こんにちは、しゅんすけです。


今日は 覚醒後の生き方 というお話です。






こんなやり取りがありました。






コメント主さん。

覚醒した後のことを聞いてくれています。




人間しゅんすけさんの言う覚醒とは

意識が非二元に目覚めることです。
(非二元 = ノンデュアリティ = ワンネス)



覚醒すると

「意識は」非二元に在りつつ

「肉体は」二元性を生きれます。
(だから肉体=自分と思っている内は覚醒できない)



だから、目に見える世界も二元性です。






例えば、壁とか、床とか。

目に見える表と、目に見えない裏があります。





このように。

目に見える全てには

二元性(表と裏)があります。







地球に生きる、ということは、二元性に生きるということです。


それは覚醒しても変わりません。



覚醒していない人は

目に見える表「だけ」をみて

目に見えてるものが全てだ

と思い込みます。
視野が狭い、意識も肉体も二元性にある)



覚醒している人は

目に見える表をみて

表があるということは、裏もあるんだな

と実感・自覚しています。
(視野が広い、意識は非二元にあり、肉体は二元性にある)



後者のように生きることが

地球に居ながら、非二元に在り続ける

という感覚です。







例えば、壁をみた時。

表面があるのだから、裏面もある

と思います。
(これが二元性です)



このとき。

表面があるのだから、裏面もある

と思っている主体があります。
(この主体が非二元、本質、一元性です)







意識が覚醒すると、意識は自由自在になります。



例えるならペンです。

ペン先が非二元だとして

もう片方が二元性だとします。


覚醒すると、意識は、このペンのどこにでも、自由自在に在れるようになります。



意識を非二元よりして生きることもできるし

意識を二元性よりにして生きることもできます。
(非二元と二元性のどっち寄りに在るか選べるようになる)



覚醒すると

これは非二元なのか、とか

これは二元性なのか、とか

気にならなくなります。
(非二元も二元性も、結局、ひとつ(のペン)だから)







自由自在になった意識で、どう生きるかは個性と環境次第です。


覚醒した後も、普通に一人の人間として、肉体を生きることもできます。
(今の人間しゅんすけさんはこっち)


肉体も非二元そのものの体現として生きることもできます。







色々と細かいことを書いたけれど。



結局のところ、自由に生きていいんです。




覚醒をするためには

人間じぶんが好きなことをして

人間じぶんが幸せにしてあげること。
(自分が、嫌いなこと、好きじゃないことを断捨離すること)




覚醒をした後も

人間じぶんの好きなことをして

人間じぶんを幸せにしてあげること。
(自分を幸せにすることが全体にとって貢献になる)



人生とは、ただ、それだけの追求とも言えるかもしれません。








今日のお話はここまでにしたいと思います。


読んでいただきありがとうございました。




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