艱難期の天の前奏曲:第2部B パート16
海 <パート-1>
御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。 (黙示録 4章6節前半)
ヨハネは玉座の前に「水晶に似たガラスの海」のようなものを見ています。
この「海」(ギリシャ語ではタラサ:θάλασσα)は、
代表的な型<予型>に過ぎなかった幕屋や神殿における洗盤の海の原型
(または対型<実体>)です。
この海は多くの点で地上の海と似ていますが
(ギリシャ語ではどちらも同じ単語で表されています)、
ヨハネはここで「似ている」という単語(ギリシャ語ではホス、ὡς)を用いて、
大きな違いがあることを表しています。
この海は「ガラスのような」「水晶のような」外観をしていますが、
これは出エジプト記やエゼキエル書で、
この同じ現象に際して記された描写と本質的に同じものです。
そして、彼ら(=イスラエルの長老たち)がイスラエルの神を見ると、
その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、
澄み渡るおおぞらのようであった。
(出エジプト記 24章10節)
生きものの頭の上に水晶のように輝く大空の形があって、
彼らの頭の上に広がっている。
(エゼキエル書 1章22節)
氷、ガラス、水晶という名詞や、サファイアブルー、きらめき、半透明という形容詞は、
いずれも固体状態の印象的な水塊のことを指しているであろうという解釈は、
上の聖句の「おおぞら」「敷石」などから生じたものです。
さらに、洗盤の外観も同じような印象を与えます。
洗盤は液体で満たされていましたが、青銅製の器の反射面によって、
その水はきらめき、半透明で、(空の反射を受けると)青っぽくさえ見えました。
(ヨブ記37章18節を参照)
先に地上の洗盤の海について述べたように、ヨハネがここで見ている天上の海は、
創世記の地球の回復に関する記述にある「天上の水」に他なりません[1]。
(6)神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
(7) そのようになった。神はおおぞらを造って、
おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
(8) 神はそのおおぞらを天と名づけられた。
(創世記1章6-8節前半)
この「上の水」は、事実上、おおぞら(または天)の「上」にある最後の固い層であり、
天と共に、聖なる神と堕落した世界を隔てる機能を果たしています。
この事実は、なぜ天の障壁と同様の言葉で表現できるかを説明するのに役立ちます。
(すなわち、出エジプト記とエゼキエル書ではそれぞれ「敷石」と「おおぞら」と表現)[2]
また、聖書の中には主に詩的な文脈の中で、あたかも地球の大気と大気中に含まれる水分が、
共に二つの天と「上の水」を構成しているかのように描写されている例が時折見られます。
(つまり、本当は地球が回転しているのに、太陽が「沈む」と表現するような、
現象的「見た目の言語」の詩的表現の場合、この二つが混同されるのです: 詩篇104編13節)。
しかし、黙示録4章6節にあるこの天の海の存在は、
創世記1章6-8節が(地球の大気を超えた宇宙の存在を認識していない)
「詩的」あるいは「混乱した」記述ではなく、
逆に、そこで述べられている「おおぞら」は、
神がそれを二層の「天<複数形>」と名付けられたように、
二つの天(空と宇宙)の両方として理解すべきものであり(創世記1章 7節)[3]、
また、太陽、月、星がある場所であることがはっきりわかります(創世記1章14-19節)。
創世記の天の復元に関する記述を額面通りに受け入れると、
つまり、地と第三の天の間のすべてを構成する「おおぞら」が、
二つの巨大な水の集まりを両側に分けていると考えると、
黙示録4章6節における天の海の存在が明らかになるだけでなく、
他の聖句にも同様に、「上の水」は大気中の水分ではなく、
既知の宇宙のはるか上空にある原初の水の分けられた部分として
描写する箇所のつじつまが合うようになります。
それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、
ことごとく破れ、天の窓が開けて、
(創世記 7章11節)
天の天よ、天の上の水よ、主をほめたたえよ。
(詩篇148篇4節)
(5) すなわち、彼らは(神の裁きは決して来ないと主張して)
このことを認めようとはしない。
古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり
(すなわち、「下の水」が海へと集められ)、
また、水によって(再び)成ったのであるが、
(6) その(ノアの)時の世界は、御言により[再び][二つの源の]水でおおわれて
滅んでしまった。
(第二ペテロ3章5-6節)
上記の最初の聖句では、
(祝福と裁きの源である:詩篇78篇23節; イザヤ24章18節; マラキ3章10節 参照)
地の下と天の上から来る多量の水によって、地球は氾濫しています。
