こころがしぼんでしまったときは
人と話すことさえ億劫になるかもしれません



誰もわかってくれないや、と思うこともありますね。
解決の方法はひとそれぞれ。


自分が疲れた時は、いくつか解決のパターンがあります。



体も心も疲れて人とも話したくないときは、

・・・寝ます。

体も心も疲れて、でも、人と話ができる時は
気心の知れた整骨院で整体に行き、
まず、体を治します。

体はまだ動くけれど、人と話したくないと思ったら
緑の中へ行きます。


このなかで、最近気に入っているのは
「緑の中」への行先を⇒緑の多い神社へ (お寺でもいいかな)
本当は山がいいけれど、遠すぎるので。
お薦めとしては、東京なら明治神宮です。


東京23区内で森林浴ができる、
安心安全な場所が原宿にあるのは本当に驚きですよね。


鳥居をくぐると、空気や風が違います。
お参りしたら、裏をぐるーっと回って、森林浴です。
ひとりでゆっくりと歩き、木々を眺めながら原宿方面へ。

最後のお楽しみは、鳥居を出たところにあるオープンカフェです。
うまく日陰になり、少し風のある時間帯だと最高。

昨日はカフェオレをいただきましたが、
お隣のビールがうらやましかった・・・。
(私ひとりだったので、ビールはちょっと・・・)


メモリアルのブログ ~大切な人を亡くした方のお手伝い~-cafe

先に見える屋根のすぐ後ろに鳥居があります。



で、本題。


神社の本殿やお寺の本堂に行くと、「お話」することになります。
相手が人ではないですけれど
自分の思いをお話することができます。
そして、姿は見えませんけれど、ちゃんと聞いていただくことができます。


誰もわかってくれないや、ということを
お返事はないにしても、誰かに伝えること。


そして、聞いていただき、ありがとうございました、
という気持ちで緑の中を歩くこと。
これが、こころの疲れを軽くしてくれています。


自分の解決法をいくつか持っていると、随分楽になることがあります。
私の方法も、よかったらお試しください。


(PS .明治神宮に行く時は、スニーカーがお薦めです!)

kiyomi☆

私どもでも取扱をしている「手元供養品」

だんだんポピュラーになってきたとはいえ、
まだまだ普及とまではいっていません。


個人的には、単純に普及すればよい
という商業的な考えではないのですが
必要な方の手に届くようにしたいと思っています。


で、説明を求められる時に出てくる多い質問のなかで
「分骨してよいのですか?(成仏についてご心配)」
というものがあります。


それに答えるために、当社のパンフレットには次のように書いてあります。
・・・いえ、私が書きました。


「法律上も分骨は全く違法ではありません。
 仏教を例に申しますと、お釈迦様のご遺骨(仏舎利)も、
 世界各地に分骨されています。
 また、西日本では、五体の一部づつしかお骨上げをしません。
 実はこの時点で分骨になっています。
 大切な方と身近で過ごしていただくことに何も問題はありません。」


メモリアルのブログ ~大切な人を亡くした方のお手伝い~-チラシ表 メモリアルのブログ ~大切な人を亡くした方のお手伝い~

しかし・・・
お付き合いしている手元供養業者,
「ぎやまん倶楽部」さんのHPを見て愕然としました。


そこには
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Qぎやまん倶楽部の骨壺には骨の一部だけを入れたい
と考えているのですが、分骨すると成仏できないからやめたほうがいい、
と言われました。

A正直に申し上げますと、分骨すると成仏できなくなるか、できるかどうか、
について私どもに証明することはできません。
 日本国内や世界各地においても分骨を習慣とする地域はございます。
 また、仏教の始祖である仏陀のお骨(仏舎利)は、世界各地にて
祀られております。
 法律上、分骨は問題はございませんので、その点ではご安心ください。
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と書いてありました。

なんて、誠実で正確なのだろうと頭の下がる思いでした。
自分の文章には迷いがあるなあ、とがっくりです。


分骨すると成仏できなくなるかどうかはわかりませんよね。


(個人的には、いろいろな方のお話から
 お骨のそばにいつも魂があるわけではなさそうなので
 大丈夫だと思っていますが)

もし亡くなったかたが、自分のお骨に強い執着をもっていて
分けないで・・・と思っていたら、うろうろしてしまうかも知れない。

海にまいてよ、とか、お骨には自分はいないから、
という考えの方ならいくつに分骨しても大丈夫でしょう。

家族のそばにいたい、と強く願う人だったら
自分の依り代?(よりしろ)のようなお骨を
家族が持ってくれることを喜ぶのではないでしょうか。

最近ある人から私にいただいた課題

”「見る」んじゃなく「観る」です。次は「観て」ください。”


うんと、考えてみます。

kiyomi☆



いきつけの定食&飲み屋さんのチャキチャキママは
まだ若い、日本の南の島の血をひく人ですが
言うことにはいつも納得させられます。


最近、彼女の都内の親族の葬儀があり、
とても疑問に思ったこと。


「なんで、このへんの人は決まりごとや形式が先で
気持ちがあと回しなの?

