山田勝仁さんの劇評
新宿シアター・トップスで上演中の椿組「まっくらやみ・女の筑豊(やま)」(作=嶽本あゆ美、演出=高橋正徳、2月9~19日)が刺激的だ。
RKB毎日放送の鬼才、木村栄文が作ったドキュメンタリーに「まっくら」(1973年)という作品があった。
度重なる事故で7000人以上が死亡した筑豊炭鉱を舞台にしたドキュメンタリードラマ。炭坑の暗闇から鈴木忠志メソッドの高い足踏みで出てくる白石加代子やボタ山のてっぺんで取材ヘリコプターを待ち受ける常田富士男など虚実入り乱れる破天荒な作品だった。
私が高校時代に買った岩波新書に「地の底の笑い話」があった。著者は上野英信。独特のイラストで筑豊の炭坑の生活を初めて知った。「先山」(直接石炭を掘る労働者=男)「後山」(それを運搬する労働者=女)という言葉もそれで知ったのだった。
今回の舞台は筑豊に取材した「まっくら」で知られる作家の森崎和江、評論家の谷川雁らの著作を基にしたもので、1899年(明治32年)の筑豊炭鉱から、1902年(明治35年)の高松炭鉱、1918年(大正7年)の仲鶴炭鉱、1958年(昭和33年)の筑豊炭鉱、そして1960年(昭和35年)の大正炭鉱の約60年に渡る炭鉱の生活と労働運動を描いていく。
物語を牽引するのは森下和子(井上カオリ=森崎和江がモデル)と谷山健(斉藤健=谷川雁がモデル)。
森下と谷山はそれぞれ家庭がありながら、文化運動の同志として惹かれ合い、半ば駆け落ちのように筑豊にやってくる。
彼らはサークル交流誌「サークル村」を通して地域活動。和子は炭坑で働く女性たちの聞き書きを続ける。
一方、谷村は炭坑労働者をオルグし、炭鉱組合の組織を拡大していく。
時は1959年、三井三池争議=総資本対総労働の闘いの火ぶたが切られようとしていた。
60年に及ぶ物語で、登場人物も時代を超えて16人が数役を演じ、皆エネルギッシュ。高橋正徳の演出もスピーディーで大胆。うかうかしていると物語に取り残されそうになる。
人物が錯綜するので、物語的な流れを把握するため台本を買っておけばよかった。買いそびれたのが悔やまれる。
ただ言えるのは、女が男に伍して労働していた時代があったということ。
真っ暗な坑内での過酷な労働に自負心を持ち、時には男と対等の賃金を女が得ていたのだ。
それが、いつの間にか女の坑内労働が禁じられ、「男が女を食べさせることが男の自尊心を満足させる」という男尊女卑の社会通念になっていく。
かつての男女の労働の平等はいつしか、日本的家父長制へと矮小化されていく。
おそらく作者の主眼は奈辺にあるのだろう。
劇中で起こる、炭坑労働者が同志の妹を強姦殺害し、その兄が自殺するという事件は実際の事件だ。
谷村(谷川)は組織防衛に動き、森下(森崎)との間に確執が生まれ、決定的な考え方の違いが顕在化し、二人は決別、谷川は筑豊を去ることになった事件。森崎と谷川…女と男の志向性の違いなのか。
谷村のモデル、谷川雁でもっとも有名なのは、「多数決の否定」と「連帯を求めて孤立を恐れず。力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」という言葉だろう。
1969年、東大・安田講堂が陥落した後、壁に残されていた言葉だ。
個人の自立性、主体性を重視し、既成組織による統制を乗り越えようとした谷川の組織原理と行動原理は全共闘運動に大きな影響を与えたのだった。
映画評論家で職業革命家を標榜した松田政男さんも若き日に谷川雁を招いて勉強会を開いた由。
舞台では森下の連れ子を等身大の人形にすることで、そこはかとない哀感とユーモアを醸した。
炭坑の登場人物も、大納屋の頭領(辻親八)の娘で「ごりょんさん」と呼ばれる生き字引的な老女・大川ミサオ(水野あや)、その娘・シズエ(長嶺安奈)を中心に、岡村多加江、山中淳恵、鈴木彩乃、山本亨、木下藤次郎、趙徳安、望月麻里、田渕正博、佐久間淳也、外波山文明、土屋あかりの16人がエネルギッシュに、縦横無尽に舞台を駆け回った。
「オナゴは男とケンカするが一番いい。理屈とケツの穴は一つしかなか。男でも女でも道理は一つじゃ」
かつては男も女も労働者として対等だった。私が子供の頃の田舎でも畑仕事や漁で女は男を凌ぐ働きをした。
女が男に従属していくように社会が変容したのはいつからか。
筑豊の女たちは強かった。
「山と川は取ったが勝ちじゃ。歩方のいいケンカはしてこい。女だからとバカにされんごとせ」と亭主にハッパをかけられ、口だけでロクな働きのできない入れ墨男をヤマから追い出したというエピソードも森崎の著書「まっくら」の中で語られる。
ジェンダー論、フェミニズムはここまで遡って考えたい。
世の中が「まっくら」になっていくのを止めるのはやはり女の胆力がものを言うのは各地の反戦、反基地、反原発運動の主軸を担っているのが女性たちであることからもわかる。
山崎ハコちゃんの歌う主題歌が胸に沁みた。ハコちゃんからもらったトートバッグは毎日、重宝してます。
19日まで。
岡町高弥さんから、ご感想いただきました!
