メメントCの世界 -3ページ目

メメントCの世界

演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。

 

2022年に上演した、このミュージカルは、鎌倉の難民支援センターである、アルペさんに滞在しているスリランカ難民のリビィさん、そして、長らくミャンマーで医療支援に携わって第一線の医療現場にいられた、西方さんに取材して作られました。

その西方さん、ずっとブログでミャンマーのことを発信されていましたが、このほど、そのブログが単行本

 

『ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか』
 

と題されて、集英社から出ます!!!!

9月26日に発売です。ぜひぜひ、書店でご購読くださいませ。

本当に苦しい状況が続いているミャンマー。そこの若者は日本と変わらず、自由を謳歌していましたし、経済も上向いていました。それが、いきなりの軍事クーデターで、自由や法治を奪われて、とんでもない状況が四年も続いています。

何かできることはないか?ミュージカルの売り上げを寄付しました。継続的な寄付は難しいですが、できること、目を逸らさないでいること、日本の国内政治がミャンマーの軍政に繋がっていることを、報せたいものです。そして、外国人迫害を日本で叫ぶ人に、コンビニでも、医療、介護施設でどれほどお世話になっているのか、分かってもらいたいです。

 

皆様も、ぜひ、よろしくお願いします。

 

 

民藝の稽古場は熱い!

読み合わせから、はや、一月以上。

既に、稽古場にはセットが立ち上がって、本番と同じ状況で、稽古が始まりました。

まあ、贅沢なこと。

嶽本史上、最高の稽古状況に、更にプレッシャーです。

これは、仮組の頃。今は、ほんものセットです!!

樫山さんと、佐々木梅治さん。最高のコンビです。

 

私もあーでもない、こーでもない、とやっております。

選挙女子の練習風景です。

広島県知事選が芝居の中で出てきますんで。

みんなで、選挙応援演説中です。

アンサンブルの皆さんが、何役もこなしていきます。

最後の、赤坂離宮の国立国会図書館仮庁舎も圧巻ですよ。

図書館をめぐるこのたびのお芝居は、人間ドラマも濃いです。

お楽しみに!!

 

 

 

いよいよ、8月19日よりチケット一般発売となります。

稽古は早くも発熱して、俳優の皆様の魅力が全開です。

 

写真は、テーブルでの読み稽古ですが、既に荒立ち稽古が進んでおります。

今日は、衣装の打ち合わせに行ってきました。

伝統ある稽古場に通う幸運をかみしめております。

 

チケットですが、既にお申込を頂きありがとうございます。

若干の特典のあるチケットを劇団から枚数制限で頂いております。パンフレット付きなどの特典がありますが、事前に代金を振り込んで頂ける方、また、チケット郵送という形でお願いしております。特典つきチケットのお申込先は、mementocdefg@gmail.com です。

 

9月27日の初日、アフタートークの日が人気が高いので、お早目にお申込ください。

または、27日に観劇ご希望の方は、枚数を嶽本までお早目にお報せください。

夜公演はこの内容規模で、5000円!!と破格です。

また、30歳以下の方は、若者は3500円ですので、劇団に直接お申込ください。

 

劇団民藝 公演

『聴衆0の講演会』

作・演出:嶽本あゆ美

【日程】2025年9月27日(土)~10月6日(月)

9/27(土)13:30~ ※終演後、アフタートーク(竹内栄美子×嶽本あゆ美)

