す原因となっている)

大迫害にしばしば組み込まれて記述されていますが、

大背教はそれ自体が非常に重要な意味を持つ出来事です。

 

このことは、パウロが艱難期の二つの最も明確な特徴の一つとして、

この出来事を用いていることからも明らかです。

テサロニケ第二の手紙においてパウロは、

(反キリストがまだ顕現していないという事実と共に)

大背教がまだ起こっていないという事実から、復活がすでに起こったという

誤った主張に対して反証しています。第二テサロニケ2章3節

 

パウロは、復活は艱難期の終わりに主が再臨されることと同義であり、

艱難期に起こるべき出来事に先行することは不可能であると主張しました。

パウロの推論によれば、(やはり、世界の舞台に反キリストが紛れもなく現れるとともに)

大背教は、その中を生きているなら、クリスチャンにとって、

それが起こったかどうかについて疑いを持つことができないほど、

衝撃的な大きな出来事となることは明らかです。

(主がマタイ24章3-14節で、またペテロが第二ペテロ3章1-13節で用いた

 同様の説明を参照)

 

大背教は特定の日に起こる出来事というよりも、

大迫害の期間にクライマックスを迎える過程であり、その迫害と表裏一体のものです。

迫害のプレッシャーの激化が背教の波を頂点にまで及ばせるからです。

黙示録は何よりもまず「イエス・キリストの現れ」黙示録1章1節であり、

その栄光の再臨は、迫害されている人々の救済と迫害している人々の裁き

主な直接的な結果の一つとしています。第二テサロニケ1章4-10節参照)

 

黙示録でこの二重の現象を扱っている箇所のほとんどが迫害の側面に集中しているのは、

間違いなくこのためです。

(参照:黙示録6章9-11節,7章9-17節12章12-17節13章10節,13章11-18節

 14章13節,14章14-16節15章1-4節16章5-6節,

   17章6節,18章24節,19章1-2節20章4節)。 

 

黙示録12章4節は、無視できないもので、本シリーズの第4部で、

改めて取り上げることにしますが、この信仰からの大いなる「堕落」についての

私たちの議論の出発点を構成するのに適切なものです。 

 

[龍の] (すなわち、悪魔の)その尾は天の星の三分の一

(すなわち、堕落した天使と堕落した信者の両方)を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。

(すなわち、彼らの反逆または背教と、その結果としての、その堕落)

(黙示録12章4節前半) 

 

黙示録12章4節にある、大いなる龍(悪魔)が天の星々の三分の一を一掃し、

地上に投げ捨てたという描写には、二重の意味があります。

「星」は、堕落した天使と背教した信者の両方を指しています。

(前者については、士師記5章20節;ヨブ25章5節,38章7節

 イザヤ14章12-13節,40章26節

 [ルカ2章13節も参照]; ルカ10章18節;ユダ1章13節

 黙示録1章16節,1章20節,2章1節,3章1節,8章10-11節,9章1節12章1-4節

 

後者については、ダニエル8章10節,12章3節;第一コリント15章40-42節

ピリピ2章15節;ヘブル11章12節;黙示録12章1節参照)。

人類の歴史が始まる前に、サタンが天使の三分の一をそそのかし、

神への反逆に加担させ、彼らを「堕落」させたように、

艱難期の坩堝の中で、サタンは信者の三分の一をそそのかし、

キリストから離れさせ、同様に「地に掃き落とす」

(すなわち、聖なる天の身分から堕落させる)のです。

以前この箇所のサタンの反乱に関する意味を説明しました。[1]

 

しかし、黙示録12章4節が大背教に陥った信者にも適用されることは、

ダニエル書での「小さな角」が、

(すなわち、悪魔と地上におけるその代理人の型である反キリスト)

このプロセスの主導的な役割を与えられていることから明らかです。[2]

 

[小さな角](すなわち、悪魔の型であり代表者としての反キリスト)は、

天の衆群(すなわち、神の家族、人間と天使の両方)に及ぶまでに大きくなり、

(すなわち、反キリストが信者らを惑わして背教させ)

星の衆群のうちの数個を地に投げ下して、(サタンが天使たちを誘惑して反逆させ)

これを踏みつけ、(つまり、悪と結びついた反抗や背教が、その後の破滅につながる)

 (ダニエル8章10節) 

 

