家に仏壇はあるものの、

お寺のお墓は別の人が継いでいるので
お寺とのつきあいは全くない。

お墓は自分で買うことになるので、
宗教色のないところを買おうと思う。

葬儀をどうしようかと悩んでいたら
親族の目上の人に、神式がよいと強く言われて
葬儀は神式で行った。

このあとはどうしたらよいのでしょう。


と、ご相談をいただきました。

当面のお困り事は
目の前にある、神式の位牌にあたる「霊蠒(れいじ)」
と言われるものの安置場所にお困りのことと、
仏式の四十九日の法要なのか、
神式の五十日祭を行うのか。

お寺とは檀家としてのお付き合いの気持ちはない。
仏壇を処分する気持もない。

もし、仏式で、同じ宗派で葬儀を行っていた場合は
僧侶は葬儀社から紹介してもらえますし、
法要の時も葬儀に来ていただいた僧侶や
今後お墓を買う石材店などから
無理のないお付き合いをできる僧侶を紹介してもらうこともでき、
今の仏壇のまま供養ができます。

しかし、神式。

もちろん、ひとつの家に神棚と仏壇があってもよいわけですから
両方をきちんと安置することも考えられますし
霊蠒は専用の「祖霊舎(それいしゃ」という別のところへ安置して
仏壇と神棚と祖霊舎をおうちで拝することもできますが・・・・。

家の中に、3つご安置することになります。

これは、もとから信仰心が厚いかたでないと
日々のお供えなどだけでも気が引けることに・・・。

結局、神社・お寺に相談して
新しくお位牌をつくり、仏教で統一する方向になりそうですが
こういったことは葬儀の段では思いがよらなかったそうです。
ご葬儀の時は皆様いっぱいいっぱいです。

人に言われると、そうかな、それでいいかな、と思います。
でも、人がお亡くなりになるということは
葬儀そのものより、葬儀のあとの供養の方がずっと長いのです。

ほんの少し、先のことを考える機会さえあれば、
また、アドバイスをされる方がいれば
ご苦労はされなかったと思います。

どなたかお亡くなりになった時、
「先の供養」も少しだけ、お考えになることを
ちょっと覚えていていただきたいと思います。


kiyomi☆



「嫌い」という言葉は強すぎるので
使わないように心掛けているのですが


ど~しても嫌いです!
バリウム検査。


今日、検査が終わったとたん、担当のレントゲン技師さんが
「大丈夫ですか!?バリウム検査、初めてでしたか!?」と
駆け寄ってくださいました。


「・・・いえ、ほぼ毎年やっています・・・」
自分の顔つきは想像できました。



だいたい


あの苦しみの代価になるものが得られるとは思えません。
胃カメラを飲んだ時には驚くほど分かった事実の
ほんの一角しか分からないのに


苦しすぎる!
おまけに 下剤・・・。



なんで健康な腸までを苦しめないといけないんでしょう(TT)
それに、バリウムがあとできちんと出なかった人の
「本当にあった怖い話」も色々聞くし・・・。

本気で検査をしたいのなら、やはり、胃カメラです。
・・・こちらも苦しいから私は麻酔で40分くらい眠らせていただきます。

「麻酔いれますよー。いち、にい、さ・・・」
で眠りに落ちます。
もちろん、この先生なら胃を傷つけない、と
信頼した病院で行います。(慎重=怖がり)


しかし、この病院は手の甲に麻酔の点滴をうつので
跡が2週間くらい痛い。
しかも、費用は麻酔分もあり、会社の検診と違って高い自費。

バリウムの苦しみと、下剤の苦しみからも解放されると
やっぱり、安くて1日で痛みがなくなる方がいいかな?
と、ふと頭をよぎります。


人間って、なんて弱いんでしょうか。
帰り道、来年は自費でも胃カメラ、と決心していたのに。
でも、もしバリウムで、胃カメラ並みのことが分かるのなら
げっぷを我慢しながら、頭からさかさまにされることも
多分、我慢できます。

顧客は我慢強い、人の好い面があるのです。
自分もお店に入って我慢することが結構あります。
日本人って、人がよくて優しい。

それに甘えちゃ、だめですね。

どうにかならないのか、バリウム。

kiyomi☆

最近増えてきた海への散骨の要望。

業者さんに聞いても、核家族化、お墓を継ぐ人がいない、
などの問題・本人の希望などで、確実に増えているそうです。

散骨は、撒く側と撒かれる地域の側の見方があります。
漁業の人、海で遊ぶ人。
全く関係ないかたにとっては
海にお骨が撒かれては・・・と思う。

もちろん、それを踏まえて、海域を考え、
お骨をかなり細かく分解しやすく
自然に還りやすくしてはあります。

国で基準を決めるべき、など、
今後ルールづくりが議論になるとは思いますが
禁止や中止にはならないというのが、大方の予想です。


ご近所の散骨業者さんに提携のお話に伺いました。

お会いしたとたんにわかる、『海の男』。
プランも、内容もこだわりがあります。

さらに聞くほどに感心することがいくつもありました。
企業秘密?なので、詳しくは書けませんが
一つ、今まで考えもしなかったのが
東京湾での散骨の意義。

東京湾の散骨は、感覚的にはあまり人気とは思えません。
水が汚れている、というイメージと、
湾なので広く世界に繋がるという印象が薄いのか
神奈川、静岡方面の太平洋に出たあたりが
よく利用されているのではと思います。