9/28(日)13:30~ ※終演後、バックステージツアー

9/29(月)13:30~

9/30(火)13:30~

10/1(水)18:30~ 夜公演 5000円

10/2(木)13:30~

10/3(金)18:30~ 夜公演 5000円

10/4(土)13:30~ 終演後、明治大学リバティタワーにて、社会文学会例会・一般参加できます。ご希望の方はメッセください。詳細をお報せいたします。

10/5(日)13:30~ ※終演後、出演者との交流会

10/6(月)13:30~

◎土日は無料託児所サービスあり

【料金】一般7,000円/夜チケット5,000円/U30(30歳以下)3,500円/高校生以下1,100円

【会場】紀伊国屋サザンシアターTAKASHIMAYA〔新宿南口〕

【予約】一般前売8月19日10:00〜、「民藝の仲間」会員先行予約7月18日10:00〜

【お問い合わせ・若者チケットなど】劇団民藝 044-987-7711

https://www.gekidanmingei.co.jp/

#中井正一 #美学 #嶽本あゆ美 #劇団民藝公演 #聴衆0の講演会

「土曜日」の巻頭言:中井正一 ー九三七年三月二十日

 

『手を挙げよう、どんな小さな手でもいい。

 その軌道が危険であることを知らすためにさし挙げられなければならない。

 

ものごとは、理屈通りにはゆかぬという人々がいる。

しかし、ものごとのほうが、これ見よがしに一歩もゆるがせにせずに、正しくその法則を護り、寸厘も、間違わない。

人間が間違った意見をもっていれば、その間違っていることを現象の上に示してくれる。理屈通りにゆかぬのでなくて、ものごとの正しさに理屈が副っていなかったのである。

ギリシャ以来、人々がものを考えはじめたのは、この自然の中に、美しい秩序が厳然とあることへ の驚きから出発したのである。

美しい秩序が水の中にも、石の中にも、星の中にもあること、また人間の体の中にも、その系図の中にも、また人との関係の中にもあることを発見したとき、人間はただの石や水とは、異なったところのものになった。その秩序の中にいて、その秩序を保持する責任をもつ、この宇宙の唯一つの存在となったのである。

この広漠たる宇宙の中で、人間はそのみずからの秩序を守る責任をもつ唯一つの存在である。

新たな秩序を生み出すことすらできる自由をもつ唯一つの存在である。

しかし、この自由は、秩序を自分で打ち砕く自由をも許しているのである。この自由のゆえに人間は、その機構を人間が見守らないと、自分で自分の秩序を投げすてる危険をも許すのである。

今、人間は、その危険の前に立っている。

人々は、自分がその危険を感じていながら、その理由がわからないことがある。それを、拒否すべきことを知りながら、否定の理由がハッキリわからないことがある。拒否すべき現実がハッキリしながら、否定すべき理論がハッキリしないことがある。

 それは、否定のない拒否である。それは往々にして、いらいらした、断乎として、といったようなやりきれない心持ち、いわば、信念となってくる。

この信念の中には、過去に一度理由をもったが、今は他のものとなった宗教的な、または封建的な、商業的な、産業的ないろいろの残滓物がゴッチャになって、チラチラとフラッシュのように陰顕する不安定なものとなる。

このイライラしさが暴力に手を貸すとき、人類の秩序は一瞬において破滅に面するのである。

どんな小さな手でもいい。

その軌道が危険であることを知らすためにさし挙げられなければならない。』

あとがき-1

 

 

 中井正一を主人公に戯曲を、と私の持ちかけたのは劇団民藝の制作部の上本氏である。元々、山代巴に興味があった私は、一も二もなく、「やります」と答えた。それからほぼ二年、京都学派、ハイデガーやアーレント、三木清に戸坂潤、久野収にトーマス・マン、ブレヒトを経めぐって、中井正一と山代の戦後の第一歩を書く事に落ち着いた。いつもの如く、裏紙製造機となった私は、戦前のこれらの人を書くだけで、A4用紙で150頁を費やしてしまった。いつになったら、話が終わるのか?終わらないから、敗戦をスタートとしたが、民藝の丹野氏のアドバイスで、戦前編から正一の結婚、治安維持法での逮捕の辺りを復活させた。

 

 資料をいくら読もうが、何度書き直そうが、劇場空間にドラマが立ち上がらなければ意味がない。私の師匠の斎藤憐氏は、それは口を酸っぱくして、「三方良しの芝居でなければだめだ。観客によし、劇場によし、劇団によし」と、生前、戯曲講座で私や他の劇作家志望者を戒めた。それに私には残りの人生を費やす意義も欲しかったが、中井正一だけなく、その瀬戸内の社会文化や山代の歩みは、また私の知らない世界を開いてくれた。