『2月13日、シアタートップスにて、椿組「まっくらやみ・女の筑豊(やま)」(作・嶽本あゆ美、演出・高橋正徳、主題歌・山崎ハコ)を見る。
昨年、95歳で亡くなった詩人で作家の森崎和江をモデルにした森下和子(井上カオリ)をめぐる壮大な物語。
子供を連れて登場するオープニングが印象的だ。
子供は人形遣い(松本淳市)が操る人形。遠く筑豊に連れられてやってきた不安がなんとも切ない。
舞台は、1958年(昭和33年)から1960年までの石炭産業衰退期と1899(明治32)年から1918(大正7)年の石炭産業全盛期、二つの時代を往復する。
森下和子と谷川雁をモデルにした谷山健(斉藤健)が筑豊の炭鉱町・中間(なかま)にやってくる。
大正炭鉱に住み込んだ和子は、炭鉱の語り部で老女ミサオ(水野あや)から、炭鉱町の歴史を聞かされる。
明治、大正と納屋頭の大川一家の物語を記録していく。
明治時代の炭鉱労働は劣悪な環境ゆえ、やまの底では男女が対等だった。男女の分け隔てなく石炭を掘り起こしていく。
明治時代、大川一家には頭領の権蔵(辻親八)がどっしりと構えていた。権蔵の妻お鶴(水野あや)にはスエ(鈴木彩乃)とサト(山中淳恵)の連れ子がいた。サトは炭鉱の有力者伊藤伝介(山本亨)の後妻に入る。権蔵とミサオの娘シズエ(長嶺安奈)。皆、男たちに振り回されながらも逞しく自分たちで道を切り開いていく。
荒くれ男たちと五分で渡り合う姿が痛快だ。やがて、炭鉱は衰退し、大川一家も没落していく。
戦後、やまに入れなくなった女たちは、和子の主宰する文芸サークルを通じて自分たちの言葉を取り戻していく。
炭鉱婦人会長のトシエ(岡村多加江)、スナック経営のミヤコ(山中淳恵)、主婦のレイコ(鈴木彩乃)、事故で脚を痛め今は移動販売所を営む父(外波山文明)を助けて働くリエ(土屋あかり)など、みな言葉にならない思いを吐き出していく。女たちの熱い思いが、芝居を突き動かしていく。
男たちといえば、石炭から石油へのエネルギー政策の転換と合理化により後退戦を強いられていく。
健は大正炭鉱の労組に入って労働争議の中心メンバーになるが、労働者は分断され孤立していく。
強い女性と職場を失い狼狽える男たち、この対比が絶妙だ。
やがて、和子と健の関係も壊れていく。ほとんどの役者が何役もこなし、時代も目まぐるしく変わっていくが、女たちの不自由さは今も昔も変わっていない。
椿組の役者陣の層の厚さと野外劇で培われた逞しさが、芝居にリアリティをもたらした。
高橋正徳の巧みな演出でだれるところが全くない。
山崎ハコが歌う主題歌、「まっくらやみ」が、これまた素晴らしい。
「根っこを失くした日本人、私の国はどこにある」。
芝居が終わっても忘れることができない。
シアタートップスの舞台の下に「炭鉱」を作った加藤ちかの舞台美術にも目を見張った。
121年経っても、女たちの闘いは終わらない。
椿組の芝居者として圧倒的なパワーとエネルギーに救われた芝居だった。』