女を探して・森崎の原点
とりあえず脱稿して、雑務におわれまくってます。こんなに根を詰めたのは何時いらいか?
別に他の作品に根をつめてないんじゃなくて、森崎和江の闇と闘ってグラグラです。
主なメインストーリーは、森崎和江の女坑夫からの聞き書き「まっくら」ですが、
題名はまっくらやみ、とつけました。なぜなら女の闇は真っ暗闇なんです。
闇黒の穴の中で働く女、闇黒の闇の中に囚われる女。
森崎さんのある一時期を辿るのには、谷川雁との同棲時代を外せませんし、そこが彼女の「原点」でもあります。
二人の恋愛や共同生活は、今の私には想像もできないようなある種の野蛮と前近代が土台にあるように感じました。
私の母は今、84です。彼女の人生は正に労働との格闘でした。
女坑夫らの話の中には労働が人生の中の食事、と同じ位離れないものだというのが分かります。
それで、無産者(ホワイトカラー)からは想像もできないのですが、長時間の肉体労働が当たりまえなんです。
全く、私の様に原稿を書くのが大変だの雑用がいっぱいとか、芝居がどうのこうの、を寄せ付けない極北な
労働人生を女坑夫らは生きてました。
しかも、女性の特性を待ったく無視したような肉体労働なのに、なぜか、女性の労働者が男性よりも活き活きと労働を語るのです。
上野英信さんの、「追われ行く坑夫」の話などは、本当に悲惨で、悲惨で、どこにも生きてる陽の部分を感じられませんでしたが、「まっくら」に登場する女坑夫は待遇などに恨みはあっても、労働に恨みを見出しがたく、働くことと男女が五分五分に
坑内で石炭を掘ることによって、自由と主体を手に入れている様子がうかがえます。
何をしてその違いを生じさせているのか?
森崎さんの問い掛けは、核家族で自由でインテリ女性から、ブルーカラーの最底辺の問い掛けです。
そこの中で、自分とは何か?という疑問に突き動かされる森崎さんと、労働する存在であることを疑わない女坑夫らの
土台の違いに、知性や学問というものが見出し得ない人間の作られ方を感じるのでした。
簡単に言うと、動くのに働くのに前提を必用としない女坑夫。そして、男女が五分五分だという炭坑内の労働環境。
そういうものが、教養とは違うプライドと経験則による生きる術が個人の尊厳を揺るがないものにしているようです。
植民地で支配者階級として暮し、女性としても高学歴だった森崎さんは、著書の中で「私は日本人が泥だらけになって働くのを、引き揚げてから初めて見た。」と書いてます。肉体労働は被支配民族の仕事ということだった時勢です。
そういうわけで、彼女の当惑と日本への馴染めなさは、カルチャーギャップを飛び越えるほどの衝撃だったわけです。
続く