 

 静岡県中部の農村で育った私には、商人の世界というのはあまり縁がない。農民と商人がどれほど違う生活文化なのか、嫌と言うほど母に聞かされてきた。まさに封建社会がそのまま残っているような田舎だ。山代巴の実家とよく似ていて、我が母は明治時代に零落した庄屋の家に生まれた五女だった。祖父は、明治の頃には書画骨董に凝り、バイオリンを弾いていたという。松風屋というのが屋号だったが、農地改革ですっかり田んぼの畑も減った。その減った田んぼを、昨年まで、95才の伯父が耕していた。伯父はある日、とうとう具合が悪くなり、今は療養病床にいる。受け継いだ68才の従兄が、もう堪らん!と悲鳴を上げながらトラクターを動かしている。

 

 横道にそれたが、この中井正一とその母・千代の物語は、山代巴著『千代の青春』(徑書房)が無ければ、一行も書くことが出来なかっただろう。電子出版という英断で、この本を残してくださった徑さんには感謝しかない。

 

 

 

 

どちらかというと女性は、中井氏のマザコンぶりには辟易とするだろうし、その千代の凄さというのは、山代の筆でしか分からない。親族がどう書こうが、他人が書いたことでしか私は信用できないのだ。山代の千代への傾倒と、その筋の通り方が二人の年代の離れた女性の連帯を私に教えてくれた。そして、正一が生まれる前の広島県の竹原の歴史が、中井正一の精神を作りあげたと山代の筆は語っている。

 

 

 千代の生家のある竹原は、酒造りと製塩の浜を目の前にした街。旧くから、浜子と言われる製塩に従事するもの、製塩に必要な薪の供給者である農民、広島藩の役務を代行する村役人、それを得る塩問屋たちが、竹原の町の行政を回していた。竹原塩は北前船によって、全国各地、北海道へも売られていった。

便利なことに、ここにVRで竹原が見られるサイトがあるので、見てください。

 

 

北前船の回漕業の家の女といえば、堀田善衞の家の女たちも同じだ。富山県伏木にある堀田の実家も鶴屋という屋号の北前船の回漕業だった。一家には、自由民権運動の稲垣示に嫁いだ人もいて、何が驚くかというと、広島と富山という裏と表の地理的関係においても、明治の女性は自由民権運動という共通の理想を持っていたことだ。

 民権数え歌を歌って育ったという千代は、江戸の生まれの曾祖母の亀に育てられていた。幕末、薩長と徳川幕政に挟まれて、どちらにも着かずに合議を重ねて戦乱から竹原を守ったという地方自治には、今の政治家など到底及ばない地方集団としての知恵がある。

日清、日露戦争の時代を生き抜いた彼女らが、

「戦争は悲哀でしかない」

「嘉永のペリー来航から今日まで、瓦版を読む者にとっては、一日たりとも同じ日はない」

と言うページに、私はひれ伏した。

 

そして明治も終わりの大逆事件の頃には、千代の実家の人々が被告となった幸徳秋水の刑死に驚き、徳富蘆花の一高演説を商売上の集りで読んだとある。リベラルなどという薄っぺらなものではない、幕末からの教養や漢籍からくる徳と道理への目線が、その地方の商人の文化にあったことや、旧い日本の地方に自主自立の共同体が健全にあることに驚いた。

幸徳秋水らを国賊の様に言う空気はそこにはない。

おまけに、再審裁判の弁護団でもあった同志社法学部元教授の能勢弁護士は、中井らと一緒に京都消費者組合もし、雑誌『土曜日』を作り、絲屋氏のご母堂への言及もある。

京都の絲屋の娘さんは、幸徳秋水の大ファンだったと書いてあるのでひたすらびっくり。

 

あとがきは続く。