(ひとしずく・④クリスチャンの名言集から)ジョージ・マクドナルドスコットランド | sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

 

右差しパート③からの続き

 

クリスチャンの名言集から パート4

 

「クリスチャンの名言集・名句集」

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―ジョージ・マクドナルドスコットランド(1824~1905 小説家、詩人、聖職者)の言葉より

 

 

 私がなおいっそう心をこめて神さまを愛するとき、

  私は一番ふさわしい方法であなたを愛することができる。(妻に言った言葉)

 

 隣人を愛することは、憂いや悲しみから自分自身を救い出す唯一の方法である。

 

 キリストはわたしたちを救うために死んでくださった。

  苦しみからではなく、わたしたち自身から。

  不正からではなく、ましてや、正義からでもなく、

  わたしたち自身が正しからざる者であるということから。

 

 愛は、すべてのものを愛すべきものとする。

  憎しみは、憎んでやまない一つのものにおのれを集中する。

 死ぬことを拒んでいる間は、きみは死んだ状態にある。

 

 わたしたちは日ごとに死ぬ。

  死んで日ごとによみがえる人は幸いである。

 

 神のかたちにかたどって創造された人間は、神を知らないかぎり、悲惨である。

 

 自我がわたしたちに与えられているのは、献げるためである。

 

 朝ごとにわたしの生命は、わたしのまわりに新たにこびりつく自我の殻を砕かねばならない。

 

 私たちが求めるべきことは、神が私たちに与えてくださるものではなく、神ご自身です。

 

 人はただ義を行なえばいいので、他人の下らない批判についてくよくよ思い悩むべきではない。


 隣人を愛することこそ、自己という牢獄からの唯一の出口である。

 

 神は祈りなしでもわたしたちにすべてのものを与えることがおできになるが、

  子がひざまずいて祈るように、人間が乞い求めるように、賜物を留保なさることがある。

 

 地獄の唯一の原則は、『おれはおれ自身のものだ!』である。

 

 わたしたちが求めるのは神であって、天国ではない。

 

 わたしたちがクリスチャンとしていさぎよくないのは、またそうあり続けるのは、

  わたしたちが自分の姿を見て、キリストを見ないからである。


 人は隣人を選ぶべきではない。

  神が送りたもうた隣人を、ただあるがままに受けいれるべきである。

 

 間違ったものを求める者の祈りも、ときとして聞かれることがある。

  パンを求める子に、父なる神が石をお与えになることはない。

  しかし石を求める子に石をお与えになることがけっしてないとは言いきれない。

 

 苦しんでいるクリスチャンたちよ。安心しなさい。

  主が人を特別に用いようとする場合、主はその人を火の中に入れます。


 神の練習帳で次のページは明かされない。

  分かるのは、今のページだけである。

  今の課題を学び終えて初めて、次に進めるのだ。

 

 現在の重荷に耐えきれない人間はいない。

  現在の重荷に過去の重荷が加わるから、耐えられなくなるのだ。

  未来に対する最上の準備は、現在をしっかり見つめること。

  なさねばならぬ義務を果たすことである。


 もし、神の子が死んでよみがえったと信じるなら、

  あなたの将来は人生という丘の向こうから永遠に沈まない太陽が昇る夜明けのようだ。

  そのような希望は、最高の想像力に恵まれた詩人の心にさえ思い浮かばない。


 神は火を以て清めようと思うほど人間を愛しておられる。


 私たちがことの現実を最も良く知っているときは、

  神を最も必要としていることに気づき、神に最も信頼できるときである。

  どのようなかたちでも、どのような種類でも、

  どのようなあり方でもその容赦のない現実を認めることは、私たちの心をさらにより現実に向け、

  より高度な、よい深遠な存在へと導いてくれる。


 人と親しく心を交えるようになるのは、愛されることではなく、愛することによる。


 獣は、自分が獣であることを知らない。

  人が獣のようになればなるほど、人は自分が獣のようになっていることが分からなくなる。


 人は求めるものを得るのに苦労する。最高のものを求めないからだ。

  神は与えるのに苦労する。

  神は最高のものを与えたくても、人がそれを受け取ろうとしないからだ。


 赦すこととは、与えることです。

  だから生命を受け取ることになるのです。


 赦すことを拒否するのは、人を殺すことよりも悪い。

  殺人は一時的な衝動によるものであるのに対し、

  赦しの拒否は、冷徹で意図的な選択だからだ。

 

 子どもが門口や庭先に遊びに来ないような人は、キリスト者だと言っても信用しない。

 

右差しパート⑤に続く

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どの言葉も心に響くのですが

 

 神の練習帳で次のページは明かされない。

  分かるのは、今のページだけである。

  今の課題を学び終えて初めて、次に進めるのだ。

 

丁度、昨日私が学んだ事とピッタリの言葉がありました

「なんでだろう?」と分からないことはたくさんあるけど

祈り求めるなら、答えがもえらることもあるし、分からないままのこともある

だけど、次に進むためには今の課題を学び終えないと!

 

感謝します

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去年のももちゃん

 

 

 

 

 

今日もありがとう~ハート

 

 

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「愛の物語」の注文をたくさんいただいています

ありがとうございます

皆さんも是非お手元にどうぞ音譜クリスマスツリーベル

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こちらでも全文読めますよ~下差し

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