雲霧仁左衛門「龍 三益高根の雲霧」感想まとめ


中山精一
『吉原の中江別館 金村のお座敷で恒例の江戸人情噺
駒塚由衣 江戸人情噺「龍見益高根の雲霧(りゅうと みますたかねのくもきり)」作: 藤浦 敦
話は、「雲霧仁左衛門」の話であるが、池波正太郎の雲切、山崎努のニヒルな雲霧を描いていたが、そこは藤浦先生。江戸時代中期の享保年間に活動したとされる盗賊。池波さんが近くにと言っても、500M先辺りにお住まいだったので、興味深い。因果小僧六之助、素走り熊五郎、木鼠吉五郎、おさらば伝次、七化お千代も登場しない、登場人物4人の藤浦版。
「肥前の小猿が鰍沢から富士川沿いにすうっと下ってきまして、駿河街道を宮ノ花の宿場に着いたのは10月はじめのことでありました」とすっーと、ゆったりと語り始めると情景が浮かぶのです。
「鰍沢」か、日本三大急流のひとつ富士川に面して、三つの川の合流地点であり、舟運の拠点、鰍沢河岸、落語で有名だなと思いながら。すうっと下るとあるが、下部温泉、身延山はどうしたと思いながら。色が濃いから避けたかな。いいリズムだね。10月初めということは旧暦で11月。紅葉はどうかと・・。
印象的だったのは、雲霧の「寝顔」。やられましたね。これは山崎務ではなく、中井貴一の方が近いなと思う。「無垢」で可愛い仁左衛門。「無垢」で可愛い仁左衛門、そんなわけないだろうと思いつつ、術中に嵌っていく。そこは、駒塚さんの女性ゆえの慈しみも感じる。
そんなこんなで、万沢の宿まで下ってくる。
・・・ネタバレしたら面白くないので・・・
藤浦さんの「凄み」は学識の深さ、雲霧仁左衛門の話の元ネタは、歴史学者の大石学によれば、安永7年(1778年)に甲斐で起こった盗難事件を元に、後世の大岡政談で大岡忠相が裁いたと創作されたというから、何らかの根拠がある、
越中には「立山」、加賀には「白山」、そして駿河の国には「富士山」と語っていく。日本三霊山をさりげなく。
富士山と書くのは近年、「福慈岳」、二つとない山ということで「不二山」、山頂の雪がなくならない(尽きない)ということで「不尽山」なんかもある。ペコちゃんの不二家の「不二」も、「ルパン三世」に出てくる峰不二子の名前も。山辺赤人が「田子の浦ゆ、うち出でて見れば真白にぞ、不尽の高嶺に雪はふりける」という歌が万葉集に。秦の始皇帝から「不老不死の薬を持ってこい」とむちゃぶりされた徐福がここに来たという話から「不死山」。
11月27日まで、吉原 さくら鍋中江別館にて。
吉原商店会長の「吉原」の蘊蓄も。今回は桜鍋「中江」のご主人が語った吉原、いいね。』