葬儀のやり方とか、お墓をどうするとかばかりで
亡くなった人に、気持ちが向いてないんだよね。」


彼女の居た島は、「死」は日常生活上にあったということ。


死ぬことは、この世で魂が修行したいと思った役割を
終えて帰ったことだから、喜ばしい。

だから、死や死者を祝うような気持ちで送り、
また、霊となって守ってくれると思い、感謝する。


なにかの時には、お墓の前で親族でご飯を食べて飲む。
(こちらのお花見状態)

亡くなって3年たったお骨は掘り出して、
みんなで洗ってまた収める。


だから、死も霊も怖くはない。


・・・・・どこか、海外の話のようですが
れっきとした日本国内です。


お釈迦様も、葬儀の形式など決めてなく
在家に任せて、お坊さんは布教しなさい、と仰ったはず。


庶民のお墓が木から石になったのも、
江戸時代にお城を作った石があまったのをさばくため。


葬儀で今のような祭壇を用意するのも
昭和になってからの話。


確かに形式に振り回されることはいかがなものでしょう。


ただ、形式が出来ていく過程は
商業ベースに乗せられることもありますが、
時代や、人の心に合わせたものである場合もあります。


形式があるから、不安でまとまりのない心を落ち着かせ
整理ができる場合もあります。

ですので、私も
「一般的には、このように行っていますよ」
とご案内することも多々あります。


大切なのは、形式をご案内するときに
その形式にのっとって行うことで、故人様への気持ちも
同時に手向けられる、ということを
ご理解いただけることだと思います。


そうすれば、形式のなかでも
皆さん故人様を思いながら
本当の供養ができるのかと思います。

そうすれば、ママさんも少しは納得してくれるかな。


kiyomi☆


5月くらいから小雀を見かけることが多くなりますが
最近は、雀もちょっと大きくなって、
独り立ちして公園で遊んでいます。


会社の近所の雀は人慣れしているので
そばを歩いても、結構知らん顔をしていて逃げません。


会社近くにちょっと広い公園があって
たまにお昼を食べたりしますが
先日、おにぎりを食べていたら小雀が一羽、寄ってきました。


かわいいと思って見ていたら
向こうもこちら(おにぎり おにぎり )を見ています。


しかたないなあ、と思って米粒を2,3粒投げようとしましたが、
はたと思いなおして、指先につけて
「はい、どうぞ」と言って待ってみました。


すると、ちょっと首をかしげていましたが
チョンチョンとベンチにのり、
私の指先から米粒を食べました。


へえー!っと思って
それからは少しづつ米粒を掌側へ。

目指せ、手乗り雀。


小雀は一度で安心したのか、
全く抵抗を見せないで何度も食べます。


でもうまく首をのばして食べるので
掌には乗らなかった・・・。

私も自分も食べていたので、おにぎりもなくなりました(おばか)。


もうないよ、とバイバイしてお別れしましたが、
今度は両手を合わせてど真ん中に一粒おいたらどうだろう、
と考えています。


kiyomi☆



お盆ですね。

本日はたまたま休みで、一日お盆の用意です。


「マンション・菩提寺なし・仏壇はあり」の我が家で
簡単に精霊棚をこしらえてみました。


テーマ(?)は「喜んでいただけるものをお供えする」
だけです。


我が家のご先祖様が好きそうな食べ物を
家族・おじいちゃん・おばあちゃんの好みから想像してみました。

でも、ちょっと自分の好みが強く出ています。

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あと、通りすがりの御霊の方も喜ばれるように
戦時中の方がお好きだったろうな、と思われる
サ○マのドロップとか、麩菓子とかを選んでみました。


なんで、戦時中の・・・かは
そういう土地柄だからです。

東京大空襲などのときに
たくさんの方がお亡くなりになったそうです。


餓鬼さんが食べやすいように「水の子」も用意しました。
(きゅうりとなすと生米と水)


甘いものが多くて、お酒とおつまみが足りないかな・・・?


なんで、ほおずきが一つだけお皿に乗っているか、は
私のオリジナルな考えによります。

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実は近くにある義父のお墓に行ってきたのですが
今はお墓のお線香の火を持ち帰るなどは至難の業です。


なので、家からちょうちんに見立てたほおずきを持参しました。
それをお墓に供えて、お義父さん、一緒に帰りましょう
と声をかけて持ち帰って来ました。
お義父さんは来てくれたでしょうか?
実は、若くしてお亡くなりになったので、お会いしたことがありません。



こんな仕事をしている割に、
いざ精霊棚をこしらえてみたら、こんなものです!


迎え火のおがらに火をつけたら・・・
どうしてもすぐに消えました・・まあ、いいかな。

ご先祖様、いらっしゃいませ。

kiyomi☆