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来たる艱難期<パート83>:黙示録の歴史 第二部-A
キリストが約束された報い
黙示録3章12節前半:
1. 「勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。
彼は決して二度と外へ出ることはない。」:
この祝福された約束は、すべての勝利した信者、
すなわち、イエス・キリストへの信仰を保ったまま地上での生涯を全うした
イエス・キリストに従うすべての信者に対してなされたものですが、
しばしば誤解されてきました。
肉体の復活をイエスに信頼し、その希望は、
主のような輝かしい新しい体を持つことに堅く留められ
(ローマ6章5節, 8章11節; 第一コリント15章45-49節,15章53節;
第二コリント5章1節; コロサイ3章3-4節; 第一ヨハネ3章2節)、
神の住まいのための永遠の個人的な神殿
(ヨハネ4章21節を第一コリント3章16節,6章19節と比較してみてください。
エペソ2章20-21節; 第一ペテロ2章4-5節も参照のこと)、
永遠に文字どおりの石柱になることがないことは確かでしょう[1][1]。
実際、私たちの最終的な永遠の住まいである新しいエルサレムには、
神殿はおろか、岩の柱に変容した信者で満たされた神殿すら存在しません
(黙示録21章22節)。
これは比喩であり、私たちの神と主イエス・キリストとの永遠の交わりの堅固さを、
実に素晴らしい形で強調する祝福された比喩なのです。
なぜなら、柱が神殿の一体化に不可欠で、取り外すことのできない部分となり、
<神と私たちの関係は>、
筆舌に尽くしがたいほど素晴らしく親密なものとなるからです。
復活の日から、それは本質的に今あるものと同じように、
完全で具体的な現実となります。
その日、私たちが皆、御父と御子と共に、
その一部として永遠に経験する親密さと驚きに、この地上の誰も近づくことはできません
(ローマ6章3-5節; 第二コリント5章17節; コロサイ3章1-4節)。
この信じられないほど心強い約束は、祭祀、
豪華な装飾が施された荘厳な建築の聖堂を持つ当時の目に見える教会から、
本質的に「追放された」ヒラデルヒヤの信徒たちにとって、
よりいっそうの慰めとなります。
彼らは、自分たちが正しく、死んだ伝統的な教会から分離するために
しなければならないことを心の中で知っていたけれども、
この知識は、喪失感、恥、恐れの感情を完全に消し去ることはできませんでした。
私たちの主はこのわずかな言葉をもって、
彼らが神に喜ばれることを選んだことで失ったすべてを十二分に回復し、
神ご自身とのより良い交わり、決して終わることのない交わりを約束されたのです。
黙示録3章12節後半:
2. 「そして彼の上に、わたしの神の御名と、(わたしの神から天から下ってくる)
わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる
新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。 」:
私たちがこの地上での主の奉仕において果たした役割を反映するものとして、
将来私たちが改名されることについて言及しました。
神の御名と、私たちの永遠の住まいである新しいエルサレムの御名と、
私たちの主イエス・キリストの御名とが、それぞれの信者に刻まれることは、
「所属」を表す究極的なバッジです。
永遠が始まったその日から、私たちは父と子に完全に属し、
栄光の永遠の都、新しいエルサレムの一部となり、
これらの名を実際に持つようになるのです。
これは、あらゆる時代の信者にとって、特に孤立と隔離の時代において、
非常に心強い約束です。
ヒラデルヒヤの時代の、組織的に排除され、拒絶され、苦しめられ、
軽蔑された信者たちにとって、その意味はいっそう力強いものです。
またここには、一方では忠実な信者の復活した体に刻まれるこれら三つの永遠の御名と、
他方では艱難時代に神を拒んだ者たちの死すべき体に刻まれる
「獣の刻印」との間に、明確な対比があります
(終末を目前にした私たちが理解する上で最も重要なことです)
(黙示録13章16-17節, 14章9節, 14章11節, 15章2節, 16章2節, 19章20節, 20章4節)。
獣の刻印を受けた者たちは、その裁きは確証されています
(その結果、彼らの名はいのちの書から取り除かれました:
しかし、滅ぶべき肉体の命に執着せず刻印を受けることを拒む者たちは、
楽園のような新しいエルサレムで、神の家族の一員として、
またキリストの花嫁としての印を受け、
これらの祝福された御名によって永遠に覚えられることでしょう
(参照.イザヤ56章5節; 62章2節; 65章15節; 黙示録2章17節, 3章12節, 14章1節、
また黙示録19章12-16節と比較してください)。:
(信者らは)御顔を仰ぎ見るのである。
彼らの額には、御名がしるされている。
(黙示録22章4節)
アブラハムや彼ら以前の多くの忠実な信者と同じように、
ヒラデルヒヤの人たちも、ある意味でこの地上をさまよう巡礼者でした
彼らは(以前の組織から追い出されたという意味で)
見捨てられたと感じたかもしれませんし、ホームレスだったかもしれません。
しかし、彼らだけでなく、私たちにとっても、
父と子との将来の交わりと、「天から下ってくる」新しいエルサレムでの永住は、
私たちが主の目でこれらの事柄を見さえすれば、
たとえ来るべき大艱難のどん底であっても、
この世が私たちに与えるどんな窮乏、排除、苦しみとも比較にならない驚異なのです。
その日、私たちはこれらの栄光の名を、
永遠に自分の身に負うことになるのですから。
[1][1] 私たちの永遠の体については
ペテロの手紙シリーズシリズ#20「復活」をご覧ください。
--パート84に続く
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私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
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目に見える常識、同調圧力、等々・・・それらのものから分離することは
とても難しいと思えるかもしれないけど、
永遠の御名と獣の刻印と、どちらを選ぶかは、選択次第で
この、ヒラデルヒヤのように、
一時は見捨てられたように感じたかもしれないけど
神の御言葉の約束を信じたゆえに受ける
それまでに失ったと思えるものとは、比べ物にならない
喜びが待っていることを知ることができることを
感謝します
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。
先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
また、聖なる都、新しいエルサレムが、
夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、
神のもとを出て、
天から下って来るのを見た。
(黙示録21:1-2)
感謝します
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一羽の雀さえ、主は守りたもう~
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(2017年1月ももちゃん)
今日もありがとう~