嶽本あゆ美
『藤浦先生の新作、「龍 三益高根の雲霧」駒塚由衣さんが10年続けている江戸人情噺、藤浦敦先生の新作。
こういう題名は何を意味するのか、勉強が足りない私は、文字を読んだだけでは俄に分からない。
けれども芝居のラストがそういうことなのね、とつくづく納得しました。
錦絵の様な世界というか、藤浦先生は情景の描き方が凄まじい。絵がどんどん見えてくる。
以前、よく聞かせてももらった「妲己のお百」も「猫頭」も、江戸時代の街の様子が手に取るように語りで繰り広げられる。
どうしてああいう風に書けるのか?しったこっちゃねえ、まだまだ修行が足りねえよ!!と声が飛んできそう。
今回の、雲霧の話は、最初の出だしからすぐに町の旅籠の薄暗い部屋に持っていかれるし、登場人物に馴染みがなくても、その情景の細かな色合いが伝わってくるので、ひたすら絵を追っていくような、不思議な体験となしました。
ある名詞とか、形容詞、オノマトペを語る時の声や温度の高さ、軽重、色合い、乾き具合、湿り気、そういうものがぴたっと来ないと、音は絵にならない。
聞いているだけで、ひりひりしたり、寒くなって腕をかかえたくなったり。
足の裏に地面のごつごつした木の根道を感じたり。
富士川のひやりとした冷気が漂ってくる。江戸ではないのだ。
それを語りで全て体験させる芸は、大道具も音楽も無いのに、豊穣で豊か。芝居の原点なのです。
そういうものが、日本語の美しさだと思う。
紫いろの時雨れた様な声が、今回の大発見です。
終演のあとに、藤浦先生の直筆原稿を見せて頂いた。
うーん・・・達筆すぎて読めない・・・・・
そして終わった後で、この話はひょっとして、また続くのだろうな、という余韻に満ちていた。駒さんの語り口は、いつもの江戸とまた違うし、じっとりと富士川端の湿り気を帯びていました。きっと千秋楽までどんどんと、深いものになっていくでしょう。
一つ。
私は昭和42年生まれの静岡は遠州育ちだった。秋になると田んぼがすっかり黄金色になった頃、小学校の帰り道に、
山の方から、ドーン!と鉄砲の音が聞こえてきた。
熊とか鹿とかイノシシを撃つ音だ。ああ、そういう季節だな、と子ども心に心が弾んだ。
決して、野生動物を哀れんだりはせず、時々到来する、鹿肉とかイノシシ肉を思ってほくほくしたのだ。
野蛮でしょうか?
鰍沢から始まる語りだしの地理は、落語の人は「鰍沢」を思い浮かべる。そして静岡(しぞーか)の人間には富士川沿いに富士山の横を甲州へ上がっていく身延線という寒い寒い路線を思い出させる。私も、コロナ前に、茅野市の会館の仕事から、掛川に戻るのに、中央線で甲府に出て、そこから身延線で降りていって東海道線に出たことがある。富士川の雄大な眺めも素晴らしいけど、兎に角寒いのだ。余程でもない限りそのルートを私は使わない。
でも、身延山に御参りに行くのは、お題目を唱える叔母さんだったか、そう言えばよく行ってたっけ。
こんな事を書いていて、この話の先が見えた様で、あっ!と思った。見て聞いて欲しい。
藤浦先生の筆の鮮やかさ、駒さんの精進、学ばせて頂きました。
静岡県一帯に武田信玄の足跡があるのは、伊那谷、駒ケ根などの南信の天竜ルート、そしてこの富士川ルートから武田軍が南下したから。
昔のルートは、今と違うので川沿いに開けている。そして足でてくてくと、進んで行くわけで、旅というのはそれだけの重みと理由が無ければなされなかったのだろう。
今、私は脳内劇場で筑豊の炭鉱を経めぐっています。
坑口を目指して、石炭を掘るのでした。』

演劇ジャーナリスト:山田勝仁
FBより転載
『昨日マチネは吉原・中江別館金村で駒塚由衣江戸人情噺「龍 見益高根の雲霧(りゅうと みますたかねのくもきり)」(作=藤浦敦)
地下鉄三ノ輪駅を降りたら出口が違うので一瞬、方向感覚がなくなったがいつもの出口を見つけてそこからスタート。
吉原。道の脇で若い客が店までの送迎車を待っていたようで、迎えの人が「〇〇さんですか」と迎えに来る光景と2回遭遇。吉原に来る若い客はそれなりに富裕層なのだろう。
駅から道沿いに15分。あしたのジョーの等身大の像が目印で、そこから先を右に折れると大門通り。
店の案内所となっている喫茶店が何軒か。吉原といってもこの一角しか知らない。
勝手知ったる金村。玄関で靴を脱いで2階へ。
まずは中江の主人による”風俗街ではない”昔の吉原の芸者と遊女の話を10分ほど。ツボを心得た話しっぷり。
そして駒塚さんの一人語り。
今回は雲霧仁左衛門の話ではあるが、切った張ったの血なまぐさい話はナシ。
登場人物4人と、これまでの大人数の藤浦噺とは趣きを変えた一編。
後に雲霧一党の身内となる肥前の小猿が雲霧の子分になるべく駿河の国までやってくる。二人の出会いと、甲州原沢村の文蔵から千両を盗み出す策略の顛末は…。
いつもながらの歯切れのいい口跡。時代ものはおぼえにくいというが、流れるような駒塚噺。女優とは凄いものだ。
この肥前の小猿が登場するのは大岡政談の中の雲霧話だとか。
93歳の毒舌家、藤浦先生も年には勝てず、養生中とのことだが、元ネタはあるにしても原稿用紙にさらさらと書き進める筆の巧みとその博学さよ。
ご本復して次の作品を書いてほしいものだ。
14時~15時15分。11月27日まで。
ちなみに、馬に括り付けた千両箱の重さはどれくらいかというと約25キロ。徳川家康が造らせた慶長小判は1両4.76匁=17.85g。千両なら約17キロ。箱の重さを5〜6キロとして千両箱1箱は約25キロ。米一俵の半分以下か。
帰りは見に来ていた大西多摩恵さんと駅まで。
親戚が下町に住んでいたとのことでこの界隈も詳しく、「芸者になりたかった」とか。芸者でも向島と新橋などで格が違うらしいが。』