(上記の提議のような)この堕落した「衆群」を

背教者と堕落した天使の両方に小分類することによって、ダニエル書8章10節は、

その並行箇所である黙示録12章4節の場合にも、

同じような二重適用を利用することが明らかです。

 

黙示録12章4節と同じように、ダニエル書8章10節

(前史の天使の三分の一が堕落と艱難期の信者の三分の一の堕落という)

出来事の時期を一つに融合させているように見えますが、

実は、黙示録12章4節に続く文脈が、サタンとその天使たちが天から地上に

実際に文字通り投げ落とされることの預言の最終的な成就を(参照:黙示録12章7-9節

明確にしています。7-9節参照)

 

<サタンが投げ落とされるのは>大背教の絶頂期、

すなわち、大艱難期の始まりと同時期であり、まさに、

その3年半の期間を特徴づける大迫害の圧力が背教を激昂させる時なのです。

ですから、艱難期に「堕落」する信者に適用される限り、

ダニエル書8章10節黙示録12章4節は、

大背教の経過について特に重要な二つの詳細を私たちに提供しています: 

 

  1. 大背教は、反キリストによって操作され、信者に向けられた悪魔の活動の激化の直接の結果として起こる。 
  2. その時、地上の信者の3分の1が信仰から 「離脱 」する。 

 

第一の点に関して、このような悪魔的活動の激化は、

以前は非常に大きく抑制されていたことに注意すべきです。

(実際、反キリスト自身、サタンの「不法の者」は、

その時前には現れないようにされていました:第二テサロニケ2章3-12節)、

艱難期には、聖霊の世界的な抑制の働きが一時停止されるために可能になります。

(第二テサロニケ2章6-7節)[3]

第二に、「三分の一」という数字も、注目すべきものです。

(ダニエル11章33-35節ゼカリヤ13章8-9節を参照してください)

 

これは実際のクリスチャンの数の三分の一を表しているのであって、

その時点でクリスチャンであると自称している世界中の人口の三分の一を

表しているのではないことを理解してください。

この二つの数字(真のクリスチャンと表向きのクリスチャン)

の差は計り知れないものでしょう。

 

神以外に人の心を知ることはできませんが、

もし過去の歴史や経験が何らかの指針になるのであれば、

宗教について尋ねられたときにクリスチャンと自称する人のうち、

本当に主イエス・キリストの信者であり弟子である人は

ごく一部である可能性が非常に高いのです。

アブラハムは、ソドムの「義人」の数を意図的に最小限の「最悪のケース」

見積もりましたが、それでもその本当の数を過大評価しました。創世記18章32節[4]

 

この「3分の1」という数は、将来の試練の時には、

すぐにキリスト教の装いをすべて捨て去る大多数の(そして、の宗教運動に心から加わる)

単なる名目上のクリスチャンのことではありません。

ここで問題にされている背教者たちは、それどころか、

主を信じる本物の信者たちであり、来たるべき恐ろしい圧力の下で、

その尊い信仰を無価値で一時的なこの世の関心事にすり替えてしまうのです。

ダニエル11章30-35節参照)

 

人が主の御名を呼び求め始めて以来創世記4章26節)、

また教会時代の初期からピリピ3章18節;第二テモテ4章10節)、

最初はうまくいっても、何らかの理由で信仰につまずき、

キリストから離れていく人々は常にいました。

マタイ13章20-21節マルコ4章17節;ルカ8章13節;

 参照ガラテヤ5章4-7節第一テモテ4章1節)。

 

しかし、真の教会の三分の一がイエス・キリストから離れるということは、

恐ろしいことであり、また、私たちの目の前に起こる大変動のために霊的に

準備するように命じられている私たちに、その重要性を疑わせるものではありません。

マタイ24章13節;ルカ18章8節,21章36節

主から離れて背教する「三分の一」のメッセージの重要性は明らかです。

 

信仰が岩の上に堅固に根ざしていないすべての人々にとって、

艱難期にはとてつもない霊的危機が訪れるのです。

マタイ7章24-27節;ルカ6章46-49節

ここでは、(信者の背教の可能性さえ否定している)「永遠の安全保障」という

誤った教義に対する反論を再び行うには時間と余裕がありませんが、

これ<永遠の安全保障に>に反する新約聖書の数多くの箇所を客観的に読めば、

私たちの救いは、最後までイエス・キリストへの信仰を

忠実に堅く保つことを要求しているという原則を明らかにするのに十分なはずです。

(例えば、マタイ7章24-27節,10章33節;ルカ6章46-49節14章34-35節;

