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来たる艱難期 第3部A パート4
艱難期の始まり (ヨハネの黙示録8章1節~11章14節 )
5. 雷の声、稲妻、地震
これらのことをもたらす祭壇の火(神の裁きの明確な象徴)が
天から投げ下ろされることは、艱難期が始まったことを示す最初の明確な証拠です。
また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、
いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。
(ルカ21章11節)
艱難期の正確な始まりを示す他のすべての兆候は、
私たちを警戒させるべき、傾向や起こり得る出来事に過ぎず、
艱難期の開始時期に関する明確な情報を与えてはくれません。[1]
これらの恐ろしい兆候は、差し迫った裁きの世界への最初の明白な警告となり、
警告を受ける少数の人々には、悔い改めて神に立ち返るようにとの
明確で間違いのない呼びかけとなるのです。
なぜなら、来たるべき王国はもう間近に迫っており、
その正しい審判者は扉の真ん前に立っているからです。
(黙示録3章20節; マタイ24章33節; マルコ13章29節を参照)
しかし、艱難期が始まったことを示すこれらの天のしるしは、
実際には具体的に何を意味しているのでしょうか?
第一に、声、稲妻の閃光、地震はすべて、天の裁きの火を地上に投げつける
天使の行動の結果として地上に起こります。
第二に、それらは一緒になって警告のパノラマを形成しており、
それは耳に聞こえ(声)、目に見え(稲妻の閃光)、体に感じることができます(地震)。
第三に、これらの徴候は世界的に(つまり、地球全体を通して、
つまり「地球」全体でということで、『ヨハネの黙示録』に出てくる
ギリシャ語ge[γῆ]が意味する、他の70以上の場所でもという意味と同じです
<訳者註:世界の国々は70あるいは72の国のための境が設けられている>)認められます。
第四に、「声、稲妻の閃光、地震」はすべて文字通りの意味です。
艱難期が始まるとき、これらの前例のない世界的な現象は、
艱難期が始まったことを地上のすべての人に示す紛れもない印となります。
(その事実を受け入れるかどうかは別として)
「雷のような声」とは、雷鳴に似ていながら雷鳴とは異なる、
轟くような大声のことであり、これは神の言葉そのものです。
(参照:神の御座から出る声:黙示録4章5節)
しかし、地上のほとんどの人にとっては、理解できる言葉ではありません。
黙示録10章3-4節, 11章15節, 11章19節, 14章2節参照)。[2]
稲妻の閃光もまた、世界中で同時に知覚されるもので
人類が経験したことのないほど壮観なものになるでしょう。
そして、この地震は、人類史上初の真に世界的な地震となりますが--
しかし最終のものではありません。
この三つの現象に含まれる他の2つの要素と同様に、
世界規模の地震は、大艱難期の始まりのしるしとして艱難期の中間点と
主の再臨に先立つハルマゲドンの直前に起こります。
この三重の警告の二度目と三度目は、大艱難期の警告に加え、
再臨の警告は地震(黙示録16章18-20節: イザヤ29章6節; エゼキエル38章19節;
ハガイ2章6-7節; ゼカリヤ14章3-5節; ヘブル12章26節; 黙示録6章12-17節)と
雹の災い(黙示録16章21節)も同様に、さらに驚異的で破壊的なものです。
間違いなく、艱難期が始まる将来の時点で、不信心な世界は、
これらの驚くべき出来事を気象学的、地質学的な特殊性の組み合わせとして
説明しようとすることでしょう。
しかし、これらの明確な警告の印は、神の御子の弟子である人々に、
艱難期が決定的に始まったという事実を疑わせないという点で、
神からの祝福と見ることができます。
その後に続く数日、数ヶ月の間に、この事実の
(すなわち、このシリーズの目的である、預言された他のすべての艱難期の出来事)
正当性を確証するような他の兆候があることは確かです。
しかし、この最初の三重の奇跡的警告に耳を傾けることを拒否するほど
心が硬化している人々にとっては、
どれだけの証拠があれば十分なのかと問われても仕方がありません。
全世界を照らす前代未聞の光(世のまことの光である私たちの主イエス・キリスト:
ヨハネ1章4節, 8章12節, 9章5節, 12章46節を参照)、
世界中に響き渡る声、
(父なる神の言葉が全世界に発せられたこと:詩篇19篇1-6節; イザヤ55章10-11節を参照)
また、世界の至る所で同時に感じられるこのような独特な地震の意味を
否定することができる人々にとっては、
(目に見えないけれども、普遍的に感じられる聖霊の力:
創世記1章2節; ゼカリヤ4章6節; ヨハネ3章8節を参照)
どんなに否定できないように見える警告でも、十分ではないでしょう。
しかし、私たちの神の言葉に耳を傾ける者たちにとって、
この三重のしるしは、神の憐れみの間違った側に立つことが何を意味するのかについて、
非常に明確なメッセージとなるでしょう。
神を畏れ敬う私たちにとっては、この世から恐れるものは何もありませんが、
これらの警告に耳を傾けるほど神を畏れ敬わない人々にとっては、
恐れるに足る理由があるのです。
「生ける神の手に落ちるのは恐ろしいことです」(ヘブル10章31節)。
あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、
注意しなさい。
もし地上で御旨を告げた者(モーセ)を拒んだ人々が、
罰をのがれることができなかったなら、
天から(警告を与えて)告げ示すかたを退けるわたしたちは、
なおさらそうなるのではないか。
あの時には、(シナイ山で)御声が地を震わせた。
しかし今は、約束して言われた、
「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、
震われるものが、(主によって)造られたものとして
取り除かれることを示している。
このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、
感謝をしようではないか。
そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。
(ヘブル12章25-29節)
[1] 「来たる艱難期」パート2B:「艱難期への天の前奏曲」VII「来るべき艱難の兆し」参照:
[2] 信者がこれらの 「声<の言葉の意味>」を理解できるかどうかは、未解決の問題です。
キリストは引用された例の中で、確かに御父の「声」を理解されましたが
(ヨハネ12章28-30節; マタイ3章17節; 黙示録10章3-4節参照)、
ヨハネや他の弟子たちが理解できたかどうかは不明です。
(彼らは、たとえ話と同じような方法で、後から主から教えを受けたのかもしれません)
パウロは使徒行伝9章3-7節で主の 「声 」を理解していますが
(この 「声 」には閃光が伴っています)、
彼の仲間は理解していません。(使徒行伝22章9節)
私たちは、このような未来のメッセージに対する信者の認識について、
ここで明確な示唆を与えられておらず、この質問は、
その答えが明らかになる出来事を待たなければならないとしか言えません。
--パート5に続く
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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
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このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、
神の国が近いのだとさとりなさい。
よく聞いておきなさい。
これらの事が、ことごとく起るまでは、
この時代は滅びることがない。
天地は滅びるであろう。
しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。
(ルカ21:31-33)
感謝します
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今朝は激しく雨風となりましたね
昨日はいつも通るウォーキングコースで、行きも帰りも、
交通事故と急に倒れた方で、救急車、消防車が来ました
休み明けの出勤、通学の方は気を付けてお出かけください
お祈りしています
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周りの景色が変わっていく
藤棚・・・・でも藤の花は終わっちゃったね
大きな桜の木、
何年変わらずに、ここで見上げる人たちを見てきたのだろう
初夏のような日差し
誰も座らなくなったかユウゲショウが座ってる?
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あ、白猫ちゃんがお昼寝してる
お外のとら猫ちゃんはお散歩してる
また来るね
今日もありがとう~