自分のエゴと向き合って、その先に進むと決める | Everyday is a new day!

Everyday is a new day!

「本当の自分」と出会いたい
そして、あたたかくて、優しい毎日を
すっきりと幸せに生きたいと思い
学んだことを実践した記録です

こんにちは
memrera(メムレラ)です。

*私が動物との記事を書くことの
はじまりはこの記事からです。
「私にとっての動物と生きること」

 

 

その日は、

朝、6時ころに、

わんこの散歩に行きました。

 

まだ、7月のうちは、

朝方まだ少し涼しいので、

早朝にワンコの散歩をしています。

 

公園を歩いていると、

セミの幼虫が、

仰向けになって

足を動かしていました。

 

ふと見ると、

ぼちぼち、アリの姿も見えています。

 

周りの木にたどり着くためには

石を1つ、越えなければならず、

それが越えられなかったようでした。

 

あぁ、そうだったんだね。

がんばったんだね。

お疲れ様。

 

そんなことをこころに想い、

そのいのちの幸せを祈りました。


そして、

そのまま立ち去ろうと思うのですが、

私のこころが苦しいのです。

 

頭ではわかっていました。

 

セミの幼虫が、

土中から出てきて羽化するのは、

通常、夕方から夜にかけて。

それが、翌朝、この状態なのは、

一晩中、歩き回っていたことになります。

 

そして、

羽化は、一世一代の大仕事。

とてつもないエネルギーを使います。

 

つまり、

もう、この子には、

その体力は残っていないということです。

 

そのことは、

頭ではわかっていました。

 

そして、

その子に触れてしまったら、

いのちの自然の営みに

手を出してしまうことで、

もう後戻りできないことも

わかっていました。

 

頭ではわかっていましたので、

わんこと数歩、先に進みましたが、

 

やっぱりその場所に

私は戻ってしまい、

一緒に帰ることにしました。

 

頭ではわかっているけれど、

やっぱりこのままには

できませんでした。

 

今の私はまだ、こうなんだ。

今の私で行動してみて、

ちゃんと学んでいきたい。

 

そう思い、

まだ、力強く動いている

その幼虫と共に家に帰ろうと

玄関に入った瞬間、

 

目の端に何か飛び込んできました。

 

それは、

門柱の下で、

羽を乾かしているセミでした。

 

 

その門柱はすべすべで、

幼虫が足をかけるところなど

見当たらず、

 

それでもそのセミの幼虫は、

どこかに足をかけて、

地上数センチで何とか羽化し、

本来なら、自分の足をまだ

かけているはずの抜け殻が

その辺に転がっていますが、

それでも、無事に羽化を終えて、

羽を乾かしています。

 

こんなところで、

セミが羽化できるなんて。

 

 

瞬間、そう思って、

そして、ハッとしました。

 

その瞬間、

私がさきほど、

見かけたセミの幼虫を

今、手にしているのは、

私の大きなエゴだということを

教えていただきました。

 

私がどう感じようと、

私がどう思っていようと

 

生きるいのちは、

どうあっても生まれて生きて、

 

そして、

羽化せずに終わるいのちも

それは不幸でも可哀そうでもない。

 

宇宙が生かすいのちは生き、

いのちの時間は、

いのちが神様と約束してきた時間で、

その時間に短いも長いもないんですね。

 

そんなこと、

何度も

何度も

何度も、

 

本当に何度も、

たくさんのいのちに

教えてもらってきていたのに、

 

また繰り返してしまったんだと、

痛感しました。

 

そして、

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の

赤いサソリのお話を思い出しました。

 

いたちに見つかり、

食べられそうになったサソリが、

逃げて、逃げて、

井戸に落ちてしまって、

 

井戸からどうやっても

逃げられなくて、

自分のいのちが終わると感じた

その時に、

サソリが祈ったその言葉を

思い出しました。

 

どうしてわたしはわたしのからだを

 だまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。

どうか神さま。私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてず
どうかこの次には
まことのみんなの幸(さいわい)のために
私のからだをおつかい下さい。

 

~引用 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」~

 

 

 

私は、私のいのちの声だけに

耳を傾けて、今、この幼虫を

手にして帰宅してしまったけれど、

 

私はどうして、

この幼虫のいのちの声を

私は聞かなかったんだろう。

 

なんという

自分の独りよがりだったろう。

 

そう思いました。

 

その幼虫は、

我が家のベランダの

ネットの上でゆっくりし、

何度か身体を震わせて、

羽化しようとしましたが、

 

やっぱり、もう

その力は残っていませんでした。

 

長い時間さまよったし、

日光にもさらされたし、

アリは毒を持っているし、

思い返せばそれは、

そうなだろうと思うのですが、

 

あの時の私は、

自分が苦しいという

自分が素通りできないという、

自分の想いを正当化するために、

そんな当たり前のことからも

目をそらせてしまいました。

 

 

いのちのめぐりも、

いのちのつながりも、

私が想うようなものではなく、

 

深く、広く、

すべてのいのちの

幸せな調和と愛で

つながっているということ。

 

そのことを私は、

「わかっていた」つもりでしたが、

実は、なにもわかっていませんでした。

 

私は今まで、

たくさんのいのちと出会って、

いろいろなことの気づきを

届けてもらっていたのに、

 

また、同じことを

繰り返してしまっています。

 

そんな自分が

本当に情けないと感じました

 

 

でも、私は、やっぱり。

 

この尊くて優しい

いのちのあたたかい愛を

もっともっと

私は知りたいと思います。

そして、

自分自身が生きたいと思います。

 

今はまだまだ、

私は私のエゴから

動いてしまいますが、

 

でも、ここから、

この先に進みます。

 

起ったことのすべてを

しっかり受けとめて、

今の自分自身の至らなさを

しっかり受けとめて、

 

今までよりも強く、深く、

こころを決めた出来事でした。