秋から冬に②
続きです。
「プロキュストの寝台」は、昨年、Pカンパニーの林さんから、死刑制度や刑法などの事でシリーズ上演をしたいので、書かないか?と持ち掛けられて実現した企画です。
2014年は石原燃さんが「沈黙」を書かれました。
私は、ちょうどその頃、「ダム」で怒涛の日々を熊本でおくっていたので、上演を観られなかったのです。脚本は演劇雑誌に掲載されたので読むことができました。
色々考えたのですが、ちょうどまあ2014年はダムの上演と太平洋食堂の地方公演のプロデュースやファンディングに奔走していて、新作を南京くらいしか書かなかったので、すごく書きたい鬱屈がたまっていました。
「プロキュスト」については、水平社の事を読む内に知り、水平社宣言の西光万吉の言葉にしびれていたのです。あれは水平社ということを取っ払っても、第九の歌詞のシラーの詩みたいなので感動します。2014年の8月に、高木顕明の娘である高木加代子の建てた教会、磐田市の高代分教会へ行ったこともあり、そこに横たわる根源的な人間否定の歴史を、何かの形にしたいと思っていました。
高木加代子は新宮を養母と追い出された後に、芸者に売られます。10歳位だったそうです。
その苦海の中でどうしても自分を捨てた生母にあいたいと望み、浜松で押しも押されもせぬ売れっ子芸者になっていたころ、偶然に再会することができました。母は大陸に渡りそして多額の借金やあれこれを背負って、日本に戻ってきていた。そして天理教信者になっていました。
加代子が母と一緒に天理教を学ぶうち、芸者で稼いだ金やら地位をすっかり全部払って、信仰に生き始めるのです。周囲の人は仰天するのですが、加代子は本気で貧に落ち切ったのです。
それについての本を天理大学の池田士郎さんが出され、詳しい聴き取り調査を浜松や磐田で行い、在りし日の加代子について、「中山みきの足跡と群像ー被差別民衆と天理教」明石書店 という本にまとめられています。それを読み、加代子の生き様はまさに教祖みきの生き様に似ていると感嘆したんです。
なんというか、イエスにパウロあり、みきに加代子ありです。ちょっと違うか・・・
ちなみに、明石書店さんは私が必要な本を必ず出している有り難い出版社です。イスラエルのアモス・オズの版元もここです。脱線しました。明石さんありがとう。
何を書きたかったというと、国家が誕生してとりあえず続いていくのに絶対必要なのは、税金と法律です。それらは、共同体を壊すもの、異質なものを取り除いていきます。法を持ってるのは主権者ということになります。今は一応、国民です。しかし法治というのはこれほどいい加減なものはないと最近思うのです。昔は法律は結構平等だったように思うけど、私が世間知らずなだけで平等じゃなかったんです。そういう中の刑法というものを考えて見たかったのです。それを天保時代、幕末を舞台にして書いてます。
また固い話になってますね。
私は日本史を高校で選択してなかった為、慌てて確認しました。
教科書的なおさらいしてみると江戸時代の前までは、関が原とか、1192作ろう鎌倉幕府とか、派手な動きがありますが、天下統一されちゃって江戸の三代将軍になると「生類憐みの令」とかのドメスティックな話しかないですね。
学校で勉強する日本史では、江戸は一応天下泰平なので大きな戦もないしで、サラッと勉強したかんじです。新撰組まで進んでペリーが来てくれて話が盛り上がる、そんな時代の主役は経済でした。ここら辺をもっと勉強できると、近代についての学習が意味を持つんじゃないかと思ったんですが、授業時間も足りないしね。
また固い話ですね。
12月のクリスマス前後に、不二稿京さんのオルガンヴィトーに「パターチャーラー」というインドの話の脚本を書き下ろします。出演は、藤原さん、保村大和さん、そしてなんと西山水木さんも出演です。会場はお寺です。詳細はまもなく出るとおもいます。これは不二稿さんが温めていた企画です。どんなインドになるのかな。
詳細は次号で。