叔母との電話と感情解放 | Everyday is a new day!

Everyday is a new day!

「本当の自分」と出会いたい
そして、あたたかくて、優しい毎日を
すっきりと幸せに生きたいと思い
学んだことを実践した記録です

こんにちは
memrera(メムレラ)です。

*私が動物との記事を書くことの
はじまりはこの記事からです。
「私にとっての動物と生きること」

 

 

昨日、お話ししたように、

私は今、「自己価値」について、

たくさん見つめる機会をもらっていました。

 

そして、

役に立たなければ、

結果を出せなければ、

私には価値がない。

私は愛されない。

 

そう思っている自分と

もう一度向き合って、

 

私が私自身に

あったかさと光を届けて、

 

私自身を

そのままでいさせてあげる

 

ということを

実践し始めました。

 

改めて、

自分のいのちを

そんな視点で動かしてみると、

 

ちょっと休憩したいな

→ いや、もう少しキリのいいところまで

 

冷たい何か飲みたいな

→ 冷房でこれ以上冷えたら困るから

 

そんな風に、

今まで、自分を感じて

過ごしていたはずだったのに、

まだまだいろいろ、

制限をしていたことに気がつきました。

 

そして、

そのことに気づいても、

 

自分のタイミングで休む時は

ドキドキするし、

 

冷たいものを飲みながら、

あったかいのじゃなくてよかったかな?

 

と思うものでした。

 

でもやっぱり、

こころで感じた方を選んでみて、

 

休憩後は、

「さっぱりした~! よし!」

と、力がよみがえった気持ちよさを、

 

冷たいものを飲んだ時の

「おっいしぃ~!!」

という爽快感を、

 

こころいっぱいに広げて、

心地よさを感じて過ごしていました。

 

 

私が、

私のこころの声を大切にして、

私がいのちの声を大切にして、

 

リラックスして、安心して、

心地よく幸せに生きる、

そのことを体験していくことで、

 

他の誰かの

こころの声やいのちの声を

 

大切にしなければならないから

 

というピリっとする場所ではなく、

 

大切にするとこんなに幸せなんだよ

 

というあったかい場所から、

 

そのままでいさせてあげて、

幸せな調和をしていけるように

なりたいと思っていました。

 

そして、その夜、

さっそく実践の場所が与えられました。

 

その夜は、

家族や親せきから、

どんどん電話がかかってきました。

 

その内容は、

私が小さい頃から

たくさんお世話になっている叔母が、

体調を崩したのだけれど、

「病院には生きたくない」と言って、

ぜんぜん、動かない。

 

話だけでも聞いてあげてくれないか

 

という電話でした。

 

叔母の娘さんからも、

私の母や姉からも、

そんな電話をもらって。

 

小さな頃に叔母と一緒に過ごした

たくさんの時間を思い出しました。

 

そして、

「私が電話しなくちゃ」でもなく、

「私が電話なんとかしなくちゃ」でもなく、

「そんなの責任持てないよ」でもなく、

 

「とにかく、

 話を聞かせてもらおう。」

 

そんなスーッとした気持ちになるまで、

感情を解放してから、

電話して、お話をしてみました。

 

すると、

「病院に行くくらいなら・・・」

そんな勢いでの拒否でした。

 

なるほど。

 

言葉も少ない叔母を、

説得するのではなく、

否定するのでもなく、

少し話を聞かせてもらって、

 

そして、

いろいろな理由がある

「病院に行きたくない」という

その気持ちを受けとめて、

 

私は、

病院に行った方がいいとも、

行くなとも言いませでした。

 

その「どうするか」ではなくて、

 

ちょっと怖いけど、

すごく緊張するけれど、

 

でも、叔母さんが

 

「どうしたいのか」

「どうなりたいのか」

 

ということを感じて、

その気持ちを話してくれたら、

 

お手伝いする準備は、

みんなにできているから、

安心してね。

 

ということを伝えました。

 

そして、

電話を切ったあと、

 

「これでよかったのかな」

「大丈夫かな」

「本当は病院に行かないとだよな」

「行かないって言い始めたら私のせい」

「どうなっちゃうかな」

 

そんな気持ちが、

一気にぶわ~っと浮かんできました。

 

そして、

私は改めて、

 

ああ、そうか。

私はこういうことを感じたくなくて、

今までは、

「こっちの方がいい」

「この方法が間違いない」

「とりあえずこっちでしょ」

 

と、今までのやり方を選んで、

自分のこころの声や

相手のこころの声を

そのままにしてあげられなかったんだ

ということに気がつきました。

 

そして、

この怖さはそのまま、

叔母の病院への「怖さ」に

つながっているから、

 

たぶん叔母も、

今、たくさんの不安や恐怖と

向き合っているだろうから、

 

私もこの自分と向き合って、

感情を解放していこう。

 

そう決めました。

 

そして、

ほぼ一晩。

 

自分の感情と向き合い、

自分と向き合い、

 

そして、

私のこころの声、

叔母のこころの声を聴いて、

 

起こることは、

すべて必要なことが起こる

 

というあたたかい真理を

信頼していこうと

私のこころが固まりました。

 

 

そして、

翌朝。

 

叔母の娘さんから連絡が来ました。

 

朝早くから、

叔母が病院に行く準備をして、

待っていてくれたと。

ありがとう。いってきます。

 

と。

 

 

その連絡をもらって、

私はこころからの感謝を

宇宙に、神様に祈りました。

 

例え、誰かが選んだその選択が、

今想像できる「最善」ではないと

想うような選択でも、

 

不安や緊張を抱えたまま、

がんばって動かさなくても、

 

ただ、その人の

こころの声を

いのちの声を

大切にすることができること。

 

私は、ただ、

自分のこころと向き合って、

あったかい愛に戻っていくことで

その人の応援の祈りができること。

 

この生き方を

叔母と体験させていただけたことに

こころから感謝しました。

 

ありがとうございます。

 

そんな想いで過ごしていた

そんな夜。

 

叔母からも電話がきました。

 

「行ってきたよ。

 ありがとう。がんばってみるよ。」

「よかった、よかったね。」

 

そんな言葉を聞いて、話して、

二人で電話で号泣しました。

 

 

叔母とこんな体験ができたのは、

ここまでたくさんの気づきと学びを

私に届けてくださった

たくさんのいのちとの出会いと、

たくさんの体験でした。

 

思いつく限りのすべてに、

こころから感謝して、

関わってくれたいのちのすべてに、

こころから感謝しました。

 

 

こんな体験を1つずつ、

幸せに積み重ねて、

 

いつも、

私から放つエネルギーは、

やっぱりあったかさで、

やっぱり優しさでありたいと

思っています。