からの続きです
ペテロの手紙#12-B
霊的成長の概観 ~ 種まきのたとえ ~
種まきのたとえは、共観福音書の三つ全て
(マタイ13章1-9節; マルコ4章1-9節; ルカ8章4-8節 )に記されていて、
イエスによるたとえの解き明かしが
マタイ13章18-23節; マルコ4章13-20節; ルカ8章11-15節でなされています。
主に救いについて扱っていますが、霊的成長の仕組みを説明するのに助けになるもので、
私たちにとって重要な箇所です。
キリストに対する様々な態度があり得ますが、救いに至るのは信仰という
ただ一つの選択肢しかないように、
キリストの教えに対する様々な態度を持つことが出来たとしても、
霊的成長に至るのは信仰だけです。
このたとえでは、一人の種蒔きが四つの異なる種類の土地に種を蒔きに行きます:
固い土地(道端)、岩の多い土地、いばらの多い土地、そして良い土地です。
路傍の固い地に落ちた種はすぐに鳥に奪われ、
岩の多い地に落ちた種はすぐに芽を出しますが、根に深さがないため枯れてしまい、
いばらの多い地に落ちた種は周りに生えた雑草によって塞がれてしまいます。
イエスは
- 固い地とはサタンが福音を拒むように仕向けられた人、
- 岩の多い地とは苦難の時に福音を捨てる人、
- いばらの多い地とは人生の心配事や悩み事によって福音から遠ざかる人、
- 良い地とはこの世で実際に神のために実を結ぶ人
と説明しています。
このたとえは、福音に対する反応の四つの基本的なタイプを説明しています。
蒔かれる「種」は神の御言葉であり、イエスをキリストとして宣言し、
救いはキリストを信じる信仰によってのみもたらされることを伝える福音のメッセージです。
それぞれの場合の「植物」は、その人の信仰です。
「地」は、さまざまな種類の人々の心を表しています。
重要なのは、私たちがどのタイプの地になるかを決めるということです。
硬い地か、岩のような地か、いばらのような地か、良い地であるかは、
私たちの責任なのです。
固い地(信仰の死産): 「
「固い地」の人は福音のメッセージを聞いても、キリストを信じることを選びません。
芽が出る前に種を奪い取って食べてしまう「鳥」を、
その人の心から御言葉をさらっていくサタンとしてイエスは説明しています。
道端の地面が固く固められ、種が根付くことができないように、
多くの人の心は、キリストを信じる信仰による救いのメッセージに対して固くなっています。
彼らの心は、福音の真理に対して冷淡で、それを受け取ることができないのです。
ルカのたとえ話(ルカ8章5節)には、
この種が通行人に「踏みつぶされる」ことが詳しく書かれており、
この問題を説明するのに役立っています。
同じように、福音をすぐに心の中に迎え入れない人々は、
福音の真理が周りの人々から軽んじられたりしているうちに、
キリストを拒絶するようになります。
イエスはこのプロセスを、福音を聞いて「心に」蒔かれたものを
サタンが「奪い取る」と説明しています。
サタンは「彼らが信じて救われないように」するのです(ルカ8章12節)。
マタイの記述(マタイ13章19節)はその過程を説明しています:
そのような人々は皆、「みことばを聞いた」のですが、「悟る」ことをしないのです。
神の真理を「悟る」こと、あるいは理解することは、これまで見てきたように、
信仰によってのみもたらされるものです。
心が「固い」人々にとって、信じようとしないことは、
彼らが見過ごしてしまった「こんなに素晴らしい救い」(ヘブル2章3節)を
理解することができないことを意味し、それは彼らにとってただの「愚かなこと」
(第一コリント1章18節~)にしか思えないのです。
サタンはどのようにしてこの目論見を成し遂げるのでしょうか?
サタンはこれらの人々に影響を与えることはしますが、
イエス・キリストを受け入れる(あるいは拒む)最終的な責任は、
一人一人にあることを指摘しなければなりません。
このたとえ話の三つの記述では、それぞれサタンの名前が異なっており、
不信仰な人を欺き、福音を無視するように仕向ける
サタンの手口を知る手がかりとなります。
マタイはサタンを「悪者」と呼び、真理を嘘で取り替えるという
悪の手口の典型を示しています。
マルコは彼のことを「サタン」と呼んでいますが、
これはヘブル語で「敵対者」を意味する名前で、
サタンは真理がどこにあってもそれに反対します。
ルカは彼を「悪魔」と呼んでいますが、
これはギリシャ語で「中傷する者」という意味です。
未信者がキリストについての貴重なメッセージを心に抱き、
それを吟味し、考えているとき、敵対者である悪魔は、
そのような人が福音を拒否するように影響を与えようと、自分の力の限りを尽くします。
もちろん、悪魔はその姿を現すことによってではなく、
その人が生涯を通して受け入れてきたすべての嘘、恐れ、欺きを用いてそうします。
この世は(一時的には)悪魔の世界であり(ヨハネ14章30節)、
悪魔は自分の大義に有利な宣伝でこの世を埋め尽くしています。
誰かがクリスチャンになろうと考えている時、
「悪い者」である悪魔は、嘘で混乱させようとすることは確実です;
(例えば、キリストへの信仰による救いという真の原則に対して、
業(わざ)による救いという偽りの原則をもって)
「敵対者」として、恐怖と脅しを使って
(例えば、「クリスチャン」であることが、肉体的なものであれ、社会的なものであれ、
その代償や危険を思い起こさせること)、
クリスチャンになろうとする人を引き戻そうとすることでしょう;
また「中傷者」として、キリストについての単純なメッセージの信憑性を
不信者に疑わせようとすること(例えば、福音を伝える人の動機に疑問を投げかけるなど)。
マルコの記述によれば、
サタンは「素早く」行動し、
真理の種が根付き、本物の信仰を生み出す機会を得る前に、
その種を奪い取ってしまうのです。
種は良いものでしたが、信仰は固い心の中で死産となったのです。
--ペテロ#12-Cに続く
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長い間、嘘、恐れ、欺き、と言うものを受けいれていると
それがその人の弱さとなって、簡単にサタンに付け込まれる機会を与えてしまうようです
私が子供の頃、リード無しの犬に追いかけられたことがあって
(犬は遊びたかっただけなのに)
とても”怖かった”という経験はかなりその後も記憶に残ってしまい
リード無しの犬を見ると、警戒しました
ところがこちらが恐れを持つと、犬にも恐れが伝わって吠えることが分かってから
『大丈夫だよ』と心で思い、そして声をかけます
決して、無理に近づいたり、驚いて声を上げたりしないようにしました
それでも、吠えてくる犬には
「番犬の役割をしてるんだね、えらいね」と褒めます
そのうち、何度も会う度に犬は吠えなくなりました
今では、カラスにまで声をかけて話していることがあります
変なおばさんですね(笑)
固くなった心をほぐすには、時間がかかるかもしれないけど
ほぐれて柔らかくなった土には、恵みの水も、恵みの光や酸素もよく吸収し
落ちた種も芽を出すことができます
「人はみな草のごとく、/その栄華はみな草の花に似ている。
草は枯れ、/花は散る。
しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。
これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。
(第一ペテロ1:24-25)
今日も感謝の一日を
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(2016年ももちゃん)
今日もありがとう~