この二つの水の両方とも、地球を氾濫させた水の量において同等の強調が置かれています。
この二つの水の組み合わせ(どちらも人間の目には見えません)は、
このような大量の水の発生をあり得ないとする大洪水の懐疑的な評価を覆します。
(水は地球の最も高い山々を6メートル以上も上回ったので、
現在の海の水だけが大洪水の源であるとするなら、それはあり得ないことです)
(創世記7章20節参照)
上記の二番目の聖句にある、「天の天」という表現は、
しばしば「最高の天」とも訳されますが、
空と宇宙の二層の天の上に位置する第三の天を指しています。
(同じ詩篇の1-3節と詩編115篇15-16節を参照)
詩篇148篇4節の後半では、この第三の天と(他の)二つの天の間の水の層が
扱われているので、この「上の水」は単なる大気中の水分ではなく、
創世記1章6-7節の大空によって分けられた第二の水の集まりで、
宇宙のまさに「端」の領域よりはるかに上にあるはずだということが十分に理解できます。
上記の三番目の聖句についてですが、
創世記1章6-7節の天がこれと同じ分離機能を持っています。
ペテロは、天、地、二つの水を並べることで、「大昔に存在した天」が
地球を再興する最初の手段(つまり、二つの水を分割すること)であることを
明確に示しています。
地球は「水の中から」出てきたのであり、
(水が地球の海に落ちていくことで、地は水の上に現れ)、
「水の中を通って」出てきたのです。
(すなわち、天のおおぞらは、地の下の水を上の水から分け、
下の水は海に集まるようになった)[4]。
この「二層」の天とその上にある「上の水」は、実際には別のものですが、
それでも両者は地球のはるか「上」にあるため、
一体のものとして表現されることがあります。
(まさに、エゼキエル1章22~28節と10章1節で見た、
この水の層を「おおぞら」として表現するのと同じです)
実際、ヘブル語の「天」(shamayim, שמים)は、正確な語源は議論の余地がありますが、
おそらく「水の場所」
(つまり、「そこに(水が)ある」= sham-mayim, שם-מים という意味の言葉)
を意味します。
この意味は、第一の天(大気圏)の中の水と第二の天の境界の「上の水」の
両方を暗示するものです。
(ただし、これらの「上の水」は、これまで見てきたように、
厳密には天<複数形>とは異なるものです)[5]
最後に、この「上の水」と天<複数形>のおおぞらとの混同は、
上で見たように、洗盤の海の作りにも明確に表されています。
この天の海の地上での表現において、天の海を表しているのは水であり、
一方、青銅の器は厳密には天のおおぞらを含み、抑制していることを表しています。
あなたは[青銅を]鋳た鏡のように堅い大空を、
彼のように張ることができるか。
(ヨブ 37章18節)
この「上の水」もまた、重要な分離の目的を果たします。
おおぞらが二つに水を分け、抑制するために神によって再構築されたように
(創世記1章6-7節)、「上の水」は神の聖なる神殿である第三の天を、
腐敗した下界から分離する役割があります。
この分離機能は、地とその下にある黄泉の国の地下室の中間にある
上と下を分ける「下の水」(出エジプト記20章4節参照)の場合にもはっきりと見えます。
そのため、たとえば黄泉の国も「深淵」と呼ばれることがあります。[6]
エゼキエル書1章と10章にある「大空の上の水」とすべきところに
「大空」が使われているのと同じように、厳密には異なる領域が混同されているのです。
- なぜなら、黄泉の国はこれらの「下の水域」のはるか下にあり、
そこを通ってしか行くことができないからです。‐
(同じように、第三の天に到達するためには、天と「上の水」の両方を
通らなければならないので、洗盤とその水が一体であるように、
厳密には異なる二つの領域は、多くの理由のために一体であるかのように
考えることができるのと同じです)
この「下の水」の分離機能で、黙示録20章13節で「海」が
「死人を出す」ということについても説明がつきます。
これは、海の中に亡くなった霊がいるからではなく、海が分離層となって、
いわば、ハデスにいる救われていない死者を「閉じ込めている」からです。
「上の水」も同様に分離する機能を果たし、
その上にある第三の天の神聖な境内とその下に横たわる悪魔のコスモス、
つまりサタンの腐敗した世界との間に重要な隔壁を形成しています。
したがって、この二組の水は、図式的に見ると、次のように表されます:
つまり、どちらの水も神学的に言えば「隔ての海」であり、
「下の水」の場合は「死と黄泉」を生者の(堕落した)世界から、
「上の水」の場合は生者の(堕落した)世界を神の聖なる住まいから隔てるのです。
この天の分離と遮蔽の機能がなければ、
(黙示録4章6節の凍海<ガラスのような海>は上部の「凍結氷面」)
現在の腐敗した天と地は、
全能の聖なる主神の素晴らしい栄光の前に「逃げ去る」でしょう。
(黙示録20章11節. 詩篇97篇5節, 102篇25-27節;
イザヤ13章13節, 24章19-20節, 34章4節, 51章6節; ハガイ2章6-7節;
