暗殺の風景 | メメントCの世界

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暗殺の風景

 

昨日、チェーホフの稽古始めだった。

それについての投稿は、半日位、出来ない気分だ。

クタクタだからじゃなくて、昨日稽古中に衝撃を受けたからだ。

 

一回目の読み稽古が終わった時に、ニュースを知ったが、信じられないのと漫画みたいだとおもった。

2.26も考えた。しかし、その後のニュースの中で、一番関心が動いたのは、その「彼」が、銃と弾丸を自分で製造したことと、銃は3Dプリンターで、ある意味、どこでも製造可能だそうだが、弾丸を作ることがとても難しいと言う事実。そして宗教を理由にしているけど、それは、統一教会なのか神社本庁なのか分からないけど、宗教が殺害の理由になるというのが、恐ろしかった。政治ではなかったこと。そして、その彼が手段と機会を持っていなかったら、実現はしなかったのだろうな、ということ。ぼーっとした駅前の風景、大和西大寺はあまりにも日常な眺めで所謂、フィクションだと画にならない場所だ。でも現実はそういうところにあるのだな、と虚構を作ってる自分の頭が馬鹿だなあと感じた。

 

 

  大逆事件のことを長くやってきたが、事件の議論の中で、当時の宮下や管野のテロルをやむなしとする考え、いや、あれは爆発物取締違反に過ぎない、妄想にすぎないという考え、研究者とアクティビスト、それぞれの、考えが大逆事件顕彰運動の中にある。それはそうであるべきだ。法学部の先生は実際に、宮下が作った火薬を再現して、効力なしと証拠立てた。子どもの火遊びなんだと。再審裁判請求は犯罪としての成立要件に欠くと言う事を最も主張している。管野須賀子聖女説もあれば、管野須賀子の幸徳秋水道連れ心中説もある。しかし、どんな考えも、現代においては、そういうことが実際には実行されないという大前提があった。こういう現実が起きた中で、もう一度それを考える時に、手段をもっている人間、スキルを持っている人間と、文章の上で物事を考えている人間の絶対に交わらない平行線を感じる。経験の足りなさというのだろうか。そして、安倍氏の死と、ヤクザの撃ちあいとどう違うのだろう?

 

 

 大口病院の点滴による高齢者の殺害、これはまだ裁判中でよくわからないが、大口病院はその後に経営者が、コロナ専用病院になった。看護師の彼女も手段を簡単にもてる人だった。それゆえに、高い職業倫理をその学びの過程で教えられたはずだ。それを乗り越えるにあたっては様々な過重な労働や生命倫理を蔑ろにする今の高齢者医療問題が、ケアする側に横たわっているのだ。それで、今回の元自衛官とされる彼には、そういう職業倫理を学ぶようなことはあったのだろうか?武器を持つ人はある程度、そういうことを学ぶのではなかったのだろうか?文民統制とか、そういう過去の現代社会の授業で習ったことは、なし崩しなのだろうか?

 

 

 馬鹿々々しいYOUTUBEの世界には、色んな告白が渦巻いている。自分的にネット詐欺にあったり、迷子や色々なトラブルがあって、宮前警察署にお世話になることが度々あったが、ある頃に、宮前警察と大和や座間の警察の間でトラブルになった葬儀業者を廻る収賄と汚職事件の報道が、新聞の片隅に載っていたので、興味をもって経過を見ていた。そのうちに、YOUTUBEに、神奈川県警の葬儀業者の死体を廻る贈収賄、汚職の告白が暴露されていた。そのすべてが本当か分からないけれども、私たちの社会のセキュリティに関わる部分は、相当前から、テレビドラマもびっくりするような馬鹿々々しいとんでもなく可笑しなことになっているということだった。職業倫理とはどこにあるのだろうか?

 

 

 過去に暗殺が跋扈した時代とは、政治が腐敗し、法律が全く役に立たない時代だった。昭和初期も不況と疑獄で真っ暗だった。令和もそうだ。法律は強いもののためにあって、弱いものの為にはないのは、今もそうじゃないか。そういうと段々、浪花節みたいな正義と悪の二元論にみんな染まっていって単純な正義で何かが変わればいいという頭になってしまうのだ。

 その典型、清い軍人が世を糺すみたいな単純ラベルの典型は、昭和の暗殺シリーズだ。昭和維新断行!とか叫んで2.26をやった陸軍将校らは結局のところ、海軍と陸軍の勢力争いの代理戦争に乗せられていただけだ。全くの道化だと言える。銃殺されるにいたる裁判までそれを理解することはなかった。現状の義憤を暴力装置としての軍隊の手段で実現しても、政治は、犯行を実際にした人間の真逆に動いていった。政治は結局暴力をきっかけにして、それをやらされたりやった人間の思惑とは別の方向へ、面舵をいっぱいに切る。それをよく知っている人間はもう、相当な年寄りと、日本史をやってる中学、高校生ぐらいだろう。

 先週、ミャンマー問題の特番で、色んな支援現場の人の声を聴いて、ミャンマーの人が武装闘争に変化した理由、それについて否定できないとつくづく感じた。徹底した非暴力のデモ、サボタージュでクーデターをNOという市民。その周りで、どんどん、弾圧され命をとられるプロテストする人たち・・・・日本の状況はひどいとはいえ、ジャングルの中で密造銃を作って抵抗勢力の実効支配地域、すなわち戦争を広げていくような事をするレベルではない。言い方が悪いが、まだまだ私たちはずーーーっとぬるま湯につかっていられたはずのだ。昨日までは。

 

 

 若い人よ、密造銃ではなく、選挙権を手にしてそれを行使してくれ。ジャングルで密造銃を作るようになったら、もうどうにも取返しがつかない社会が何十年も続くようになる。血を流さなくても政治を変えられる手段は、目の前にある。今日と、明日、まだ間に合うのに。