こんにちは、しゅんすけです。


今日は 神は夢中になる というお話です。








今朝は、掃除や洗い物をしている時に鼻歌を歌っていました。


昔やっていたゲームミュージックの曲でした。




今日の人間しゅんすけさんはご機嫌なんだね〜

と思いました。








毎日は、常に「自分」から教わることの連続です。



誰かと関わった思考、感情であっても…

何か出来事が起きた思考、感情であっても…

独り過ごしていた時の思考、感情であっても…




その思考は誰がしてるの?

その感情は誰が感じているの?

と言えば「自分」です。




自分はこう考えたんだな…

自分はこう感じたんだな…

と客観視(俯瞰)して味わっている主体こそ

本当の自分、神、仏です。




神、仏は、生きていません、だから、死にもしません。




わたしという神、仏は、「自分」を通して「生きる」「死ぬ」という体験を味わっています。




「自分」というゲームの始まりが

「生まれる」という体験で

ゲームの終わりが

「死ぬ」という体験です。




おぎゃーと生まれてからゲーム開始

主人公「自分」というエゴが意識に定着して一人前

あとは

生きてる限り

認識や知覚がある限り

そこには「自分」がいて

教わること(楽しむこと)が沢山あります。




わたしは「自分」ではありません。

わたしは「自分」というゲームプレイヤーです。








こうしてお話は 肉体=自分 と思っている限りは、まったく響かない話だと思います。



どこからどこまでが「自分」なのでしょう?





例えば、髪や爪はどうでしょう?

肉体にくっついている内は「自分」と思えるかもしれません。

ですが、床に落ちてる髪、切った爪は「自分」と思えるでしょうか?




例えば、食材。

口の中に入る前は「自分」とは思えないでしょう。

ですが、胃で消化されて、腸で吸収されれば「自分」となるのでしょうか?





結局のところ

どこからどこまでが「自分」という明確な境界線などなく

その時、その時の環境、状態に応じて変化しています。




なので、突き詰めていけば…

「自分」はいない、というのもアリだし

すべては「自分」、というのもアリです。





肉体=自分 と思うこともアリです。

ですが… 

そこに囚われる(思い込む)と物事の本質がわからなくなっていきます。







仮に、誰かが人間しゅんすけさんの前に現れて、ビンタをしたとしましょう。



人間しゅんすけさんは「痛いな〜」と言うでしょう。


この時、彼は 肉体=自分 と思ってることでしょう。


そりゃ、痛いもんね(笑)





ですが… その一方で

彼は 肉体 ≠ 自分 ということも自覚していています。




その時、その時の環境や状況に応じて

肉体=自分 になってみたり

肉体 ≠ 自分 になってみたり

しているのです。




これが神、仏の遊び方(学び方)です。








みなさんも、物語を読んだり、映画を見たり、ゲームをしたり、試合を見たり、ライブに参加している時に



夢中になったり、感情移入したりして

登場キャラクター = 自分 

になったりする体験があると思います。




ソレと同じことです。




みなさんの本質も神、仏なのですが

「自分」というキャラクターに対しても

夢中になったり、感情移入しているだけなんです。




ただ、あまりにも夢中になったり、感情移入していることが当たり前になりすぎで

夢中になっている、感情移入しているだけで、本当の自分は別にある

ということを忘れているだけなんです。




あなたが関わる人の99%以上の人は、ソレを忘れています。




自分も、周りも、みんな忘れているから、なかなかに思い出せないし

思い出し始めても、周りの雰囲気に流されてすぐ忘れたりするのです。




でも、話はとってもシンプルなことで

ソレを思い出して

私は夢中になってるだけ

私は感情移入していただけ

と自覚、実感すれば悟りです。




ほんとうに、ほんとうに、シンプルな話なのです。








夢中、感情移入から覚めてきたら(目覚めてくると)「私、冷たくない?」と感じるかもしれません。




ちょうど

彼氏彼女に対して恋心が冷めてくるようなもので

「自分」に対しての熱が冷めてきます。




それは、目覚めのサインであり、冷静さは愛の目覚めでもあるのです。



恋は、盲目で、相手に自分の理想を押し付けたりしますが

愛は、明晰で、ありのままの相手を冷静に見守る在り方なのです。



それは、神、仏の目線に近い…

といってもいいでしょう。








具体的な目覚め方なんかは、これまでの記事でも沢山書いてきてるので気になったものがあれば読んでみてください。





大丈夫、あなたが本当に、真理や悟りを求めるならば、必ず「自分」が最適なところへ導いてくれます。


意志あるところに道ができるのですから。







さて。

今日はこの辺で満足してきたので、終わりにしたいと思います。










今日の話はここまでにしたいと思います。


読んでいただきありがとうございました。












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