  ヨハネ15章5-6節;ローマ11章17-23節;

 第一コリント6章9-11節10章6-12節15章2節,

 第二コリント13章5節;ガラテヤ5章19-21節エペソ5章3-7節

 コロサイ1章21-23節第一テモテ6章9節,6章20-21節第二テモテ2章12-13節

 ヘブル2章1-3節3章6-19節10章35-39節第二ヨハネ1章8-9節)。[5]

 

救われるのは、最後まで信仰をもって耐え忍ぶ者だけであり、(マタイ24章13節)

艱難期は、忠実であり続けることと、忠実な弟子であり続けることに対して、

人類の記憶にあるどの時代よりも大きな試練を与えることになるでしょう。 

 

 


[1] 『悪魔の反乱』 第4部「サタンの世界システム」III.3.b.3項「長老たち」参照。 

[2] ここに見られるサタンと反キリストの類型論的な融合は、

 聖書預言において他に例を見ません(イザヤ書14:3-23の「バビロンの王」も同様に、

 悪魔と地上の偽メシアの両方の経歴を表しています)。

 聖書預言における類型論の使用については、「来るべき患難」をご覧ください:

 第1部「はじめに」、IV.1.d節「旧約聖書の預言における類型論と連続性」をご覧ください。 

[3] 「来たる艱難期」第2部B「艱難期の天の前奏曲」セクションIII、

 「聖霊の抑制の働き」参照。 

[4] アブラハムは少なくとも「十人の義人」がいると考えていましたが、

 ソドムから救出されたのはロトとロトの妻、そして二人の娘たちだけでしたが、

 ロトの妻は「振り返って」塩の柱になってしまいました(創世記19章26節)

 同じ章の後半に登場するロトの娘たちの行動を考えると、

 ロトの他に正しい者がいたかどうか疑うのは当然でしょう(第二ペテロ2章6-9節参照)。 

[5] ペテロの手紙シリーズ#26「個人的な苦難への反応」と

 #27「信仰を脅かす三つの偽教理」を参照。 

 

右差し--パート6に続く 

 

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昨日は一日中雨が降り続きましたね

そんな中、仕事が休みだった次男夫婦がケーキケーキを届けに来てくれました

お嫁ちゃんからは、カーネーションではなく、黄色のカラー黄色い花

私の好きな花です

ウォーキングの時の写真を一緒に見ながら、

私がちょっと気に入っている写真のところで止まり

「これ、面白い!」とか「わぁ、綺麗!」とか

反応するのがちょっと嬉しかったハート

 

長男さんからは、一番初めにメールが届き

黄色のミモザのドライフラワー黄色い花を贈ってくれました

これも私の好きな花です

ミモザが好きって言っていないのに、嬉しかったハート

 

四男さんからは仕事の合間に電話をくれて携帯

娘達がママの為にお料理を作ったりして忙しかったけど、

パパの為にもクッキーのプレゼントクッキーを作ってくれて

英語で「いつまでも笑わせてくれてありがとう」

メッセージカードを手紙貰ったと写真を送ってくれました

子供たちや、家庭のことを大切にしてくれているのが嬉しかったハート

 

家では、長女さんが五目ちらし寿司を作ってくれたり

紫陽花を飾ってくれたりして、毎日ありがたいです

私が何が嬉しいか一番よく知ってくれているのが嬉しかったハート

休みだった三男さんと一緒に食べ

「いつまでも元気に長生きしてください」と声をかけてくれました

口数の少ない一言は、嬉しかったハート

 

みんないろいろな中にあっても

思いやる心を持ち続けていることを、ありがとう飛び出すハート

感謝していますハート

 

みんなのために祈っているねお願い

 

 

      

 

 

 

 

                      クレマチス

 

 

      ムギナデシコ

     

 

 

 

                            ヒルザキツキミソウ               

           

             *:..。o○☆゚・:,。* お花が覗いてるね *:..。o○☆゚・:,。*

 

 

 

 

 

       あ、ここにもお鼻を覗かせてる子が(´艸`*)♡

                     バイバイまた来るね

       

        今日もありがとう~ラブラブ