ごきげんよう。栗毛馬です。

 

竹橋の東京国立近代美術館で開催中の「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」展に行った話の続きです。

 


 

小倉遊亀 《浴女 その一》


大きな絵です。圧倒的な存在感。

写実的な表現ではないのに、まるで自分もその場にいるかのようなこの臨場感は何なのでしょう。

素晴らしく美しい絵です。

 

画面やや右中ほど、2人の視線が交わるあたり。

そこに、唐突にポツンとある蛇口。

私はこれが気になって仕方ない。


だって、不自然な位置ではありませんか。

いちいち浴槽に踏み込まないと開け閉めできない場所にある。

何の意図があるのだろう?何の暗示?


この蛇口の栓を、ひねりたい。

勢いよく水を出して、緑の水面を乱したい…!

と激しい思いに駆られましたが、残念。

蛇口の捻るところが取り去られているではありませんか。



これは、浴女が勝手に水を出さないようにそうなっているのでしょうか?


結構、含むものがある絵なのかもしれません。

 

洗い場の表現がとてもリアル。

このプツプツ、立体的なのです。まるで本当の石みたいに。

ぜひ間近でご覧になってください。

 

 

アルマン(アルマン・フェルナンデス) 《イリスの肖像》

ギャラリーのオーナーの私物を箱に詰め込んだ作品だそうです。

入っているものは…

紙屑、ストッキング、紙袋、シール、スリップみたいなもの、何かの箱、パンプス、使い切ったマニキュアの瓶、など。

 

最初はイリスさんの大切なものコレクションかな、とも思いましたが、ゴミだろうなと考え直しました。紙屑とかどう見てもゴミですよね?

 

しかし、よく使いこまれたパンプスや空っぽのマニキュアなどは、かつてイリスさんのお気に入りで、彼女の生活を支えたものたちであることに間違いはなく、「元」大切なものたち、でももういらなくなったものたちであると考えるのが妥当でしょう。

 

持ち物を見ればその人がわかる。

と言ったのは、誰でしょう?

 

ゴミを見れば、その人の過去がわかる。

「今」の自分を知りたければ、小さな箱に自分で気に入りのものを詰めてみればいいのかもしれません。

 

時間と気持ちに余裕があって、後片付けを厭わないのであれば、ごくごく近しい人に

「あなたから見て私らしいものってどれ?」

と頼み、選んでもらうのも一興かもしれません。

 

どうありたいのか

どんな人だと思われたいのか

実際にはどんな人だと思われているのか。

 

面倒くさくて怖いけれど、やってみれば収穫はありそうです。

 

最後に、「どんな人になりたいのか」。

 

これを選び出すことができればいろいろな迷いはなくなるのかもしれない。

ミニマリストというのは、この作業を突き詰めた人なのかもしれないと思いました。

 

きっと、ミニマリストの箱は小さくて整然としている。

心は穏やかで落ち着き、満たされているのだろうな。

 

あれが欲しい これも気になる どうしよう

値下がりしたら プラスポイントになったら…

なんて四六時中考えている自分には到底無理な境地なのでした。