◎「まっくらやみ・女の筑豊(やま)」の感想
安田善次郎が朝日平吾に刺殺されたのは、1921年9月28日であった。その後、大正から昭和へとテロの激流が吹き荒れた。思想的テロリズムの原点となったのが安田の暗殺だった。朝日平吾はその場で自害したが、マスコミや一部の民衆は彼を英雄視した。
そして、テロリズムは、1921年11月の原敬首相の刺殺、1923年甘粕正彦による大杉栄・伊藤野枝の虐殺、1929年の山本宣治代議士の暗殺、1932年の血盟団事件と5.15事件、1938年の2.26事件へと連綿と続いていった。
安田善次郎の曾孫である小野洋子がリバプール生まれのマッチョで寂しがり屋のロック歌手にフェミニズムの素晴らしさを薫陶した。そこで生まれた曲が『女は世界の奴隷か!』(Woman Is the Nigger of the World)だった。歌詞で明らかにされたのは「女は奴隷たちのさらなる奴隷なのだ」という事実だった。
60年代アメリカの政治活動家ジェリー・ルービンもこう記している。「僕たち男性は、この社会の考え方と同じように、男性優越主義の考えに染まっていた。ベトナム戦争や黒人問題に関しては急進的な考えをもっていても、私生活ではジョン・ウェインをまねていたのだ」。
いま必要なのは女性の智慧なのだろう。
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昨日、椿組の芝居「「まっくらやみ・女の筑豊(やま)」を新宿のシアター・トップスで拝見した。女たちのたくましさを筑豊の炭鉱町から描いた力作だった。森崎和江の書いた数冊のドキュメンタリーを原作とした物語である。
1958年、森下和子(森崎をモデルにした女性)が小さな子供を二人連れて、九州の炭鉱町を訪れる。同伴するのが谷山健(谷川雁をモデルとしたインテリ活動家)だ。二人は、炭鉱の閉山とそれに反対する労働争議に揺れる炭鉱町に、文芸サークルを作り、彼らの闘争を支援するためにやってきたのだ。
森下和子がこの炭鉱の昔を知っている老女(大川ミサオ)から話を聞く。大川ミサオは炭鉱労働者の元締めの娘で、労働者たちの生活の切り盛りをしてきた。彼女の語る人生は、明治から大正、昭和へと至る炭鉱夫と女炭鉱夫による重くて壮大な物語だった。まっくら闇の坑道から石炭を掘り出すという辛い労働、落盤やガスや火災への恐怖、命を賭けてともに労働する男女間に生まれるエロスなどが次から次へと語られていく。坑道の中で女と男は対等に向かい合い協力し合い、時には好きあった同士が山から逃げ出すこともあった。
しかし炭鉱労働者の元締めである父の大川権蔵は度胸ときっぷの良さで、妻や娘たちにも権力をふるっていた。娘たちはそれに反抗するが結局は従ってしまう。
時代が変わり、石炭産業が衰退し石油にとって代わられようとする頃、1950年代後半から炭鉱で労働争議が頻発し、1960年の三井三池闘争には全国の労働組合や学生運動から支援者が駆けつけ、大きなカンパが集まることになる。
そのような状況の中で森下和子と谷山健は文芸サークル(「サークル村」や「無名通信」)や行動隊を創設して、大正鉱業の労働争議に加勢する。
しかし森下和子は、男たちの政治活動や政治組織の防衛のために、女たちが犠牲になるという現実にしだいに疑問を持つようになる。そして谷山と分かれる決心をする。谷山は東京に帰るが、森下和子は炭鉱町に残って、女性たちの歴史を探る活動を続け、女性たちを支援し続けた。
この芝居は、語り尽くせぬことを語り尽くそうとする森崎和江のエネルギッシュな思いを一滴も漏らすまいとすくい上げようとした女たちの歴史劇だと思う。今考えることの必要な重いテーマを持つ、深くて複雑な心理劇でもある。
女にとっても、そしてとりわけ男にとっても。
お勧めです。
2月19日(日曜日)まで、新宿のシアター・トップスで見られます。
詳細は以下をご覧ください。
http://tubakigumi.com/upcoming-stage/