また、生活圏と近いので、
散骨する側、される側の気持ちの問題もあります。

『海の男』さんのお話では

「東京湾に散骨したら、
 湾をきれいにしたいと自然に考えると思うんですよ。
 こんなことしたら、水が汚れるんじゃないか、とか。
 生活そのものも、優しくなっていく。
 そんな風になったらいいなあ、と思って。」

そのようなことは、一度も考えませんでした。

故人様とのお別れが、心に新しい美しい生活を植える。
こんな素敵な循環ができるのですね。

人の死から、新しいものが生まれて受け継がれていく
葬送にかかわるものが、それを提案し、
遺族のグリーフケアにもなっていく。

葬送にかかわる人というものは
どの道を行っても最後はここにたどり着くようになっている。

という
ある葬儀社さんの話を思い出しました。

あちらとこちらを繋ぐ使命がある、ということであれば
この散骨業者さんはそれを果たしているかたなのでしょう。

もちろん、提携をさせていたきたいと
お願いをして帰って来ました。


kiyomi☆


ありがたいことにうちの会社は
常に他にないことにチャレンジなので
またか、と思うくらい試行錯誤や勉強せねばなりません。


葬儀関係の業界は
保守的で変化を望まなかったのですが
そういったところはこの時代では取り残されます。

ただ、あくまでも人の気持ちに寄り添うことが
大切な業界でもあります。

「こころを大切に」と口では言いながら
よかれと思っても企業の自己満足のサービスになっていたら、
やはり難しいでしょう。

でも、それを誰が判断できるのかはわかりません。

一番こわいのは
「自分はできている」
「自分はやっている」
との思い込み。

先日、葬儀後の相談で
お答えできないことがありました。

専門的なことだったので、仕方ないと言えば仕方ないのですが
事実は「まるで役にたたなかった」ということだけです。

はぁぁ・・・と思いながらふと感じたのは
一番大切なことも出来ていないのではないか、ということ。

お電話いただいたかたは、ご家族を亡くしたかた。
それなのに、自分は答えが分からない質問に気を取られて
その人の状況を忘れた会話になっていました。

そちらの方が、深い問題であったのです。

指摘してくれる先輩がいる人は幸せです。
そうでない場合、
「自分は、本当はなにもわかっていない、と思っていれば
 まあ、間違いはないよ」
と教えてくれた人がいたことを思い出しました。


あまりストイックになり過ぎるのも考えものですが、
自分はなんにもわかっていない。できていない。
自分はまだまだ、のびていかれる
成長する楽しみがある。
と、思い直しています。


先日行った明治神宮で引いたおみくじの内容は以下の通りでした.。


 あやまたむ ことを思へば かりそめの
 ことにも 物は つつしまれつつ

(世の中はとかく過ちが起こりやすい。それを思えば
 ちょっとしたことにでも、慎重に慎み深くいたしましょう 
 のような意味)

kiyomi☆

本日、築○本○寺にて
お坊さんだけのクローズセミナーで
葬儀・僧侶の事情について、講師をしてきました。
・・・恨まれただろうなあああ

講師にお誘いいただいた中心者のお坊さんが
仲良しの良いひとで
「好きに話していいですよ!」というのを真に受け
私の性格を知った上での依頼だろうと
本当に好きに話してしまいました。


一緒に講師をした葬儀社の社長さんにも
「言いたいことを歯に衣着せずに話してましたよね」
と言われる始末・・・。

何を話したかというと
  ここ5年間の葬儀事情の移り変わりと
  いかに僧侶と一般のひととの意識・金銭感覚がずれているか
  お寺が現状で止まっているか
  そのためにどうして行って欲しいのか
  私の理想の僧侶 など

私もここ最近のお坊さんとの付き合いの中で
お寺の事情も少し分かってきているので
今日、初めて会ったお坊さんたちが
自分たちはきちんとやっている!!と
カチンとくるのは分かっていました。
しかし

私はお寺もお坊さんも好きなのです。
素人に分かった風に言われることで腹が立っても
だからこそ、心にひっかかることもあるのではないか。

こんなに心が荒廃している時代
頼るべきところも分からず、危ないところに手を伸ばす。
そんな人を少しでもお寺が繋ぎとめたり
昔の寺子屋のように子供のこころを伸ばしたり
そんなお寺が増えてほしい。
(個人的にも、そんな活動もしています。)

それにはまず、お坊さんの意識。
今日の勉強会の目的もそこだと聞いたので
あえて、挑んでまいりました。
自由参加型なので、来ている人の意識もあるはず。

会の前には会場の御本尊に、
一人でも、心に届くかたがいるように・・・とお願いしました。

すると、終了後若い僧侶の方がわが意を得たり、という勢いで
今日の勉強会を喜んでくださったので
今はそれだけでも十分です(TT)。

彼と、今日お話を聞いていただいたみなさまのお寺が
よりよく進みますように。

やっぱり、ちょっと、言いすぎたかなあ・・・(_ _)

kiyomi☆