こんにちは
memrera(メムレラ)です
*私が動物との記事を書くことの
はじまりはこの記事からです。
「私にとっての動物と生きること」
ワンコにはあまり感じないのですが、
猫たちにはそれぞれ
「キャラが立ってるなぁ」と
思うことがあります。
我が家の猫3匹は、
それぞれ性格も行動もバラバラ。
例えば、朝一番、
新鮮なお水が飲みたいウクレレ。
とにかく甘えたいポテポ。
今日の朝ご飯が何なのか気になるトラ。
例えば、ご飯を食べる時。
手作りご飯が苦手なウクレレ。
なんでも食べたいポテポ。
偏食で少しずつ食べたいトラ。
例えば、遊び。
飛びつきやすくて飽きっぽいウクレレ。
ずーっと遊んでいたいポテポ。
みんなが飽きた頃、一人遊びしたいトラ。
みんなそれぞれですが、
それがそこ子そのものを表す
「ウクレレといえば」
「ポテポといえば」
「トラといえば」
のようになっていて、
それはもう、ゆるぎない
その子の軸となっています。
こんな風に、
自分が何が好きで、何が苦手で、
どんな風に話し、食べ、行動するのか?
という「キャラクター設定」のようなものが、
私にもあるわけです。
例えば、
実家に帰ると、
私に対してみんなが思う、
末っ子で甘えん坊
いつも笑っているムードメーカー
機嫌のいい時はいいが、
こじらせると面倒くさい。
というような、
「私というキャラクター設定」があります。
その設定からはみ出す時、
周囲にとって、
違和感がない変化であれば
特に問題ないのですが、
周囲にとって、
「ん?」という変化の時、
いろいろな波が起こります。
例えば、
私は頼まれたことを
ほとんどの場合断ったことがなく、
買い物や送迎、
DIYや各種手続きなど、
いつでも両親のお願いごとは、
すぐに行動していました。
でもここ数年。
実家に帰ることができず、
両親が私が帰らないと「困る」
と言うこと増えてきました。
このことは、
「必要とされているんだな」と、
最初は私のエゴを満たしてくれましたが、
いくらそう言われても、
帰るに帰れない状況が続くと、
私の胸が「罪悪感」を感じて苦しくなりました。
その時、この罪悪感と向き合って、
初めて、両親と私が
「依存」とか「甘え」というところで、
繋がっていることに気がつきました。
そして、このことは、
私が今までしてきたことの結果でした。
優しさとは、
なんでも願いを叶えたり、
相手の都合で動くことではなかった。
私がいたら助かるし楽しいけれど、
でも、
私がいなくてもそれぞれが困らず、
そこで暮らすことができることだった。
と、反省し、
そこに向かいたいと思いました。
というわけで、
私のキャラが、
「なんでもしてくれる子」から
設定変更されたことで、
両親にとっては今までと違って、
なんだか面倒だと感じるように
なったようでした。
そんな両親に、
何度でも根気よく、丁寧に、
「こうしたら2人でもできるよ」
「これを準備したからこうやろうね」
「こういう時はそばにいる人に頼もうね」
2人でもできるには、
どうやったらいいのかを
伝えてきました。
最初はあまり評判がよくなかった
この私のキャラクター変更ですが、
今回の帰省で、
なんだかんだで
両親が2人でできることが
増えていること、
私が一人でやらずに、
「一緒にやってみよう」と言うと、
「そうだね」とすぐに一緒にできたこと、
そんな変化を見ることができ
嬉しく思いました。
私にとって、小さなころの
自分を知っている家族に
私はどういう存在なのか
何を大切にしていて、
どこに向かっているのか。
そのために、
何を話して、どう行動するのか。
という今の自分を伝え、
実際にそのように行動することが、
一番難しく感じる数年間でした。
今もまだ、
家族だからこその
直球な意見や感想をもらいます。
でも、それも
私の内側の声として受けとめて。
その声を受けた時の
感情感じて、そして、解放して。
説得するのでもなく、
推すのでもなく、
ただ、
私は「こう在りたい」という
自分で生きること、
今の生き方が自分にとって、
大好きで幸せだということを
家族にこそ、表現していきたいと
思っています。