第一コリント7章31節; ヘブル12章25-29節; 第二ペテロ3章10-13節;
第一ヨハネ2章17節; 黙示録6章14節, 21章1節) 。
しかし、現在、上の聖と下の腐敗が分離しているにもかかわらず、
(この分離がなければ、この世界の存続は不可能です)
神は決してご自身を世界から孤立させてはいないことに注目することが重要です。
それどころか、被造物の本質を通して、人間と天使の働きによって、
そして最後に最も重要なこととして、ご自分の愛する御子の派遣と犠牲を通して、
この世界に対して常に強力で包括的な証を維持してこられました。
そして、この水の障壁がもはや私たちを神から分離しない日が来ます。
神ご自身が私たちの知っているこの世界を火で清められたとき、
(第二ペテロ3章10-12節; イザヤ26章21節参照)
腐敗したコスモスの代わりに新しい天と新しい地が「義の住むところ」となるのです。
(第二ペテロ3章13節; イザヤ65章17節, 66章22節参照)
神ご自身がその新地にて私たちの間に住まわれる時、
(黙示録21章3節; イザヤ25章6-9節; エゼキエル37章27節, ゼカリヤ2章10節参照)
神の存在の輝かしい栄光は、もはや世界の継続的存在と相容れないということはなく、
代わりに私たちが歩むための光となるでしょう。
(黙示録21章23-24節, 22章5節 )
その祝福と栄光の日には、
もはや永遠に「海がなくなる」のです。(黙示録21章1節)
その祝福と栄光の日には、下の水に似ているものは、
主の前から流れ出る命の水だけであり、
(黙示録22章1-2節; イザヤ55章1節; エゼキエル47章1-12節; ヨエル3章18節;
上の凍った水に似ているものは、新しいエルサレムを築く結晶だけです。
命の水はハデスと生ける者の世界との間の一時的な液体の障壁ではなく、
(救われない死者が必ず通らなければならない)
自由に流れて、永遠の祝福と主との交わりをもたらすようになるのです。
そして、(現在の上空の水のように)
私たちを聖なるものから隔てる凍りついた障壁ではなく、
新しいエルサレムの鮮やかな結晶の壁と道は、
前例のない祝福を永遠に与える、永続する堅固な住まいとなるのです。
[1] 詳細は「悪魔の反乱」を参照: 艱難時代の背景: 第2部「創世記のギャップ」を参照。
[2] しかし、空間的に見れば、地球と宇宙の反対側にあるこの "上の水域 "との間の距離は計り知れない(そしておそらくは知ることさえできない)が、
的に見れば、私たちとこの最後の障壁の背後にある第三の天との間の "距離 "は、
目に見えないとしても限りなく小さいことを忘れてはならない。
神は遍在しているが、神が与えてくださる明確な証人を通して信仰の目で見えるだけだからである。上の図2参照。
[3] この二層の形態(ほとんどの世俗的学問の見解)については、『悪魔の叛乱』の第1部II.3節の「三つの天」を参照: 『艱難期の序章』の第1部、「サタンの反逆と堕落」のII.3節、特に脚注#12を参照。
[4] (「~によって」ではなく)「間に入る」という意味の前置詞diaが同じような使い方がされている第1ペテロ3章20節を参照してください。
[5] Bauer-Leanderの文法書とKoehler-Baumgartnerの辞書の両方で可能性として言及されています。Jenni and Westermann's Theologisches Handwoerterbuch zum AltenTestament v.2 (Munich 1979) s.v. שמיםの文献を参照。
[6] 「深淵(アビス)」は正しくは海の名前: 「艱難期の序章」参照: 第2部「創世記の空白期」II.3.b項「神の裁きのしるしとしての海」を参照。
[7] 「悪魔の反乱:艱難期の序章」 第2部「創世記の空白期」のII.3項「海」を参照。
--パート17に続く
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空の上に水、地の下に水、
私たちが地球で見ている海や湖の他にも、水があるのですね
宇宙は果てしなく広いね
しかし、どんなに広くても私たちの小さな祈りを聞き洩らすことなく
聞いていて下さるイエス様
まことにわれらの魂はかがんで、ちりに伏し、
われらのからだは土につきました。
起きて、われらをお助けください。
あなたのいつくしみのゆえに、
われらをあがなってください。
(詩編44:25-26)
感謝します
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芝桜
昨日はよく晴れて、気持ちよくウォーキング出来ました
秘密の小道の林の木が、もうすぐ伐採されてしまうので
歩いてきました
足元に咲いている花にも会えて、嬉しかったよ
ヒメリュウキンカ
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時々会える猫ちゃんだけど、なかなか写真が撮れなくて・・・
やっとフォーカス!
今日もありがとう~